ゼミ

第1回やしの実大学報告書

太平洋島嶼国の歴史教師による島紹介
メルチョール・ボカレン(パプア・ニューギニア)

みなさん、こんにちは。私の国、パプア・ニューギニアについてお話しをしたいと思います。地理的には、オーストラリアの北にある、ニューギニア島の東側半分とビズマーク諸島、ブーゲンビル島など周辺の島々に散在する19の地域で構成されています。首都はニューギニア島の南東にあるポート・モレスビーというところになります。
私はその中のマノス島という地域の出身です。この島には、黒曜石という火山岩がたくさんあり、この石をめぐって先人たちは島伝いに島々を渡ってきたのだといわれていまして、現在、片山先生のお知り合いの学者さんたちがいらしてその調査をしてらっしゃいます。
人口は約300から400万人。そのうち約40%はいまだ未開社会で生活していて、貨幣経済を営む人々の数は全体の30%程度です。住民は、主にモンゴロイドのメラネシア人とオセアニック・ネグリートのパプア人ですが、混血が多くて、互いに似てはいるけどそれぞれ独自の文化を持った部族社会が散在していて、言語の数は800以上あるといわれています。その違いは、日本でいう方言というよりも、他国の言葉として考えた方が正確だと思います。公用語は、英語。国語には、ピジン語とモトゥ語があり、政府や学校などでは英語を使い、日々日常の会話には国語を共通 の言語として使います。
宗教は、人口の80から90%がクリスチャンで 残りの約10%が他の宗教です。都市部を除けば、ほとんどの人々が、伝統的生活を営んでいます。気候は、乾期と雨期があって、本来なら山間部以外は1年を通 じて降雨量が多いのですが、ここ1年は、エルニーニョの影響で乾期が続いています。そのため農作物に深刻な被害が及び、食料難に陥っている状態でして、現在、日本やオーストラリアなどの援助を受けています。

近代史を簡単にご紹介しますと、1884年に、南東部のパプアニューギニアがイギリスの統治下におかれました。そして、その3日後には、ドイツが北東部を統治しました。 その後、1901年には南東のパプアニューギニアの植民地化をはじめ、1049年には北と南が統一されました。1969年には最初の国会が発足。そして、1973年に自治権を持ち、その後、1975年の9月16 日に正式に立憲君主国として独立を果たしました。
経済は、自由経済を営んでいて、主な輸出品は、豊富に採れる銅、そして金の他、材木、ココナッツオイル、ゴム、コーヒー、ガソリンで、日本や西欧の国々と貿易を行っています。輸入品は、自動車や食料品で、日本からも輸入しています。今回、私も個人的に、八重山の素晴しいお酒、あおもりを輸入して帰りたいと思っています(笑)。
以上、簡単ではありますが、パプアニューギニアの歴史、国についてのご紹介をさせていただきました。今回、ここ八重山にこれたことによって、南太平洋の島々と、八重山の人々、また日本と良い関係を築き、将来的にもそれを発展させていきたいと願っております。みなさんもこれを期に、ぜひ私の国へいらしてください。私が喜んでお出迎えさせていただきます。どうも、ありがとうございました。

Melchior Bokalen
1956年生まれ。同国のクック渓谷の考古学や、民族的に多様な同国内でかかえる独立抗争などの社会問題を専門に講義を高校で行っている。

メルチョール・ボカレンさんは、パプアニューギニアのキャラバート国立高校で教師をしていいます。彼はオーストラリア大学を卒業後、教師をしながら、現在は、修士課程を取得するために同大学で勉強もしています。(クワンチ講師)

ヘレン・タニエル(サモア諸島)

こんにちは。今からサモアについてお話ししたいと思います。サモアは、日付け変更線の東、南太平洋のほぼ真ん中に浮かぶ大きな島2つと、その周辺の7つの小さな島々で構成されています。 日本との時差は20時間になります。
島々は、主に火山島で一番高い山は、シリシリ山という山で1858・になります。気候は暖かく、平均気温はだいたい29 ℃ほどあります。9月から3月が雨期。5月から11月は乾燥した涼しい季節という2つの季節があります。人口は16 万人。国の公用語は、サモア語ですが、英語もオフィシャルな場では使っています。
次に、政府のことを少しお話しします。サモアは、南太平洋で最初に独立を果 たした国であり、立憲君主制の形をとっています。君主は、国を統治しませんが、シンボル的な存在です。その下に選挙によって選ばれ、その後、君主によって指名される首相がいます。そして、閣僚は首相によって任命されます。国会議員は、現在47名いて、被選挙者は、各地の首長に限られています。これには、私たちの文化的な特徴が非常に強く現われています。
私たちの国では、現在も伝統文化をたいへん重んじた生活をしています。私たちは、この生活を「ファア・サモア 」、英語では「Samoa way of life」と呼んでいます。社会のなかで一番、尊重され基盤となるのは、家族になります。これは、伝統的な大家族制となり、それぞれの家族には、「マタイ」と呼ばれる首長がいます。「マタイ」は親族同士で保有する土地のリーダーでもあるのです。
サモアには、先祖から伝わる伝説がたくさんあります。今回、八重山の遺跡を見せていただきながら、そこに伝わる伝説も聞かせていただきました。このような豊かな精神性を重んじる風土は、私たちの国ととても似ている環境だと思います。
最後に、歴史を簡単にご紹介します。 サモアは、起源前1000から1500年に現在のサモア人の祖先となる人々が初めて住みはじめました。その後、1722年に、ヨーロッパ人が渡来し、その統治下におかれました。1800年には、捕鯨をするヨーロッパ人、1830年になると、キリスト教の宣教士が訪れはじめます。
1889年には、西洋の植民地支配の争いによってサモアが西と東にわかれました。1890年には、「宝島」、「ジキルとハイド」の著者として有名なスティーブンソンなど、ビーチコマーと呼ばれる西欧諸国からの放浪者たちが訪れました。
1914年には、旧ドイツにかわって、ニュージーランドがサモアを統治しはじめます。その数年後、1920年に、植民地支配からの独立運動が起こりました。そして、1962年にようやく独立を果 たしたのです。1990年には、選挙制度が確立し、その年には、「オファ」という大きな台風が上陸しました。1991年にも、「バル」という台風に襲われ、大きな被害を受けました。
1997年は、西サモアから、現在のサモアに変わりました。そして、1998年には、サモアの歴史の新しい1ページとして、やしの実大学に参加しましたことが加えられます(笑)。みなさん、どうも、ありがとうございました。

Helen Tanielu
1972年生まれ。ニュージーランドで教育を受け、現在はサモアで教師をしている。同国の歴史教師連盟の中心人物として活躍している。

ヘレン・タニエルさんは、サモアの高校で教師をしていたのですが、最近、日本の政府の援助によって開校した国立サモア大学の講師として、サモアの教育省から選ばれ、現在は若干25歳ながら、同大学で講師をしています。(クワンチ講師)

ジャネット・イキモト(ニウエ)

私は、ニウエから来ましたが、生まれ育った国はフィジーです。そして、もともとの祖先はキリバス人なんです。植民地時代にキリバス人は、燐鉱石の採掘のために、フィジーへ強制的に移民させられたのです。これが私の祖先なのです。
そして、私は、フィジーである男性と恋におちたのですが、その相手が、ニウエ人だったのです。その後、11年間、ニウエで暮らしています。今では、ニウエという国に誇りをもっています。また、その出会いが今回、こうして八重山へ来るパスポートになったことを幸運に思っています。
ですから、私は、3つの国についてお話しすることができるのですが、今日は、みなさんにニウエのことを少し知っていただけたらと思います。
多くの国の歴史が神話や伝説がはじまるように、ニウエにも多くの神話、伝説があります。そのなかから、ニウエという名前がついた理由を伝える伝説をご紹介します。話しはあるニウエの若者が、すぐ南にある隣国トンガへ出かけることからはじまります。若者は、トンガである美しい娘と恋に落ちます。彼はその娘を自分の島につれて帰りたいと、その娘の父親にいいました。
しかし、父親はニウエには、ココナツがないことを聞き若者にこういいました。「おまえにココナツの種をあげる。娘と結婚したいのであれば、ココナツがしっかり育ってから迎えにきなさい」と。しかし若者はココナツだけでなく、娘もつれて帰ってしまったのです。そして、若者は島に戻り島民たちに向かって「ニウ、エ」と叫びました。若者は「ほら(ニ)、ココナツ(ウエ)だよ」と自分の手柄を伝えたわけで、これが国名になったわけです(笑)。
ニウエは、サモア、クック諸島、トンガのちょうど中心にある、259・の小さな岩の島です。人口は、わずか2000人ほどです。しかし、旧宗主国であるニュージーランドには、その内の1400人のニウエ人が住んでいます。これは、ニウエが自治権のみを持つ国だからです。
ですから、私たちは、ニュージーランドの市民権もありますし、パスポートもニュージーランドのものを持っています。そんな私たちの国の歴史を、簡単ではありますが、ご紹介したします。
伝説によると、起源前1500年ごろ、神々によってニウエという島ができたと伝えられています。
1774年に、有名なキャプテン・クックが訪れました。西欧人としてニウエ人と初めて接触した彼は、住民の敵対的な態度を見て、この島を「野蛮島」と呼んでいたそうです。
1846年には、キリスト教の宣教士がやってきて布教活動をはじめました。その後、サモア諸島と含めた部族同士の対立抗争があり、これにイギリス、アメリカ、旧ドイツが介入しました。この抗争は、1889年には終止符が打たれました。
1900年には、イギリスの保護領となり、その翌年、ニュージーランド領となりました。
そして1994年、ようやく自治権を獲得するに至りました。そして、1998年、私が国を代表してやしの実大学に参加しました(笑)。
私たちの島では、先代から続く伝統文化を今でも受け継いで生活をしています。今日、お会いすることができたことをきっかけに、みなさん、ぜひニウエにいらしてください。どうも、ありがとうございました。

Janet Ikimoto
1962年生まれ。南太平洋で一番小さな国であるニウエで、高校教師をしている。現在4人を持つ母。会期中は、島に伝わる様々な唄や踊り(ハカ)を交えた講演で、参加者を楽しませてくれた。

ニウエ国立高校で教師をしているジャネット・イキモトさんです。キリバス人の親を持ち、フィジーで生まれた。音楽家でもあり、詩人でもあります。 (クワンチ講師)

「第1回やしの実大学報告書」(1998年4月)
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