1.政府がシェルター整備の指針公表

 日本政府は2024年3月29日、「武力攻撃を想定した避難施設(シェルター)の確保に係る基本的考え方」を公表した。武力攻撃事態において、どの地域に避難施設を整備し、国民を保護するのか、その指針を示したものである[1]。しかしながら、日本へのどのような攻撃を想定しているのかが必ずしも明示されていないほか、日本ではそもそも地下シェルター設置が他国に比べて大きく遅れているなど、課題は少なくない。

 笹川平和財団安全保障研究グループのプロジェクト「日本の緊急事態対処に関する研究」では、有事法制やそれに基づく制度が果たして機能するのかどうか、専門家を交えて議論している。その調査活動の一環として、筆者はシェルターの人口カバー率が100%に達しているスイスを訪問し、核シェルターを視察した。この調査で、シェルター整備の先進国であっても、施設の運営、管理について多くの課題を抱えていることが分かった。

 本稿では、主にスイスにおけるシェルター整備の歴史と日本の現状を比較分析しながら、日本におけるシェルターの在り方を考察する。

2. スイスにおけるシェルター整備の歴史と現状

(1) スイスの公設核シェルターの役割

 スイスでは、1962年、米国と旧ソ連間で核戦争の寸前に陥った「キューバ危機」後、核シェルターの整備が急ピッチで進められた。1963年、すべての新設建造物にCBRN事象(C: Chemical-化学兵器、B: Biological-生物兵器、R: Radiological-放射性物質、N:Nuclear-核兵器)に対応できるシェルター設置を法律で義務づけた。設置困難な場合は費用を払い、自治体設置のシェルターに家族など必要人数分を確保する必要があるという[2]。この結果、スイスにおける核シェルターの人口カバー率は現在、107%である[3]。米ソ冷戦の最前線に立たされた他の欧州諸国を中心にこの間、世界各地でシェルター整備が進んだ(表1参照)。

表 1:核シェルターの人口カバー率

国名 カバー率
スイス 107%
イスラエル 100%
ノルウェー 98%
アメリカ 82%
ロシア 78%
イギリス 67%
日本 0.02%

出典:NPO法人「日本核シェルター協会」の資料などを参考に筆者作成

 筆者が訪問した「ゾンネンベルグ」(Sonnenberg)は、スイス中部・ルツェルン市の公設核シェルターである。同市は人口約8万人の都市で、「ゾンネンベルグ」は国道の地下トンネル敷設に際し、空間を有効利用するため、1970年から整備が進められた。2万人収容の施設として1976年に完成し、同市人口の4分の1をカバーしていた[4]。放射線を遮断するため、全体を30センチ超のコンクリートで覆っている。手術室を備える病院、シェルター内の治安維持を担う警察署のほか、貯水タンク、発電機、食料備蓄・調理施設、換気設備を備え、2万人が2週間生活できる機能を有していた。

写真 1:スイス・ルツェルン市の核シェルター「ゾンネンベルグ」

写真 1:スイス・ルツェルン市の核シェルター「ゾンネンベルグ」
出典:「ゾンネンベルグ」訪問時、筆者撮影(2024年3月11日)。

 シェルターは、民間人を動員、組織して対処活動を行う「民間防衛」(Civil defense)の考え方に基づき運営、管理される。スイスは国土防衛を国民の義務と定めており、「ゾンネンベルグ」の案内人を務めたシェルベール氏は「政府発行の『Civil defense』は各世帯に配布され、核攻撃の際も、軍や医療従事者の活動を支える市民の役割は細かく定められている。1990年代まで、核攻撃を想定した訓練もシェルターで定期的に行われていた」と説明する[5]。

(2) シェルター先進国・スイスにおける現状

 シェルターへの意識に変化が生じたのは冷戦終結後である。核攻撃の懸念が和らぐ中、「ゾンネンベルグ」をはじめ、公設シェルターにかかる年間数千万円の維持管理費の費用対効果について疑問の声が上がったうえ、核シェルターの限界を多くの国民が認識したことが大きい。シェルベール氏は「閃光や熱、爆風、死の灰などの急性放射線障害から身を守るには、核シェルターは確かに有効だ。しかし、核爆発がもたらす残留放射能の影響は長期に及ぶ。結局、核シェルターは国民を防護しきれない」と指摘する。「ゾンネンベルグ」は2006年、収容人数の規模を10分の1に縮小し、他の公設シェルターも民間企業に売却されたり、アフリカ・中東から数十万人の難民が一気に押し寄せた2015年の欧州難民危機の際に、難民の一時保護に利用されたり、縮小や転用が進んだ。シェルベール氏によると、「定期的に行われていた訓練も今は実施していない」という。2022年2月のロシアによるウクライナへの軍事侵攻を受け、スイス政府は、公設核シェルターの民間への売却を禁止するとともに、「Shelters for the population」を公表し、シェルターの意義をあらためて周知した[6]。

3. 日本の現状

 日本政府の「基本的考え方」では、台湾有事を想定し、近接する先島諸島への避難施設の先行整備を打ち出している。地理的に事前の広域避難が困難であることなどから、先島諸島の石垣市、宮古島市など5つの市町村に「特定臨時避難施設」を整備する方針を示した。あわせて示した技術ガイドラインによると、同施設は、地下のできるだけ深くに整備し、ミサイルの爆風に耐えるため、厚さ30センチ超の鉄筋コンクリートで覆う構造にすると定めている。さらに、避難者1人当たり2平方メートルのスペースを確保し、食料倉庫や電気・通信設備、換気設備を備え、2週間程度の避難を想定している。政府はこれまで、「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」(2004年成立、以下国民保護法)第150条[7]に基づき、「避難施設」「緊急一時避難施設」「地下施設」を指定してきたが、一定期間の避難を想定しているとは言えなかった。

 避難施設は全国に9万7,974か所あるが、大半は運動場など防護壁がない地上施設である。緊急一時避難施設については、弾道ミサイルの爆風被害の軽減を主目的に、コンクリート造りの強固な施設を全国で5万6,173か所を指定しているが、役場の庁舎や学校が中心である。地下施設は全国に3,336か所しかなく[8]、人口が多い都市部を中心に不足している。核攻撃にも耐えられるシェルターになると、個人向けがわずかに普及するだけで、人口カバー率は0.02%でしかない(表1参照)。そのため、政府の「基本的考え方」の公表に先駆けて、東京都は地下鉄にある防災倉庫をシェルターに改装する構想を打ち出した[9]。

写真 2:日本における核シェルターモデル施設

写真 2:日本における核シェルターモデル施設
出典: NPO法人「日本核シェルター協会」(茨城県つくば市)訪問時、筆者撮影(2023年7月21日)

 こうした施設への避難誘導や施設の運営、管理は、「民間防衛」の思想とは異なっている。日本においては国土防衛に関する国民の義務は憲法に定められていない。国民保護法は事態対処について「国民の自発的な協力」に基づくと定めている[10]。

4. 日本の今後のシェルター整備への示唆

 安全保障環境が厳しさを増す中、避難施設整備の必要性は高まっている。日本の現状とスイスなどシェルター整備の先進地域の歴史を踏まえ、今後の課題として2点指摘しておきたい。

 第一に、設置目的と施設の性格の明確化である。「基本的考え方」の技術ガイドラインでは、「特定臨時避難施設」について「着上陸侵攻、ゲリラや特殊部隊による攻撃、弾道ミサイル攻撃及び航空攻撃の4つの類型の武力攻撃事態を対象とし、それらに伴う爆弾、砲弾、通常弾頭による爆風等を外力とする」[11]と想定しているが、通常兵器による攻撃のみを想定するのか、CBRN事象も含むのか、明確ではない。想定の仕方により、求められる施設の頑強性や換気施設の規模は異なる。「特定臨時避難施設」や今後都市部に整備が進むとみられる「地下施設」は、核攻撃や生物、化学兵器攻撃までは想定しないということであれば、攻撃地からの広域避難や、避難先で重傷者を受け入れる医療機関の指定の在り方など代替策を示す必要がある。施設の整備が単に人口カバー率を上げるための数合わせになれば、有事における国民保護は機能しない可能性が高い。

 第二に、避難施設活用の実効性を確保、維持する取り組みである。武力攻撃事態を想定した訓練の強化は一案である。同訓練は国民保護法に基づき実施されているが、現状は図上訓練が中心である。2023年度は計17都道県が訓練を実施したが、実動訓練は2都県にとどまった[12]。民間防衛に基づく義務か、国民の自発的な協力か、どちらが日本にとって有効かの議論は、多角的な検討が必要で別の機会に譲るが、実動訓練の定例化により、政府、自治体、住民が避難施設への誘導や施設運営の手順に習熟できる。スイスの事例から、国際情勢が緊張緩和に向かう局面では、実動訓練の実施は難しいことがうかがえる以上、日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増す今こそ、実動訓練を重ねるべきだろう。

 こうした課題に応えることは、国民の保護強化につながるだけではない。「武力攻撃を克服する国民の強い意思を示すことにより、潜在的な侵略国に攻撃を断念させ、国家の抑止力を強化する」[13]ことにも貢献する。「基本的考え方」の公表を契機に、避難施設の整備や武力攻撃への対処について、国民全体の関心を高められるかどうかが問われている。

(2024/04/12)

脚注

  1. 1 内閣官房国民保護ポータルサイト「武力攻撃を想定した避難施設(シェルター)の確保に係る基本的考え方」2024年3月29日。
  2. 2 ルツェルン市のシェルター「ゾンネンベルグ」視察時の案内人・シェルベール氏の説明。
  3. 3 同上。
  4. 4 “SURVIVING UNDERGROUND : Guided tours of Sonnenberg civilian bunker ” (英語版公式パンフレット)。
  5. 5 『Civil defense』の日本語版として、スイス政府編『民間防衛』(日本語版)2022年5月、原書房がある。日本語版では72-91頁に核攻撃を受けた際の対応の詳細が紹介されている。
  6. 6 Swiss federal authorities “Shelters for the population,” November 22, 2023.
  7. 7 国民保護法150条「政府は、武力攻撃災害から人の生命及び身体を保護するために必要な機能を備えた避難施設に関する調査及び研究を行うとともに、その整備の促進に努めなければならない」。
  8. 8 内閣官房国民保護ポータルサイト「避難施設数一覧」2024年4月9日アクセス。
  9. 9 「小池知事「知事の部屋」/記者会見、2024年1月26日」東京都、2024年1月26日。
  10. 10 国民保護法第4条では「国民は、この法律の規定により国民の保護のための措置の実施に関し協力を要請されたときは、必要な協力をするよう努めるものとする。
    2 前項の協力は国民の自発的な意思にゆだねられるものであって、その要請に当たって強制にわたることがあってはならない。」と定められている。
  11. 11 内閣官房国民保護ポータルサイト「特定臨時避難施設の技術ガイドライン(概要)」2024年3月。
  12. 12 内閣官房国民保護ポータルサイト「国民保護訓練」2024年4月8日アクセス。
  13. 13 日下部晃志「日本型民間防衛は可能か」松下政経塾、2005年10月29日。