防衛費をめぐっては、重要なのが「金額」ないし「数字」なのか、「中身」なのかが議論になることが多い。近年の防衛費増額を批判する論者の間では、それが「金額ありき」によってもたらされたと理解されることが多く、金額を軸にした考え方自体が否定される[1]。「積み上げ」にすれば抑制できるはずだという前提のようだが、これが正しい根拠はない。積み上げれば予算要求がさらに大きくなる可能性も考慮する必要がある。
他方、2022年以降の防衛費の大幅増額を推進してきた政府・与党も、この過程は「金額ありき」ではなく、必要な中身を積み上げた結果だと主張してきた[2]。2025年1月に発足した第2次トランプ政権が、日本に防衛費増額を求めてくるのではないかという文脈では、「金額ありきではなく中身」だと繰り返している[3]。これは、現状以上の増額を牽制する観点である。
「金額ありき」は、防衛費増額の賛成派にも反対派にも嫌われているようだ。しかし、そこまで否定されるべきものではないはずだ。端的にいって防衛費は、本質的に「金額ありき」になるからである。そしてそれは必ずしも悪いことではない。「金額ありき」をスケープゴートにするのも、それを隠そうとするのも、正直な姿勢ではない。「金額ありき」を受け入れてはじめて、現実的で正直な議論ができるのではないか。
結論を先取りすれば「金額も中身も」重要だ。ただし、防衛費をめぐる昨今の議論では、「金額ありき」が否定されることが多いため、以下本稿では、なぜ防衛費には「金額ありき」という本質の部分があり、それを認めることが重要であるかに焦点を当てることにしたい。
防衛費決定における政治の役割
そもそも、軍事的な必要性で装備や設備などの所要を積み上げれば防衛費の全体像になるはずだという考え方は正しくない。
具体的には第1に、個別の装備や弾薬の必要数は、軍事的に1つの答えを出せない現実がある。ミサイル防衛の迎撃弾を思い浮かべると分かりやすい。迎撃弾は多く保有していればいるほど安心であり、国土・国民をよりよく守れる可能性が上昇するものの、国防に費やせる資源は無限ではない。どこかで線引きが必要になる。軍(自衛隊)が複数の選択肢を提示し、政治が、財政面を含めて総合的に判断して、受け入れ可能な範囲を定めるのである。外国に攻撃を受けたときに、迎撃弾が不足するとすれば、その責任は、数量を決めた政治が負わざるをえない。
第2に、防衛費に上限という数字の枠を設定するのが政治の仕事であるもう1つの理由は、それが文民統制の柱だからということだ。軍(自衛隊)が積み上げたものをそのまま承認するわけにはいかない。防衛予算を決定するのは議会であり、予算の民主的アカウンタビリティは民主的統制の基礎になる。積み上げに任せたら想定より増えてしまった、というわけにはいかない。当然である。

第3に、それでも、毎年の予算要求は積み上げの作業である。中身のない数字は存在しない。そのため、防衛費が積み上げだと主張することは、結果論として、形式上は正しい。しかし、それは真空のなかでの自由な積み上げではない。現場は、上限を見据えて、それに合わせるように不可欠なものから順に積み上げるのである。そして、金額が足りないときに削るものも用意しておく。総額を決める政治と積み上げる現場の共同作業だといえる。
結局のところ、防衛費の水準とは、防衛に対する国家の姿勢を示す最も明確な指標なのである。これは政治主導ということでもある。そのように考えれば、政治家が「金額ありき」を否定しようとするのは矛盾ですらある。「指標として単純すぎる」、「数字がすべてではない」と繰り返し指摘されつつも、GDP(国内総生産)比の数字が世界で使われ続けるのは、やはりそれが有用だからである。
「1%」から「 2%」へ
日本では長年GNP(国民総生産)ないしGDP比1%という数字が語られてきた。それは、防衛態勢を抑制的なものにするという日本の姿勢のあらわれだった。防衛費を抑制するための「金額ありき」だったといってもよい。ただし、いわゆる1%枠は、経済成長が続く限り、金額ベースでは自動的に拡大する仕組みだったことも忘れてはならない。
今日のGDP比2%という数字は、増額の目標として登場した。そのため、防衛費増額への反対派は、これを「金額ありき」だとして批判したのである。彼らの多くは、原則論としての「金額ありき」が嫌いだとは思えない。というのも、1%枠という「金額ありき」としかいいようのないものを維持するように求めていたのが彼らだったからである。今後、GDP比 2%を超えて日本の防衛費が増加するような場合には、 2%を上限として増額を抑制するロジックとして 2%枠が主張されるようになったとしてもおかしくない。後述するような3%に比べれば、2%の方が「マシ」だからである。
ここで、岸田文雄政権下で登場した日本の防衛費2%目標の経緯を振り返っておきたい。2022年の参議院議員選挙に向けた公約(政策パンフレット)で自民党は、当時のNATO(北大西洋条約機構)の国防支出目標であったGDP比2%「も念頭に」、防衛力を抜本的に強化すると述べた[4]。その後、同年11月には総理の判断として 2027年に(2022年のGDP比で)2%を達成するとの指示が出され、翌12月に承認された国家安全保障戦略で明示された[5]。並行して5年間の防衛費総額は43兆円に決定された。ここにいたる過程で、防衛省は当初55兆円や48兆円を求めたとされ、財務省は30兆円台や、最後は40兆5,000億円などを主張したものの、最終的に43兆円に落ち着いた[6]。
2022年12月、国家安全保障戦略の発表の際の会見で岸田総理は、「数字ありき」という批判があるがという質問に対して、「数字ありきの議論をしてきたということはない」ときっぱり述べ、積み上げだったと主張した[7]。「数字ありき」には批判的意味合いが強いため、否定せざるをえなかったとみられる。
しかし、5年間の総額が政治の駆け引きによって上下したのちに決着したことを踏まえれば、その結果が積み上げだったと主張するのはいかにも苦しい。実際、5年間の総額が積み上げによるもので、結果としてそれが、最終年度に偶然にも GDP比2%になると信じている関係者は皆無だろう。それでも「数字ありき」を否定せざるをえない現実は興味深い。

新たな数字へ?
そのうえで今後の課題として問われるのは、2%からのさらなる増額をいかに考えるかである。2022年の際に「念頭」におかれたNATOは、その後、2025年6月のハーグ首脳会合で、2035年までに各国の国防・安全保障支出を対GDP(国内総生産)比5%に引き上げることに合意した[8]。通常の国防予算が3.5%、サイバーやインフラ整備などの国防・安全保障関係支出が1.5%で合計5%という、いわば二層構造だ[9]。国防費(防衛費)のみに着目すれば、従来の 2%が、3.5%に引き上げられたことになる。
NATOの動きを受けて、米国にとっては、GDP比3.5%の国防費が、同盟国の国防負担のモデルになった。トランプ政権は当初、欧州諸国の国防努力の欠如を批判する立場にあった。しかし、米国の強い要求で欧州諸国が国防費引き上げへのコミットメントを強化したために、今度はアジアが欧州を見習うべきだという議論に大転換した[10]。オーストラリアには、国防相級ですでにGDP比3.5%の国防費達成が公式に要求された[11]。
日本では、防衛費の水準は日本が独自に決めるものだとの声が大きい。これ自体は当然の発想である。米国に求められて日本を守るというのは、根本からしておかしい。日本の防衛は、何よりもまず日本人自身の問題だからである。
しかし、そのうえで米国は、「欧州が3.5%なのに日本が2%でよい理由は無い」と考えるのが自然だろう。実際、米国も日本も、中国の挑戦はロシア以上だと強調し、インド太平洋地域の安全保障への傾注を主導してきた。インド太平洋地域の安全保障が欧州より厳しいのに負担が少なくてよいことにはなりにくい。欧州ではすでに戦争が起きているとして、欧州が国防費を増額するのは当然で、アジアとは異なるとの声もある。しかし、それだと、インド太平洋に傾注するという根拠は揺らぐことになる。さらに、「戦争が起きてからでは遅い、戦争は抑止によって防ぐ必要がある」という教訓を無視する議論にもなってしまう。
数字も中身も
結局のところ、「金額か中身か」ではなく、「金額も中身も」なのである。防衛費を増やさないための言い訳として「中身が大事」というのでは説得力がない。同時に、増額を弁明するために、「金額ありき」ではなく積み上げた結果だというのも正直ではない。
他方で、「数字だけではダメだ」という議論が、欧州で強調されはじめている。これは、国防費の増額が不要だという議論ではなく、予算だけを増やしても、抑止防衛態勢が自動的に強化されるとは限らないという指摘である。軍隊の増員は各国で困難な課題だし、武器・弾薬の製造能力が各国で不足する現実もある。加えて、国防への意識、マインドセットを変えなければならないとの声も多い。日本にもあてはまる部分が大きそうだ。
日本が、現行の2027年までの2%目標のあとに、最終的にGDP比で何%の防衛費・国防費が必要であるかを決めることは、NATOの3.5%目標を「参照」するか否かにかかわらず、日本政治にとっての重要課題になる。その際には、「金額ありき」を隠そうとしたり、「金額ではなく中身」のような議論を繰り返すのではなく、正面から金額を議論することが必要だろう。これが正直な議論の出発点になる。
(2025/07/25)
脚注
- 1 最新の好例として、「防衛費増要求 規模ありき 繰り返すな(社説)」『朝日新聞』(2025年6月30日)。
- 2 例えば、首相官邸「岸田内閣総理大臣記者会見」(2022年12月16日)。
- 3 例えば、首相官邸「内閣官房長官記者会見」(2025年6月27日午前)。
- 4 自民党「政策パンフレット 令和4年」(2022年)、4頁。
- 5 「国家安全保障戦略」(2022年12月16日)、19頁。
- 6 経緯については、例えば、杉本康士『日本の防衛政策――冷戦後の30年と現在』(作品社、2025年)が詳しい。なお、2027年に2022年のGDPの 2%に達するという目標は意図がわかりにくい。しかし、5年間の名目額を事前に確定する方式をとったため、やむをえなかったのだろう。というのも、2022年の時点で2027年のGDPを正確に予測することは不可能だからである。そして、これこそが「数字(金額)ありき」である。なお、従来は実質額を使い、さらに調整がおこなわれてきたが、今回は総額を厳しく制限する観点から名目額が選択されたという事情も加わる。さらに政府は、物価高や円安・ドル高の影響で、装備品が当初の想定の数量を調達できない可能性が高まっても、5年間の総額を変更しない方針を繰り返している。これも、防衛費の実態が積み上げではなく、金額ありきであることを強く示している。
- 7 首相官邸「岸田内閣総理大臣記者会見」(2022年12月16日)。
- 8 NATO, “The Hague Summit Declaration,” The Hague, June 25, 2025, paras. 2-3.
- 9 鶴岡路人「NATOハーグ首脳会合 国防費対GDP比5 %目標とは何か」『Foresight』(2025年7月5日)。
- 10 U.S. Department of Defense, “Remarks by Secretary of Defense Pete Hegseth at the 2025 Shangri-La Dialogue in Singapore (As Delivered),” Singapore, May 31, 2025.
- 11 U.S. Department of Defense, “Readout of Secretary of Defense Pete Hegseth’s Bilateral Meeting with Australia,” Singapore, June 1, 2025.