太平洋島諸国・国際政治講座

第1回バーチャルクラス「太平洋島嶼国と沖縄の関係」提出レポート

- 西堀 麻朝 -
「文化を垣間見るということ」

フランス領ポリネシアの首都パペエテがあるタヒチ島では、毎年6月末から7月にかけての1ヶ月間、ヘイヴァ・イ・タヒチという祭りが催される。祭りの期間中、パペエテ郊外に数カ所設けられた野外会場では槍投げや石の重量挙げ、フルーツ運び競争、コプラ採り競争、といったタヒチ周辺の島々古来のスポーツ競技が行われる他、バスケットや彫刻など工芸品作りの実演、マラエ(祭壇)での伝統儀式の再現、カヌーレースが行われる。ちょうどこの時期にタヒチを訪れる観光客にとってはポリネシアの伝統・文化を肌で感じる恰好の機会とも言える。このように様々な競技やイベントが開催されるヘイヴァ・イ・タヒチだが、タヒチ島に限らずフランス領ポリネシアの島々に住む人々が中でも最も注目するのはダンスと歌のフェスティバルである。事実彼らにとって、ヘイヴァといえば7月の祭りの総称よりもタヒチアンダンス・フェスティバルを指すことの方が多い。
このヘイヴァ(以下タヒチアンダンス・フェスティバルを指す)、1999年まではピラエというパペエテ郊外の村で行われていたのだが、近年パペエテの港を新しく埋め立ててつくった広場の屋外スタジアムで行われるようになった。会場が変わったと同時に、以前は誰でも無料で観ることのできたヘイヴァが、入場料を払わなければ観られないものとなった。タヒチ島で生まれ育った知人は、幼少の頃から毎年年に一度のヘイヴァを家族揃って観に行くのが楽しみだったが、今では観客席の数も限られ有料となったヘイヴァのチケットを手に入れることができるのは開催関係者や経済的にゆとりのある一部の住民か観光客ぐらいだと言う。ヘイヴァの開催時期がちょうど子供達の学校の冬休みと重なることもあり、以前のヘイヴァといえば住民も観光客もなくとにかく大勢の老若男女が集まり、ダンスや歌のパフォーマーと観客が一体となって盛り上がる真の「祭り」だったらしい。彼女が幼い頃は、同じ年頃の子供達と共にいつも観客側の一番前の地べたに陣取り、ダンスグループが踊り終えて退場する度にダンサーたちが落とした衣装の飾りなどをこぞって拾い集めたものだと話してくれた。しかし新しいスタジアムでは、一段高く設置されたステージと観客席との間には幅が広くとられており、周辺を警備員が見守る中ダンサーたちが踊り、歌う。以前のような光景はもうない。フェスティバルそのものも以前よりコンペティションとしての色が濃くなり、参加グループは賞をねらってヘイヴァに向けて猛練習する。ヘイヴァには、フランス領ポリネシアにある5つの諸島の島々からダンスグループが集まるのだが、旅費や衣装に莫大な費用が係るため地元やタヒチ島近隣の島々からの参加が圧倒的に多い。タヒチ島のヘイヴァに参加できないダンスグループのために同じソサエティー諸島のボラボラ島では毎年ミニ・ヘイヴァが開催されるようにもなった。
このようにヘイヴァの社会的・文化的性質が変わりつつある近年だが、果たしてタヒチの人々が継承していきたいと思う、あるいは自分達とは異なる文化を持つ人々に観て感じてもらいたいと思うヘイヴァの姿とはどうのようなものだろうか。もともとはフランス革命記念日を祝うために1881年から始まったヘイヴァ・イ・タヒチ、フランスによるタヒチ統治の歴史と深い関わりがある。その後ここ半世紀の間に、フランス領ポリネシアの人々にとって祭りはフランスとの関わりよりも島々の古来の伝統・文化を学ぶあるいは再認識する上で重要な役割を果たすようになった。一方、経済自立を目指して主要産業の一つである観光産業のさらなる発展に力を入れているフランス領ポリネシアが、近年ヘイヴァをタヒチならではの文化的アトラクションとして観光客に提供しようとする動きは、政府観光局の広報活動、あるいは空港の免税品で売られているヘイヴァのビデオや CDなどにも垣間見ることができる。コマーシャル化されたヘイヴァを批判するつもりはなく、むしろタヒチの文化に少しでも触れようと海外から訪れる者に対して寛容だとみなしたい。しかし、文化は不変ではない故にその真の姿はその文化とともに時を過ごしてきた人々のみが知るのではないかとヘイヴァの一例をもってつくづく感じるのである。

講師 松島泰勝先生からのコメント

興味深く御論文を拝読いたしました。タヒチにおけるフィールドワークを基にして、ヘイヴァ・イ・タヒチの変容について指摘されていました。以前は、タヒチの人々が伝統文化を享受していたが、島の経済自立化という政府の目標に従い、次第に文化が商品化され、地元民の自らの文化に対するアクセスに制限が設けられ、観光客のために島の文化が存在しつつあるという現状が展開されているのだと思います。
太平洋の島々の成長産業が観光業であることを考えると、同じ様な現象は他の島々でも程度の差はあれみられます。ただ、文化の商業化の過程において、新たな文化が見出され、住民の地域への拘りが強化したという島々もあります。例えば、沖縄ではエイサーが観光客に注目されるとともに、地域の青年会が互いに競争しながら、エイサーを盛り上げています。観光化が進むに連れて、沖縄出身の歌手が地元のメロディー、言葉を基礎にした新しい沖縄の唄が次から次に世に出ています。島はともすれば世界の周辺地域になりがちですが、観光化を一つの契機として地元の文化が活性化するという場合もあるようです。
同じフランス領土であるニューカレドニアでも文化のフランス化が顕著でありました。しかし、「メラネシア2000」という地元文化を再発見しようという文化祭が開催されてから、独立・自立運動が盛んになり、現在では伝統文化に対する理解が深まるとともに、政治的な自治権が与えられ、カナク人が経済的に自立する道も拡がりました。島における文化の観光化は全ていけないと否定するのではなく、地元民が参加でき、新たな文化創造へと導かれれば、島の活性化にもつながると考えます。タヒチでも、地元民が自文化から排除される状況を変え、地元民が参加し、文化の創造を行う担い手になるような体制作りが必要であると思います。

[特別講座] 松島泰勝講師の特別講座(2001年9月)
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