ミクロネシア講座

ミクロネシアン・セミナー

[第1回講義]昨日の神話、今日の現実

- フランシス・X・ヘーゼル、S・J - "Yesterday ' s Myths, Today ' s Realities" America, 24 May, 1980, 434-7

サマセット・モームやルイ・ベッキの作品からミクロネシアと聞くと白い砂浜、太平洋の穏やかな波、微笑みをたたえた人々を連想する方が多いだろう。また実際、ミクロネシアを初めて訪れる人々にはそのように見えるかもしれない。だがミクロネシアに長年にわたって住んでいる我々外国人には現実の姿が良く分かる。ウォッカの瓶の破片、小屋のトタン屋根の錆、道路ぎわに捨てられた車など、現代生活から出るゴミがあちこちに散乱している。また社会生活も楽園とはほど遠い。自殺者が出たとか、パーティの場で暴力事件が起きたとか、毎週のように報告される。また諸外国と同じように、高血圧、糖尿病、過剰消費など、現代社会が抱える問題とも無縁ではない。風通しの良い家から世界の終末を予言するような出来事を見ながら、私たち外国人は、今日のミクロネシアの生活とは大きく異なる、文学の世界のなかだけに存在していたミクロネシア、憧れの離島の生活が失われてしまったことを残念に思っている。

古き良き時代、質素な望みとつつましい生活があったあの時代はどこに行ってしまったのだろうか?現在の状況がこんなに悪いとしたら、近い将来どんなに悲惨なことが起こるのだろうか?

ミクロネシア生まれの友人たちは私たちの暗い予想に耳を傾けてはくれるが納得はしない。今ミクロネシアの島々で働いている平和部隊の隊員たちや他の外国人はルソー流のロマンチシズムにかなり毒されていることで有名だ。美しい遺産を守り、伝統を保存するようにとの我々の願いは微笑みとともに無視されてしまう。最近行われた教育関係の会議で、ある太平洋の島の住民が語ったように、ミクロネシアの人々はすでにリンゴをかじってしまったのであり、後戻りはできないことを十分に認識している。1世紀半にわたり欧米4カ国の支配を受け、教育、ブルージーンズ、チーズバーガーなどの味を知り、また将来も、このような文化的生活をするチャンスが与えられることだろう。オセアニアの隣国の人々同様、ミクロネシアの人々は我々の警告など無視して、喜びやストレスの多い現代社会の構築に向かって進んでいる。ミクロネシアの人々の目には、ミクロネシアの島々の将来は、パンの実叩きやカヌー作りと並んで多国籍企業、インフレ、金の価格などと切っても切れない関係にあるもののようだ。

今日の課題は、ミクロネシアの人々が近代化を選ぶか否かではなく、どのような条件で近代化を進めるか、にある。生活水準の向上を支えるだけの強力な経済を開発するとともに、長年願ってきたような政治的独立を得ることはできるのだろうか?欧米化とは冷たいビールや香水入り石鹸などを普及させることだけではない。欧米化が進むに伴って、人々は名実ともに自分たちの政府が欲しいと願うようになる。欧米化には悲惨なジレンマが伴う。欧米諸国は、先進諸国で開発された眩しい光を放つ製品を植民地の人々に見せびらかしながら、値札を見せ、「このような製品を自力で購入できるようになった時自由が得られるだろう」と言うのだ。

第二次世界大戦後、国連による信託統治地域に指定され、米国の支配下にあったミクロネシアでは60年代初頭、ケネディ政権時代に大きく近代化が進んだ。第二次世界大戦中に激しい戦闘が展開されたこの地域は、米国防省にとって戦略的に非常に大きな意味をもち、米国は安全保障上の理由からミクロネシアの支配権を保有する意志を固めていた。1962年4月18日、ケネディ大統領は政策変更を明記した国家安全保障対策覚書に署名、近い将来、国連による信託統治が終わった時にはミクロネシアの人々が米国と緊密な関係を維持する道を選んでくれるよう期待した。米国のこのような意図は、自由世界の反植民地運動に逆行するものではあったが、米国の国益にかなうものはミクロネシアの人々の幸福に結びつくと単純に考えられていたようだ。

当時の開発に関する考え方は「人への投資」を重視したものであり、800もの政策から構成された開発理論はミクロネシアの人々に対して説得力があった。工場をはじめとする生産設備より、一般の人々の教育や健康への投資が発展に結びつく、というのが論点だった。教育を受けた人々が大胆に「慣習や因習を破り」、自分たちに富をもたらす経済基盤を築くと考えられた。そして計画通り、信託統治地域にある80から100の島々の一つ一つに小学校や診療所が建てられた。ミクロネシアで働く契約を結んだ米国人の教師が新設された学校に来て英語を教え、数年後には平和部隊のボランティアたちが派遣されてきた。

70年代初頭には、ミクロネシアでの教育活動の中心は初等教育から中等教育へと移った。新しい教室が造られて既存の施設が拡充され、あっという間に生徒数は2倍から3倍になった。ではこのような学生たちは高校を卒業してからどうしたのだろうか?もちろん大学に進学したのだ。恵まれない人々のための米連邦補助金が国連委託統治地域に初めて支給されたのは1973年だった。基礎教育機会補助金(ベイシック・エデュケーショナル・オポチュニティ・グラント)が導入され、多数のミクロネシアの若者が米国の大学に進んだ。彼らの目的は、就職をし、「良い生活」をする人々の仲間入りをするための鍵であると思われた学位を取得することにあった。かつてのように大学教育は頭の良い人々のための特権ではなく、誰でもが得られる権利となった。

ミクロネシアを揺さぶった教育改革の規模は、ある一つの島の変化を見ればすぐ分かる。約38,000人が住むトラック島では、60年代初頭には高校を卒業するのは毎年13人ほどだった。それが5年後には60人になった。70年代初頭には150人。それから数年後には300人になった。一方、大学進学者の数は1970年の50人から1974年には240人に増えた。そして2年前には約700人が大学に進んだ。

昨年の教育予算は1,800万ドルだった。これは米国の膨大な社会サービス予算が流入する前、60年代初期の信託統治地域全体の年間予算の倍以上である。現在、ミクロネシアの教育部門は2,500人を雇用する、信託統治地域最大の産業となった。昨年は1,000万ドルに上った社会サービスコストを含めると、「人への投資」総額は年間2,800万ドルにのぼる。

では投資はそれなりの効果を上げているのだろうか?ある意味において、答はイエスだ。米国の信託統治地域に対する予算は過去10年間に急増して年間平均7,500万ドルとなり(米連邦政府から別途に支給されるプロジェクト運営費を除く)、政府は今では約9,000人を雇用するまでになっている。彼らに支払われる年間給与総額は約3,500万ドルで、これが信託統治地域全体の経済を下支えしている。政府歳出のおかげで、バー、レストラン、映画館、スーパーマーケットなどさまざまなサービス産業が生まれ、民間部門で働く人は7,500人にのぼる。信託統治地域の政府が支払う給与が先端機器の購入に使われ、今ではミクロネシアのあらゆるところにハイテク機器が見受けられる。テープレコーダーやステレオセット、コンクリート製住宅、ホンダ車やトヨタ車などを購入する資金は全て米政府から出ていることを、教育を受けたミクロネシア人ならだれでも良く知っているのである。

だがもちろん1963年から導入されている「人への投資」政策が教育に好ましい影響を与えていることも明らかである。現在、高校を正式に卒業した、あるいは同じ資格を持つミクロネシア人は1万人近くおり、今後10年間にこの数字は倍増するだろう。教育を受けたこのような人々は今日のミクロネシア経済の恩恵にも被りたいと願っている。彼らは従来の漁業や農業ではなく、ミクロネシアでは唯一の安定した雇用先である公務員を目指す人が圧倒的に多い。教育によって個人個人の生活が充実したものになり、仕事への情熱が高まってはいるが、かつて開発と発展の必要性を説いた人々が約束したような経済発展はまだ見られない。彼らが「ミクロネシア独自の収入源の開発」に貢献したと言えるとしたら、信託統治領政府のさらなる発展、そしてそれを支援する米ドル収入を増大させ、将来の雇用確保に向けての圧力となったことくらいだろう。

だがお天気と同じように経済生産性は向上してはおらず、それを話題にする人は多いが、対策を講じる人はいない。信託統治地域からの輸出は1963年の約300万ドルから現在の約1,000万ドルまで拡大したが、この大半を占めているのがパラオからの海産物の輸出だ。このような海産物の輸出会社は米国の所有下にあり、沖縄出身の漁師たちが経営に当たっている。一方、輸入は同期間に500万ドルから5,000万ドル近くまで拡大した。

だが60年代初期に導入されたスピーディな近代化計画の目的が(経済開発より社会サービスの提供に重点が置かれた)、ミクロネシアの米国に対する依存度を拡大することにあったとしたら、計画は大成功を納めたと言える。米政府のミクロネシア予算が年を追うごとに拡大するにつれて、かつては贅沢と思われたことが日常的なものにあり、新たな計画に対する要請が強まっていった。拡大する一方の信託統治地域の官僚機構を支える米予算の重要性が年を追うごとに増していった。米政府が信託統治の終結に向けて同地域の準備を進めさせようと予算に上限を設けると、速やかに補正予算が組まれ、そのおかげで過去数年間は拡大する政府を支えることができた。米連邦政府からの補助金は1973年の約500万ドルから1978年には3,400万ドルに拡大したが、そのおかげで採用窓口の前に行列を作り、ミクロネシアの経済成長という幻想に取り付かれた新講卒者たちに雇用を提供することができた。その結果、政府の予算が削減されなくてはならないという時に政府歳出は拡大することになった。

開発と発展を目指すための「人への投資」アプローチをめぐる神話はあまり聞かれなくなったものの、このアプローチがもたらした影響はミクロネシアに依然としてありありと残っている。信託統治地域には相応しくないほどの大きな政府が残り、この政府を維持するために年間約8,000万ドルが必要となっている。これはミクロネシアの輸出額のほぼ10倍である。また毎年1,000人ほどの高卒者が誕生、労働力として「良い生活」をする権利があると主張している。しかも、信託統治地域を構成する3つの行政地域が、国連信託統治にもとづく35年間にわたる米国の支配が終わろうとしている時期にこのような問題に直面しているのだ。ミクロネシア、パラオ、マーシャル諸島の3つの行政地域は来年、米国との自由連合として知られる非常に珍しい政治体制を持つ自治領となる。過去10年間にわたって交渉が進められてきた自由連合協定の内容によると、各自治政府は内政の責任を全て負うとともに、外交の大部分を任されることになる。米政府はこれらの島々の防衛を引き受けるとともに、向こう15年間にわたって財政支援を徐々に削減しながらも提供し、その代わりにミクロネシアの島々を軍事目的で使用する権利を取得する内容で合意している。

ミクロネシアに対する米政府の政策、少なくともワシントンにある米政府省庁の一部の対ミクロネシア政策はケネディ政権時代の政策とは異なる。これはワシントンを中心に植民地主義に反対する意見の高まりが見られたことが理由だろう。またお金だけの拘束にしろ、拘束された状況にある同盟国は本当の意味での同盟国ではないとの実利的な認識が広まったことも理由だろう。カーター大統領は、理由は何であれ、完全独立を含めてミクロネシアの人々が求める政治体制を与える用意があることを発表した。

皮肉と言えば皮肉だし、当然と言えば当然だが、ミクロネシアの人々は完全独立を得られるチャンスの到来にやや尻込みしているように見える。自由協定にもとづいて作られる自治政府にしても、自治政府の設立が、政府予算の拡大や豊富な雇用、豊かな物資などに別れを告げるものと解釈する人々にとっては不安の対象でしかない。学校、ジーンズ、チーズバーガーなどへの憧れは依然として続いており、このような便宜さや物資の豊かさを自治と引き換えに失わなくてはならないとしたら、自治を得る代償はあまりにも大きい!

ミクロネシアの政治指導者たちは、翌年に迫った住民投票の前に、住民に自治政府の設立を納得させなくてはならない。人々が多額の予算や質の高い公的サービスに慣れるに伴って、それまで聞こえていた緊縮財政を求める声は聞かれなくなった。ミクロネシアの政治指導者たちが国連のアドバイザーからなるチームに信託統治の終結に備えるために開発計画の策定を依頼したのはわずか5年前のことだ。国連のアドバイザーチームは政府歳出の大幅削減と人材の民間部門への移管を薦める内容の開発計画を提出したが、計画書は今では無視され、棚の上に乗せられたままだ。政府歳出の大幅削減とは、学校や診療所の閉鎖、若者向けプログラムの縮小、多数の公務員の一時解雇を意味する。これはミクロネシアの政治家にとっては政治生命を失うに等しい。

ミクロネシアの政治指導者たちは、ミクロネシアの将来の経済発展のために必要であると十分認識している政府歳出の削減を実施するため、政治的により便利な方法を必死になって探し、最終的に別の手段を講じた。米国人アドバイザーの支援を受けて、痛みを伴わない経済発展という希望を与える新プランを策定したのだ。新プランには「大きな政府のメリットと実質経済成長の両方を享受できる」と明記されていたが、現実はむしろ逆の展開になることがさまざまな面からほぼ確実である。新プランはプランというより単なる神話に終わるだろうとの懸念を裏付ける理由さえある。

新プランには、政府のサービスを削減せずに、ミクロネシア既存の経済に生産性の高い産業を接ぎ木する、と明記されている。自由協定が発効してから最初の5年間は、米政府はミクロネシアに対する予算を20%も拡大することになっている。他の2つの条件さえ満たせば、予算削減や人員解雇、現在の生活水準の引き下げなどは避けられる。

新プランは、経済発展のチャンスが創出されるに伴ってインフラがスピーディに整備され、新施設の建設が進めば経済発展はスムーズに進む、と述べている。そこで膨大な資本投資の第一期として、空港や港湾、道路、電力・水力発電所の建設が急ピッチで進められている。米国の特別財政支援を受けて行われているこの5ヶ年計画の総工費は約2億ドルにのぼる。第一期工事はほぼ完了に近く、第二期工事計画が現在作成されているが、第二期では都市部以外の地域に発電所や道路が建設される予定だ。もちろん、新施設が完了すれば、その後のメインテナンスのための資金と財源をどう確保するかという問題が当然ながら発生する。現時点の試算では、新施設の維持・運営と修理に年間約3,500万ドルにかかると推定されているが、これはミクロネシアの新政府にとって非常に重い負担となろう。

新プランは、インフラ整備が完了したら、適切な額の「種」資金を開発プロジェクトのために確保し、新しい産業や新しい収入源を創出する、と述べている。自由協定には、開発プロジェクトの財源として十分な資金を準備する、と明記されている。だがミクロネシアに20年住んだ経験から判断すると、ミクロネシアに生産性の高い産業が根づかないのは資金不足や経営ノウハウの不足が理由なのではない。頭脳明晰なミクロネシア人はほどんどが公務員になってしまっているか、ビジネスの分野に進んだとしても、小売業などの比較的安定したビジネスに従事する場合が多く、漁業や他の、より生産性の高いビジネスに携わる人はほとんどいないことが本当の理由だ。だが安定した収入源が確保できる時に、リスクの多いビジネスを始めなくてはならない理由があるだろうか?このような背景を考えれば、経済発展とは資金があれば見られる現象ではなく、本当の必要性があってこそ生まれるものであることが分かる。

開発プランが失敗に終わり、他の手段も期待通りの成果を上げなかったとしても、ミクロネシアには最後の切り札がある。バーター権を持っているのだ。島の軍事基地としての使用と200海里内での漁業を認める代わりに、ほどほどの規模の政府を維持するために必要な資金を得る、という方法だ。だがこの方法を採った場合には政治的独立はあきらめなくてはならないかもしれない。

新開発プランの通り実行した場合、現在のような政府の金に依存した規模の経済は維持することはできるだろうが、逆に生産性の高い経済を創出、運営して、政府を支えるということはできないだろう。近い将来何らかの産業が生まれたとしても、拡大する一方の政府を支えるコストに押しつぶされ、米国、あるいは他の国の政府の財政支援を要請する結果に終わろう。つまり、新自治政府が誕生し、内省的には政府としてそれなりの役割を果たしたとしても、恒久独立を勝ち得ることは難しい。

ミクロネシアの指導者たちは、信託統治期間に植え付けられた贅沢から脱却するのだろうか、それとも、最後の望みとして創らざるを得なかった神話を信じるのだろうか?彼らは、人々の憧れと国際社会の政治的現実の間で非常に難しい立場に立たされており、状況は時の経過とともにさらに悪くなるばかりである。

現在でさえ、米政府高官は信託統治地域を視察し、米連邦政府の新たな開発プログラムの適用先を探している。またカリフォルニア選出で、地域・島問題下院小委員会の議長を務めるフィリップ・バートン下院議員は、連邦政府がミクロネシアや他の属領に非常に柔軟性のある補助金を支給するよう要請している。このような、一見親切には見えるが誤った認識にもとづく政策はミクロネシアのような地域の対外依存度をますます強めるだけだ。米連邦政府の予算が1ドルでも拡大すれば、たとえその名目が高齢者や障害者のためであっても、ミクロネシアは自立や政治的独立という目標から離れていくばかりだ。人権が尊ばれる現在、独立を模索している国には、自分たちが直面している社会問題に対する建設的な解決策を自ら見い出す権利が与えられてしかるべきだ。親切な米議会や官僚が、高価な社会政策など一連のプロジェクトをミクロネシアの人々の目の前にぶらさげて見せるのは、長期的に考えればミクロネシアの人々の利益拡大に直接的につながる経済成長という、厳しさは伴うがより健全な道からミクロネシアの人々の関心を反らすことになる。

このような現実を目前にして、ミクロネシアに住む外国人の私は、地元の政治指導者と同じようなジレンマを感じざるを得ない。ミクロネシアの人々に向かって話しているのに、ミクロネシアの人々に代わって話をしているような誤解を受ける可能性があることを承知のうえで、警告を発すべきだろうか?長年にわたって自分で決定を下し、自分の意見を明確に述べるように奨励した後で、ミクロネシアの人々が選んだ道を非難すべきだろうか?あるいは最後の手段として、ミクロネシアの人々の利益拡大につながるとの信念にもとづいて、米国民に実状を訴えるべきだろうか?

私は最近、あるセミナーで、ミクロネシアの人々が本当に自立の道を選ぶなら、近代化を一部先送りする必要があると説いた。これは私が以前から主張していたことで、私の教え子の一人は、私が現在の政策への批判を展開するのを聞いて、手強い反論をしてきた。彼は、私が享受してきた生活を彼や彼の子供たちが享受するのをなぜ否定するのか、と「あなたは冷蔵庫や自動車を持っているし、良い教育も受けた。私たちが同じことを欲しがってはなぜいけないのか?」と聞いてきた。米国が愚かでミクロネシアに次から次へと贈り物をくれるのなら、ミクロネシアの人々は「贅沢中毒にならないように注意しながら」米国の愚かな寛大さを自分たちのためにだけ利用すればよい、と言うのだ。

私は彼に、近代化がもたらすメリットを彼が享受するのを否定しているのではなく、近代化がもたらすメリットが一時的なものではなく、ミクロネシアに恒久的に定着するよう強く願っているだけだと伝えた。政治的独立への情熱を失わずに近代化を進める唯一の健全な道は、段階的に近代化を進めることだと私は考える。私は教え子である彼に、トラック、エアコン、学位などはそのような時が来れば手に入るが、人々の物的欲求を支えられるだけの経済基盤が確立されないうちに、うわべの贅沢だけをあせって手に入れようとするのは幻想でしかないことを納得させようとした。某おどけ者がかつて言ったように、ミクロネシアがビールを飲む予算しかないのにシャンペンを欲しがる社会だとしたら、少なくとも当分の間、ビールで我慢しようではないか。

後日私は、自分があの教え子のような若者だったらどうしただろうかと自問自答した。おそらく、もっと予算を、もっと米連邦政府プロジェクトをくれと嘆願し、色々なものを欲しがって近代化という幻想に浸ったことだろう。もし私が川を利用したトイレを使って育ち、後に水洗トイレの便利さを知ったとしたら、遠い将来の漠然とした経済的目標を達成するために、過去に戻るようなことを受け入れるとは思えない。ブルージーンズやチーズバーガーには政治的独立より強い魅力があるのだ。これがミクロネシアが現在直面している問題である。

だがもし私が米議会の議員だとしたら、水洗トイレの代金を負担するための法案などは通過させないだろう。

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