Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第311号(2013.07.20発行)

第311号(2013.07.20 発行)

「水球」の世紀へ

[KEYWORDS]水球/海の視点/都市文明の再設計
京都造形芸術大学教授◆竹村真一

近代日本の歴史は"水に背を向け、海を忘却する歴史"であったが、そろそろ新たな時代への適応進化に備えて近代を「脱衣」し、古代・中世の海洋的伝統も含めて自らの多様な文化ストックを棚卸して、地球(水球)的な文脈で自らのアイデンティティを再構築すべき時だ。

水球としての地球

地球は宇宙で稀なる「水球」である。水分子H2Oは宇宙で稀少な物質では必ずしもないが、これだけ豊富な"液体"の水が表面の7割を覆っている星は極めて稀である。系外惑星が次々と発見されても、この地球の「有難さ」にかわりはない。
そして、この膨大な液体の水=海洋は生命の揺りかごとなっただけでなく、この惑星の気候安定装置でもある。たとえば月の表面温度は太陽の当たる昼の側と夜の側で±200度以上の差があるが、太陽からほぼ同じ距離にある地球の昼夜の気温にこれほど極端な差が生じないのは、熱容量が大きく温度差を吸収する緩衝剤としての「海」があるからだ。
水の稀少さを強調するために「地球の水資源の97%以上が海水で、淡水は僅かしかない」と、まるで海の水が無価値のようにいう人がいるが、これは"水球"としての地球の本質を無視したミスリーディングな表現といえる。さらに熱帯と高緯度地域のエネルギー偏差を解消するグローバルな水の循環─すなわち海流(熱塩循環)と気流(膨大な潜熱を孕んだ水蒸気流)が、極地まで人の居住と生物多様性を許容する安定した気候環境を創り出している。
私たちは水が流れ、広大な海が存在するというこの星の見慣れた風景、いわば地球的な日常の宇宙的な破格さを認識した人類史上初めての世代であり、その意味で現代はめくるめく「既知の未知化」の時代といえる。

海洋の文明史観

■筆者がプロデュースした『触れる地球』。球体のモニターに、気象情報をリアルタイムで映し出すことを可能としている。洞爺湖G8サミットではこれまでより小型の5台の『触れる地球』が展示された。

かのバックミンスター・フラーは、こうした事実を「宇宙船地球号は水冷式の機関である」という見事な表現で言いあらわした。だが、そもそも宇宙船地球号というユニークな命名自体も、実は「海の民」としてのフラーの生き方、海軍士官としての経験に基づくものだった。
宇宙空間を航行する船としての地球のイメージは、広大な海をゆく孤独な船─陸側から地球を考えるのではなく海の側から、国境のない、ひと連なりの海洋空間としてこの星の全体像を認識しようとする「航海者」の視点から生まれたコンセプトにほかならない。
彼はこうした「海洋中心的」な思考を人類文明史の考察にも拡張し、四大文明に象徴される大陸起源の文明観に対して、海洋起源の文明史観を展開。たとえばボロブドゥールなどに典型的にみられる同心円状の仏塔群─当然のごとくインド大陸起源と考えられてきた仏教・ヒンズー的な建築様式も、実はそのデザイン・モチーフは太平洋の火山島(環礁群)であるという極めて斬新な視点を提示する。
そうした海洋的な原風景が、後氷期の急激な温暖化と海面上昇に伴い、火山島の大規模な洪水・水没イベントの記憶とともに、水没したスンダ大陸(現在の多島海インドネシア)から、アジアの大河を遡上した海の民によって北方インドにも伝えられた。この仮説に従えば、インドからインドネシアに紀元後に伝わった仏教・ヒンズー建築様式は、実は海洋的な記憶の「逆輸入」であったということになる。
2万年前の最終氷期から現在まで海面が120mも上昇したことを考えれば、「ノアの箱船」などの洪水神話も含め、こうした洪水と水没の記憶が人類文明の普遍的な古層を形成していても不思議はない。
「農耕革命」や「都市革命」も急激な気候変動(温暖化に続く寒冷化・乾燥化)に対する人類のクリエイティブな適応であったといわれ、人類史・文明史を地球環境の変化との関わりで捉える視点が一般化しつつあるが、そこでもまだ「大陸中心的」な文明観を引きずっているのは否めない。私たちの伝統や文化のなりたち、歴史や文明を語る視点に、もっと「海」側からのまなざしが必要だ。

水に背をむけた文明

日本史研究に「海」の視点から革命をもたらした網野善彦によれば、"島国"とは海に囲まれ、外部から孤立した国という意味では本来なく、むしろ「島」ゆえに海洋という無限の交流・交易空間に開かれた場所であるという。実際、近年の内外の古代・中世史研究はそれを証明しており、「島国根性」とは近代の大陸中心思考の鏡に映った歪んだ自己像にすぎない。
だが残念ながら、近代日本の歴史は"水に背を向け、海を忘却する歴史"であった。水運を陸上交通へと代替し、「水の都」を陸の都市へと作り替えるなかで、日本橋の上にも高速道路を通し、汐留や日比谷(海苔を養殖する竹のヒビに由来)といった海の記憶が地名に残る場所ですら、海を感じることのない人工空間をデザインしてきた。東北三陸をほぼ30年毎に襲う大津波、100年~150年の周期性をもつ東海・東南海津波といった科学的事実すら他人事と感じられてしまうのは、それだけ「海」というものが私たちのなかでリアリティを失っていることの表われでもある。
だが自分で着た服なら、脱ぐこともできる。近代帝国主義が世界で覇権を競うなかで、自らも大陸起源の国家観・文明観で武装せざるを得なかったのは当然だが、そろそろ新たな時代への適応進化に備えて近代を「脱衣」し、古代・中世の海洋的伝統も含めて自らの多様な文化ストックを棚卸して、地球(水球)的な文脈で自らのアイデンティティを再構築すべき時だ。

海の東京オリンピックを!

そして理念だけでなく、現実に海をリアルに感じられるような都市文明の再設計を行うこと。
たとえば世界からの玄関口・羽田国際空港に、海中トンネルや海中で豊かな江戸前の魚が群れる様子が見られる海中レストランをつくる。浜離宮(汐留)の"汐入り公園"のように潮汐に応じて潮を入れ、地球の呼吸にあわせて一部が水没するようなウォーターフロント空間を都心にデザインする。あるいは2020年の東京オリンピックの水泳競技場を、陸上に孤立した体育館でなく、水路や海と連続した水辺の浮体構造として設計する。
そろそろ近代オリンピックも近代を「脱衣」すべき時だ。何でも史上初が好きなIOCに、史上初の"海の上での陸上競技"、水上都市オリンピックをプレゼントしてはどうか?
そして何より人口の半分、社会資産の4分の3が水害に脆弱な沿岸低地に集中する日本が、3.11を契機にあらためて水と海のもたらす「災い」と「恵み」に正面から向きあい、水没をある程度許容しつつ"変動する水球"と共進化する文明設計の新たな道を見いだすこと。─それこそが小手先の成長戦略よりもずっと骨太で飛距離の長い、次世代の日本の国家デザインではないだろうか。(了)

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