Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第261号(2011.06.20発行)

第261号(2011.06.20 発行)

東日本大震災で懸念される海の化学汚染

[KEYWORDS]セシウム/PCB/ダイオキシン類
愛媛大学沿岸環境科学研究センター・教授◆田辺信介

未曾有の災害をもたらした東日本大震災は原子力発電所を襲い、セシウム-137など放射性物質による環境汚染が深刻化している。
懸念される化学汚染は、これだけではない。津波によるPCB含有廃トランスやコンデンサーの流出、災害廃棄物の焼却処理によるダイオキシン類の発生など、海洋汚染の動向を見極めねばならない化学物質は多数ある。

放射性物質による海洋汚染の動向

本年3月11日に発生したマグニチュード9.0の巨大地震は37.9mの津波を誘発し、東日本沿岸に大災害をもたらした。この震災により、福島第一原子力発電所はチェルノブイリに匹敵するレベル7の深刻度を示す原子力施設事故として烙印を押された。原子力安全委員会は、63万テラベクレルを超える放射性物質の外部放出があったと推定しており、立地状況や場当り的な事故対応から判断すると相当量が海洋へ流出したことは疑いない。海洋に流出した放射性物質は海水を汚染し、生態系に侵入して生物濃縮され低次~高次生物に蓄積される。一般に、有害物質の生物蓄積性を議論する場合、放出量、半減期、生物濃縮性の情報が必要となる。今回の原発災害の場合、放出量の多い137Cs(セシウム-137)と131I(ヨウ素-131)が最も懸念されるが、131Iは半減期が短いため長期的・慢性的な生物汚染と影響は小さいと考えられる。一方、137Csは半減期が長く生物濃縮性もあるため、環境中に長期間残留し食物連鎖を通して多様な海洋生物に蓄積することが予想される。水ー魚介類間の生物濃縮係数は数百倍で、上位生物の濃縮係数は千倍以下とみられており、後述するPCB(ポリ塩化ビフェニール)等と比べると137Csの生物濃縮係数は3~4桁小さいが、放出量が多いため海域によっては海水中の濃度が上昇し、千倍程度の濃縮率でも生体リスクの閾値に達する可能性がある。海水および多様な生物種(プランクトンから海鳥・海棲哺乳動物まで)について長期モニタリングを実施し、汚染の実態と動向を理解する必要がある。
図は、20世紀後半における海棲哺乳動物の137Cs汚染についてまとめた筆者らの論文の抜粋である(Environ. Sci. Technol., 37, 4597-4602[2003])。東日本に分布する海棲哺乳動物の汚染レベルはきわめて低く、この時代の東北沖は世界でも有数の清浄海域であった。今回の原発災害で放射性物質による東北沖の生物汚染がどのように変化するのか、重大な関心を持ってモニタリングを実施・継続する必要がある。また、この図から、北海や東欧・ロシア圏の陸封湖(バイカル湖、黒海など)における水棲哺乳動物の137Cs汚染レベルは高いことがわかる。20世紀後半において、この地域の核の管理が不適切であったこと、事故が多発したこと等が原因と推察されるが、長期にわたり汚染源から水圏環境へ137Csが流出したことも一因と考えられ、今回の福島原発災害では流出防止対策を急ぐ必要がある。

懸念される他の有害物質


■20世紀後半における鯨類・鰭脚類の137Cs汚染(棒グラフは各種複数検体の平均濃度)。前世紀の東北沖は世界有数の清浄海域であった。福島原発災害により生態系の汚染は今後どのように推移するのであろうか?

今回の震災は放射能の問題だけでなく、多様な化学物質の流出をもたらしたと考えられ、とくに廃トランス・コンデンサーに含まれるPCBの汚染が気がかりである。わが国で生産・利用されたPCBは約6万トンでその大半はトランス・コンデンサーなど電気機器の絶縁油として使用されたが、カネミ油症事件などの人災が発生しその汚染と影響が社会問題化したため1974年に第一種特定化学物質に指定され、原則生産・使用禁止となった。PCB含有廃トランス・コンデンサー(PCB廃棄物)は電力会社や事業者によって長年保管されてきたが、2001年にPCB処理に関する特別措置法が整備され、全国5カ所に処理施設を建設して順次無害化がすすめられていた。その矢先に今回の震災にみまわれ、津波によってPCB廃棄物が海洋へさらわれる事態となった。環境省は現在各自治体から情報を収集しているが、今なお実態はつかめていない。
今後進むであろう大量の廃棄物処理(焼却)にともなうダイオキシン類の生成と汚染も危惧される環境問題の一つである。東日本大震災で倒壊した家屋やビルなどの災害廃棄物は約2,500万トンにのぼると環境省は推計している。この量の大半は津波廃棄物(海ゴミ)で、地震動による家屋被災で発生した震災廃棄物(陸ゴミ)および車や船舶などは含まれていない。したがって全体の廃棄物は莫大な量になる。焼却等によるこれら廃棄物の処理には3年の期間を要するとされており、復興の隘路となることも懸念されている。大量の廃棄物を安全に処理できる高温の焼却炉は全国に立地しているが、震災で発生した膨大な廃棄物を速やかに処理できる数ではない。したがって、野焼きや低温の焼却炉で廃棄物の処理が行われる可能性があり、ダイオキシン類等有害物質の生成と環境汚染の拡大が懸念される。海水で洗われた廃棄物の低温燃焼は、ダイオキシン類の生成を加速するとされていることから行政による注意喚起と監視が必要である。
この他問題視されている有害廃棄物として、アスベストがある。また医薬品や注射針・メス等の感染性医療廃棄物も危惧されている。大量の車両や船舶等の廃棄物は重油、灯油、ガソリン、鉛バッテリーに由来する汚染が、また電池、パソコン、家電製品、車などに含まれる難燃剤や微量元素の汚染も心配される。

汚染に脆弱な海洋生態系

上記の有害廃棄物は津波によりすでに相当量海洋へ流出したことに加え、埋め立てや焼却によって今後継続的に環境へ流出する恐れがあり、放射性物質だけでなく多様な有害物質について環境モニタリングが必要と考えられる。海洋生態系の頂点に位置する鯨類は、海水の数百万倍~数千万倍の濃縮率でPCBを体内に蓄積すること、ダイオキシン類の毒性に対して敏感な遺伝子を有すること等、有害物質に対する脆弱な一面が最近の研究で明らかにされている。ヒトだけでなく海洋生態系全体を保全する有害物質対策が強く求められる。
今回の地震発生の1週間前に、茨城県沿岸にカズハゴンドウ(Peponocephala electra)が集団座礁し死亡した。そのうちの9頭を愛媛大学に運搬し、生物環境試料バンク(es-BANK:Ship & Ocean Newsletter第128号 [2005.12.05 発行] 参照)にホールボディで冷凍保存した。これらの検体は5月中旬に国立科学博物館等研究機関の協力を得て解剖し、化学分析に必要な臓器・組織を確保した。イルカ等鯨類の漂着はわが国沿岸で頻発しているため、今後東日本へ漂着する検体も入手できることから、カズハゴンドウと比較することで今回の震災による多様な化学汚染の動向と影響の解明が期待される。なお、カズハゴンドウの臓器・組織試料については、モナコの国際原子力機関(IAEA)から試料提供の要請があり、愛媛大学のes-BANKはこれに対応した。

おわりに

東日本大震災では、災害にあっても一致団結して整然と対処している日本人の行動が国内外で賞賛されている。今回の震災に対するわが国の有害物質対策に関しても、多くの国の研究機関や政府が注目し、各界の英知を結集したグランドデザインの提示を期待している。災害時の有害物質対策では、客観的視座で機能的・機動的に対処する行動力が求められる。今後、類似の自然災害が発生した場合、東日本大震災で実行された有害物質対策が日本モデルとして広く活用され、世界の規範となることを望みたい。(了)

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