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オーシャンニューズレター

第261号(2011.06.20発行)

第261号(2011.06.20 発行)

東日本大震災後の水産業~被災地の漁港を歩いて~

[KEYWORDS]東日本大震災/津波/水産業の再生
フリーライター、水産ジャーナリストの会会員◆新美貴資

東日本大震災によって多くの漁港が崩壊し、水産業は大きな打撃を受けた。水産業の再生には、流通・加工、関連産業も含めた一体的な取り組みが欠かせない。再生の担い手となる人々を守り、被害を免れた水産基盤をしっかり支えていくことも重要である。
被災地の漁港を歩き、関係者から話をうかがった。
現地の状況および山積する課題、印象に残ったことなどを記したい。

崩壊した被災地の水産業

東日本を襲った大地震から3カ月が経過した。震災によって多くの尊い人命が失われ、沿岸部の街はがれきと泥に埋もれ廃墟と化した。復興に向けた作業は今も懸命に続けられているが、自然の猛威がもたらした爪あとはあまりにも大きく、再生への道のりは遠い。大地震の発生以来、断続的に報道される被災地の悲惨な状況を目にして、とにかく現地に向かわなければと思い、約1カ月後の4月8日から18日まで東北に滞在し、宮城、岩手両県の漁港を歩き、漁業関係者から話をうかがった。
訪れた漁港は、宮城の石巻、女川、気仙沼、岩手の宮古、山田の5カ所。地先に広がる三陸沖、さらに北西太平洋は、寒流の親潮と暖流の黒潮がぶつかる海域で、大量のプランクトンが発生し、それを捕食する小魚、さらに大型の魚が集まる世界の三大漁場の一つとなっている。沿岸部一帯は、豊かな海の恵みを受けて昔から漁業が盛んだ。マグロやカツオ、サンマの水揚げは全国でも有数で、ギンザケやカキなどの養殖業の産地としても知られている。
漁港の周辺には、多くの加工場や冷蔵倉庫が並び、水産業が地域経済の中心となって発展していた。その活気であふれていた漁港、周辺の加工・流通施設のほとんどが今回の震災によって崩壊。多くの漁業者が船を失い、港からは人の姿が消えた。
魚市場の荷捌き場が津波によって吹き飛ばされ、跡形もなかった石巻。漁港の後背にある狭隘な平地が濁流に呑み込まれ、あたり一面がれきの散乱する更地となっていた女川。地盤沈下によって魚市場の一部が水没し、周辺一帯が海水に侵され池のようになっていた気仙沼など、被害の様相はそれぞれに異なるが、どの漁港も壊滅的な打撃を受けており、目にした光景は想像をはるかに超えていた。
訪れた漁港は、どこも車両の通行する道路はなんとか確保されていたが、大量のがれきが散乱し、大破したトラックや車、陸に乗り上げた漁船は放置されたまま。市街地から離れた漁村では、撤去作業もまだ始まっていない様子だった。がれきの撤去だけで、一体どれだけの時間と労力を要するのか。気の遠くなるような作業が、現地では黙々と続けられていた。魚の水揚げから流通・加工、出荷までの機能が破壊され、止まっていた。
どこを歩いても、視界に入るのは絶望的な光景ばかりであったが、対照的に海は凪いで、怖いほどに静かで穏やかだった。この海が巨大な津波となって漁港や街を破壊し、未曾有の惨状をもたらしたとはとても思えなかった。人間が抗うことのできない、自然のもたらした脅威を目の前にして、何度も言葉を失った。


■津波によって大きな被害を受けた石巻漁港。漁船が乗り上げ地面が割れていた。


■漁港の後背地を巨大な津波が襲った女川町では、建物が消えてあたり一面にがれきが散乱していた。

山積する様々な課題

震災による津波で、漁業者の多くが漁船を失った。漁船や漁具の手当をどのように支援して、進めていくのか。水産業の再生にあたって直面する大きな課題の一つである。被災した漁業者の多くは高齢で、後継ぎもいない。零細で資金力にも乏しいなか、新たな借金をして漁を再開させるのは困難である。震災によって漁業から離れる人々が多く出ることも懸念され、国による全面的な支援が必要であることを強く実感した。
水産業は、魚の漁獲から流通・加工までを一つの流れとして成り立っている産業であり、どの機能が欠けても消費者に水産物を安定供給する役割は果たせない。漁業者からは、いくら船が残っても魚市場がなければ流通は機能せず漁ができない、といった声もあがっており、水産業の再生には、流通・加工業者への支援も欠かせない。ある漁港では、事業の縮小を余儀なくされ、一部従業員の解雇に踏み切った加工会社もあると聞いた。廃業や事業の縮小によって、多くの人材が水産業から離れてしまうことは、培われてきた技術の消失だけでなく、地域の衰退をも意味する。
水産業には、漁船や漁具、加工機械などを製造・修理する造船場や鉄工所をはじめ、幅広い関連産業があり、被害を受けたところも多い。こうした関連産業も含め、水産業全体を一体的に支援し、復興を図っていくことが望まれる。
もう一つの大きな心配は、津波によって海へと流され、底に堆積している大量のがれきである。除去されないまま残ったがれきは障害物となって、漁船の航行や操業にも支障を来たし、時には潮流に乗って移動し、漁場で網を張る養殖業にも被害を及ぼす危険がある。
被災地の漁港を歩き、人々から話を聞くなかで、解決の容易ではない様々な課題が現地で山積していることを痛感した。

再生の担い手を守る

水産業の再生に向けて、一部では明るい兆しも生まれている。大きな被害を免れた宮古漁港では、市の支援を受けて4月11日から魚市場が再開。津波から逃れた地元の漁船による水揚げが始まり、スケトウダラやキチジなどの魚がセリで取引されていた。魚市場の再開は漁業者にとって朗報であり、水産業の再生に向けた一つの起点として、さらなる機能の発揮が期待される。
恵まれた漁場がある限り、そしてそこで再起を誓う人々がいる限り、受けた傷はいつか必ず癒え、復活することを信じて止まない。津波によって多くを失いながらも、出会った人たちの言葉や表情からは、豊かな恵みを与え、育んでくれた海への深い特別な思いが伝わってきた。
復興への道のりは険しく、長い年月がかかるだろう。地元の人々が残って働くことができる場を優先的に確保するなど、水産業再生の担い手を守り、支援していく取り組みが重要であると考える。(了)

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