2度の交流中止

 尖閣諸島沖の日本領海で、海上保安庁の巡視船の退去命令を無視し違法操業を続けていた中国漁船が、逃走する際に巡視船2隻に衝突した。その3カ月前の6月に自衛隊代表団の10回目の訪中が終わり、約1か月後の10月20日からは、人民解放軍の代表団が訪日する予定であった。その狭間のタイミングで、事件は発生したのだった。

 険悪極まりないムードの中で、当時の笹川日中友好基金事業室に中国国際戦略学会から電話が入ったのは、代表団の訪日を目前にした10月12日朝のことである。

 「日程上の都合で訪日を延期したい」

 これに対する笹川陽平の対応は、電光石火の如くであった。チェコのプラハで連絡を受けると、直ちに帰国し、日本財団ビルに直行し緊急記者会見を開いた。笹川陽平が下した結論は、「今まで1度もなかった日程上の都合という延期要請を、受け入れるわけにはいきません。延期ではなく、中止させていただくことを決断しました」というものだった。胡一平が当時の状況を振り返る。

 「それまで日中佐官級交流は1度も中止したことがないんです。この事業はひじょうに特別で敏感な内容でもあるわけですが、事業を始めるにあたり笹川名誉会長は、人民解放軍と自衛隊の間に私たち民間が入って実施している民間主導の事業なので、政治の影響を受けずに何があっても継続するという約束を、中国側と口頭で交わしていたからです」

 政治に影響されてはならない―。この申し合わせは長い間奏功してきた。2001年8月13日に、小泉純一郎首相が靖国神社に参拝し、これに中国政府が強く反発して日中首脳間の相互訪問を拒否する状態が続いたときも、また、2004年11月に中国海軍の漢級原子力潜水艦が日本領海を侵犯し、日本側が海上警備行動を発令する事態となった際も、佐官級交流は途絶えることがなかった。于展の印象に最も強く残っているのは、元台湾総統の李登輝が来日し、そのことが日中間の政治問題となっていた最中でも、佐官級交流で人民解放軍の代表団が日本にいたことだった。「そういうときも、何ら影響がなく交流訪問を継続できたんです」と言う。

 胡一平は、中国漁船衝突事件を受けた中止決定について続ける。

 「人民解放軍の代表団を受け入れる準備はほぼできていたんですが、中国側から延期したいという申し入れがあり、今までの約束があったのに何で延期なのか。いつまで延期なのかもわからないじゃないですか。それだったら中止しましょうと、即決したんですよ。それは笹川名誉会長の決定だからしょうがないんですが、これは大変なことになるなと思った。一方的な事業ではなく相手があることなので、記者会見が開かれる前に、慌ててこちらの決定を中国国際戦略学会や在日中国大使館に伝えたり、記者会見の記録を全部提供したりした。それが私の義務であり、礼儀でもありましたから」

 それから約10か月後の2011年7月、笹川陽平は、中国国際戦略学会の会長を兼務する中国人民解放軍副総参謀長の馬暁天と、在日中国大使館で会談する。馬暁天は防衛省の招きで来日し、中国国際戦略学会の会長職を前任の熊光楷から引き継いでいた。胡一平は馬暁天が日本へ来る情報を事前にキャッチし、笹川陽平との会談を設定すべく根回ししたのだった。

 会談では佐官級交流の再開が話し合われ、日中の政治関係に影響を受けることなく、今後5年間の事業を継続し、2011年秋以降、早い時期に事業を再開することなどで合意した。これを受け、人民解放軍と自衛隊の代表団が、それぞれ1回ずつ相互に訪問した。

 だが、佐官級交流と胡一平は、2度目の中止という憂き目にあう。2012年9月、日本政府が尖閣諸島のうちの3島を国有化する措置をとり、中国各地では大規模な反日デモが起こり、日系企業の工場や販売店などに対する破壊・略奪行為に発展した。馬暁天から、人民解放軍代表団の1週間余りに迫った訪日延期を伝える書簡が、日中友好基金事業室に届いたのは10月15日のことである。

 「日本政府による釣魚島(中国名)の国有化発表から、日中関係は深刻な局面に入り、両国の一連の交流に大きな影響を及ぼしました。このような状況の中で、中国人民解放軍佐官級代表団の派遣は難しくなり、訪日の延期を余儀なくされました」

 胡一平は「準備はもう始まっていたんですけれども、国有化の問題が出て、私もこれはちょっと危ないかなと思い、国防部外事弁公室にずっと感触を確かめていました。向こうは『大丈夫でしょう』と言うから、代表団の訪日を直前まで待っていましたが、やはり駄目になり…。中国が前回、延期を連絡してきたときは電話だったので、今回はもし変更があれば書面でくださいと言ってあった。それで書面で来たわけです」

 笹川陽平は書簡を受け取ってから4日後の10月19日、記者会見を開き「(中国側が)明確に政治問題によって延期したいということは、私たちの趣旨に反しますので、これを中止、事業を廃止することを決断したしだいです」と宣言したのだ。記者会見の2日前、笹川陽平はすでに中国国際戦略学会に対し、「延期ではなく中止」と伝えていた。それが記者会見では「廃止」という最も強い表現になっていた。

 中国側の書簡について胡一平は、「彼らは一番書いてはいけないことを書いた」と指摘する。それは、2010年の中国漁船衝突事件の際には、延期の理由を「日程上の都合」と曖昧にした中国側が、今回は「釣魚島の国有化」という政治問題を前面に押し出したことを指す。

 「中国の方は、あのように書かざるを得なかったんでしょうけれど、それを私は忠実に訳して笹川名誉会長に見せた。本当は曖昧にして、『訪日の時期を調整したい』とかにすれば、『廃止』ということにはならなかったかもしれません。ただ、1回目の交流中止があって、再開するときに『日中の政治関係に影響を受けない』と改めて約束したにもかかわらず、それをまた破ったという怒りはありました。仮に、延期の理由を曖昧にしたとしても、しばらく事業を再開できなかったでしょう」

 于展は「笹川名誉会長は、事業を廃止しても構わないという覚悟で臨んでいたと思います。私たち事務局としては、廃止という最悪の事態は回避したかった。例えば、中国の方が何カ月か延期したいということであれば、まだ調整の余地はあったと思いますが、調整はききませんでした」と話す。

 その後、佐官級交流は2018年4月までの約6年間にわたり途絶える。その間も于展と胡一平は、日中双方の関係者との連絡を絶やさなかった。

 「そろそろ再開したいね」。こう笹川陽平が于展と胡一平に水を向けたのは、2017年初頭だという。山が動き出したのは秋。胡一平は9月、笹川陽平と国際軍事合作弁公室主任の胡昌明との会食をセットした。この人物は2007年に、第7回佐官級交流の人民解放軍代表団の団長を務めている。2017年は日中国交正常化45周年、翌年は平和友好条約締結40周年であり、佐官級交流事業もそろそろ再開させたい―という認識で一致したという。

2018年2月、佐官級交流の再開で合意した笹川陽平名誉会長(左)と、胡昌明主任(当時)
2018年2月、佐官級交流の再開で合意した笹川陽平名誉会長(左)と、胡昌明主任(当時)

 こうした水面下での折衝と、胡一平による根回しを経て、笹川陽平と胡昌明は2018年2月5日、北京の国際軍事合作弁公室で会談し、佐官級交流を約6年ぶりに再開し、新たに5年間実施することで合意した。合意事項の中には、この年の春以降の早期再開に向け努力することも盛り込まれた。

 再開1回目は人民解放軍が訪日することになったが、日本側を慌てさせたのは、中国側が「できれば4月中に実現したい」との意向を示したことだった。なぜなら人民解放軍代表団を受け入れる準備期間が、あと2カ月しかなく、とりわけ防衛省・自衛隊側の対応が可能なのか懸念された。

 「最初は5月以降と考えていましたが、4月ということで、急ピッチでというか、バタバタと慌てて準備しました。2月の会談の後、防衛省にすぐに連絡し、『4月の訪日は大丈夫でしょうか』と確認しました。問題はないということになって、胸をなで下ろしました。準備を始めたのですが、笹川名誉会長の名前でお手紙を出したり、いろいろな提案、プランを作って出したり、中国側に早く代表団の人選を進めて名簿を出してほしいと求めたり、向こうに日程を示して、それをまた調整し直したり…。それでようやく間に合いました」

 こうして2018年4月、ようやく6年ぶりに再開された佐官級交流について、于展は「日中関係の改善という潮流に乗ったというか、利用したというか、そういうこともあり実現したと思います」と語る。

 昨年9月には、自衛隊の代表団が訪中し、佐官級交流は再開後、相互訪問が一巡した。胡一平は「昨年の課題はまず再開させることで、中身よりも、とにかく1回ずつ訪日と訪中を実現させることが大事でした。今年は中身について、もう一歩基地や施設、装備を見せ合うことを、要求しようと思っています」と意欲的だ。

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