Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第319号(2013.11.20発行)

第319号(2013.11.20 発行)

科学は表現なのだー音楽を心に届けるように

[KEYWORDS]津波/表現/科学コミュニケーション
東京大学海洋アライアンス上席主幹研究員、サイエンスライター◆保坂直紀

科学は、いままでに起きたことのない自然現象をも描き出す。地球の温暖化予測が、その一例だ。だが、あの巨大津波の恐ろしさ、その現実感は、ふだんから市民にきちんと伝わっていただろうか。
社会が必要とする海洋の「知」とはなにかを再考し、市民が実感をもって受け入れられる「表現」で伝えていくことが大切だ。

巨大津波を想像できたか

■巨大津波は予見できたはずだという判決を報じる新聞

仙台地方裁判所で9月17日、心に重くのしかかるような判決が出た。幼稚園の送迎バスで帰宅途中だった大切な幼子を東日本大震災の津波で失った遺族が、幼稚園に賠償を求めていた訴訟で、仙台地裁は園側に支払いを命じたのだ。巨大津波は容易に予見できたはずで、そのための情報収集義務を園長は果たしていなかったというのが、その理由だ。
ご遺族の気持ちを考えると、胸がつぶれる思いだ。だが、じつはもうひとつ頭から離れないことが、この判決にある。大きな揺れが3分間も続いたのだから、巨大な津波に襲われる可能性を容易に想像できたはずだという点だ。
あの2011年3月11日。そのころ勤めていた東京・銀座の新聞社も大きく揺れ、地震で初めて身の危険を感じた。もっともショッキングだったのは、仙台空港が津波に飲まれるテレビの映像だった。新聞記者としての振り出しは仙台の支局。海岸にあるわけでもないあの空港が、津波に襲われて水没しつつある。これは現実の映像なのだろうか。大変な地震が起きたと頭で理解していても、その光景は、想像をはるかに超えていた。
情けないが、自分の想像力なんて、じつに貧困なものだと思った。大学院生のころ、海洋物理学を専攻した。もちろん、津波の計算に使う方程式も知っている。新聞記者になってからは、おもに科学の記事を書いてきた。海について全13回の連載記事も書いた。海をテーマにした一般向けの本も書いた。だが、あの場に居合わせたとして、これほどの巨大津波が来る可能性を身をもって感じられただろうか。初めての出来事に、想像力はそこまで及ばなかったのではないか。

科学は「表現」なのだ

この裁判について、これ以上は触れない。ただ言いたいのは、大きな地震が海底で起きれば大きな津波が来るという単純な因果を、科学は一般の市民に実感を込めて伝えきれていなかったということだ。
その理由はいくつかあるだろう。まず、現在の海洋科学は、巨大津波を十分に研究してきたとはいえない。海面を伝わる波は、波高があまり大きくない波が緩やかに続いている場合なら、コンピュータでも計算しやすい。だが、東日本大震災のときのように、巨大津波が単独で押し寄せてくるようなケースは、いまのところ精度よく予測計算できない。つまり、巨大津波はその正体がまだよくわかっていない。
そしてもうひとつ、自省をこめて言うのだが、科学を、市民の身の丈に合わせ、実感を込めて伝えてきたのかという点だ。津波が伝わる速さは、水深が4倍になると2倍に、9倍になると3倍になり、水深4,000メートルでは時速約700キロメートルでジェット機なみ――。そんな言い方をいつもしてきた。流体力学の教科書にも書いてある。だがこれは、迫り来る巨大津波を実感させるには十分ではない。それに、頭でわかっていても、行動に移せるとはかぎらない。ルールブックを覚えただけでは、野球はできない。
『科学者が人間であること』(2013年、岩波新書)のなかで、著者の中村桂子さん※は面白いたとえ話をしている。音楽は、楽譜に書かれていることを演奏者が表現して初めて、一般の人に伝わる。科学もおなじこと。科学を伝えるときにも「表現」が大切なのだという。
科学者が作り出した論文という楽譜を、だれがどう表現して市民に伝えるのか。中村さんはその役割を科学者に期待しているが、30年近く新聞記者として科学を伝えてきたこの身も、他人事ではいられない。市民が「津波とはこういうものだ」と実感できるように、大きな地震が海で起きれば高台に逃げなければいけないことを感覚でつかめるように、心を尽くして表現してきたか。科学のわかりやすい部分だけをつまみ食いして、こちらの都合で提供してはこなかったか。新聞の習慣的な表現に甘んじることはなかったか。

身の丈サイズで伝えたい

■観測航海への出発を前に、海の「乱流」を計測する装置を点検する東大・日比谷研究室のメンバー

定年まで5年半を残して読売新聞をこの7月に退職し、8月から東京大学海洋アライアンスでお世話になっている。海洋アライアンスは、海洋の物理学や生物学から漁業、海洋政策など多くの分野の研究者が、協力して生きた海洋の「知」を生み出そうという学内組織。その活動を社会に伝えていくのが新しい仕事だ。
科学を伝える組織として新聞社が果たす役割は大きい。なんといっても発行部数が多い。マンパワーがあるので、同時にいくつもの科学を伝えることができる。小さな記事を書くにも、念入りにチェックを重ねる。短時間に確度の高い情報をまとめあげる力は、相当なものだ。だが、そうした仕事は、もう後輩たちに任せよう。科学コミュニケーションは何をめざすのか。どう表現したら科学を市民の心に届けることができるのか。それを独りになって考えるところから、もういちど出発してみよう。深海にすむ巨大なダイオウイカの生きた姿がテレビで放映され、この夏は、東京・上野の国立科学博物館で開かれた『深海展』もにぎわっていた。新たな海底資源も見つかりつつある。ちょっと身びいきではあるが、いま海に関する情報は、これまでにも増して社会に求められている。
東大海洋アライアンス機構長の日比谷紀之教授とそのスタッフ、学生さんたちが9月末、乱流計という観測機器を船に積んで東京・豊海水産埠頭から出航した。「乱流」を手元の理化学事典で引くと、「時間的、空間的に不規則な変動、すなわち乱れを含む流れをいう」とある。おなじ「乱流」について解説するなら、世間から縁遠いこんな言葉ではなく、たとえば、水深3,000メートルまで沈んでは浮き上がる乱流計を点検する学生さんたちの姿などを通して、海の科学を身の丈サイズに料理して実感を込めて伝えたい。そうすることで、初めて一人ひとりの心に届く科学というものが、たしかにあるのだと思う。(了)

※ 参考
本誌288号(2012.08.05)「生きものから見えてきた海」
中村桂子(JT生命誌研究館館長)著 https://www.spf.org//jp/news/251-300/288_1.html

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