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第319号(2013.11.20発行)

第319号(2013.11.20 発行)

有明海干潟~研究開始から30年、環境管理ネットワーク時代へ~

[KEYWORDS]有明海/干潟/環境管理のネットワーク
佐賀大学全学教育機構・大学院農学研究科(兼任)准教授◆郡山益実
佐賀大学理事◆瀬口昌洋

有明海の干潟面積は、日本の全干潟の約4割と国内最大であり、その種類は、砂質から泥質干潟までバリエーションに富んでいる。とりわけ、有明海干潟の主役とも言える泥質干潟には、驚くべき「水質浄化パワー」が秘められている。
干潟を取り巻く環境などの問題を解決する上で地域の大学に求められることは、環境管理のための人材・資材・技術のネットワークの構築と、中立的かつ客観的な情報を地域住民にわかりやすく発信することである。

はじめに

有明海は、佐賀県をはじめ長崎県、福岡県および熊本県に面し、最大で6mという日本一の干満差があるため、干潮時には広大な干潟が現れる。有明海干潟の面積は、実に全国の干潟面積の約4割を占めており、その約半分が佐賀県に面している。このような国内でも類を見ないフィールドを身近に感じられる佐賀大学での有明干潟研究は、今から30年ほど前の1980年代に着手され、干拓技術の開発よりも、むしろ当時としては珍しい環境把握を中心とした浅海干潟実験施設が農学部に作られ、その歴史の始まりとなった。
また、環境をターゲットとした時代に入り、2000年の有明海ノリ大不作が大きなきっかけとなり、有明海の環境問題を大学全体の課題として捉え、大学内の横断組織による研究(有明海総合プロジェクト)が立ち上げられた。その後、有明海干潟の持つ広域的な問題を大局的な視点から把握し、問題解決することを目指す『有明海地域共同観測プロジェクト(COMPAS)』へと発展していくこととなった。そこで今回は、これまでの研究フィールドである干潟について簡単に紹介し、有明海の再生と今後の環境管理に向けて考えてみたい。

干潟の役割と機能

■干潮時の汀線は、はるか沖合にある。(佐賀市東与賀町)

有明海奥部の河口・沿岸域に広がる広大な干潟は、奥行き6kmもの干潟面が潮の満ち引きにより干出する陸と海の境界に位置する中間的な空間である。このため、ここには両者から有機物や窒素、リンなどの栄養塩類が多く集積し、多様な生態系を育む場所であると同時に、特有の希少な固有種が多く生息する「生命のゆりかご」として重要な場所でもある。このような「生物生息機能」に加え、有明海の干潟は、ノリ養殖以外に地まきカキ養殖、ムツ掛け漁などの伝統漁法に見られる「生物生産機能」や、ガタリンピック、シチメンソウ祭りなどの「親水機能」を持ち合わせており、古来より有明海沿岸域の人々の生活基盤や文化に多大な恩恵を与え、高いレベルの生態系サービスを提供してきた。
干潟の持つ多面的機能の中で、とりわけ近年注目されているのは、干潟の「環境浄化機能」である。干潟の環境浄化機能は、大きく3つの物質循環(取り出し)のプロセスにより成り立っている。それは、(1)植物プランクトンを起点とする生食連鎖に基づく流れ、(2)デトリタス(生物の死骸、腐食植物、糞など)を起点とする腐食連鎖に基づく流れ、(3)底泥中の微生物の代謝に基づく硝化・脱窒作用(無機態窒素が酸化・還元され窒素ガスになること)による流れである。これらのプロセスによる環境浄化機能の大小は、干潟の環境によって大きく異なり、有明海干潟の主役といえる泥質干潟においては、硝化・脱窒作用に基づく環境浄化機能が大きい。学生実験などで、干潟底泥の硝化-脱窒作用の活用した高度排水処理法を応用し、泥質干潟の底泥を用いた低コスト・省エネタイプの排水処理装置などを試作してみると、「泥」の浄化能力の高さに驚かされることが多い。実験レベルではあるが、排水処理装置により集落排水中の無機態窒素が1日で5~7割程度除去されることが確認でき、干潟底泥の持つ優れたその「水質浄化パワー」には驚くばかりである。

有明海の再生と環境管理に向けたネットワーク

■有明海と周辺河川流域
(国土地理院国土数値情報から作図)

4県にまたがる有明海干潟の底質は、実は広域的に見ると、砂質から泥質までバリエーションに富んでいる。ゴカイなどの底生生物は、底質の種類に応じて棲み分けており、干潟底質と生物相の広域的な理解も欠かせない。例えば、泥質干潟では底泥表層の堆積物を食べるゴカイやカニなどの堆積物食者が、砂質干潟では海水中の懸濁物を食べる二枚貝などの懸濁物食者が生息している。このような砂質から泥質干潟に生息する多種多様なベントスの働きにより、堆積物や海水中の有機物が直接的または間接的に取り除かれ、有明海の高い環境浄化能力が支えられてきたと考えられる。
しかし、近年、海域やその周辺地域の大規模開発などにより、流域も含め、干潟を取り巻く環境は大きく変化している。それと共に、二枚貝資源量の大幅な減少などに見られるような生態系の異変が顕在化し、有明海干潟の環境浄化能力は低下している。このような環境浄化能力の低下は、海域への有機物負荷量の増加を招き、貧酸素水塊の発生や赤潮の長期化・大規模化を誘発する根源的原因の一つと言える。したがって、干潟を保全・回復し、かつての多様な生物が共存する豊かな生態系に修復することは、有明海再生の最重要課題である。
しかし、残念ながら未だに再生への有効な道筋は見えていない。その原因の一つは、現地観測やシミュレーションモデルにより潮流、水質などの物理・化学的要因が明らかになりつつある一方で、それらの要因が生物に、どのように、どの程度、影響を及ぼしているのか、依然として明らかにされていない部分が多いことが挙げられる。
有明海の環境変動が生態系に及ぼす影響を明らかにするには、海域の特性などを考慮した緻密な観測と分析を広域的に長期間継続して行う必要がある。また、今日の有明海は、赤潮や貧酸素水塊発生などの環境問題に加え、諫早湾潮受け堤防の開門問題に見られる社会問題が複雑に絡み合い混迷している。
このような状況もあり、これまで有明海研究で実績のある4大学(佐賀大学、九州大学、長崎大学、熊本県立大学)は、佐賀大学を中心に、人材・資材・技術を持ち寄り、より広範囲でかつ高精度の調査研究を2013年に着手した(COMPAS※)。このプロジェクトを通して、各大学でフィールドとしてきた海域の情報や知見が集約され、有明海の総合的な調査研究が実施されるだけでなく、立場の異なる沿岸4県の大学間が連携することにより、中立的かつ客観的な情報が地域住民に発信できるものと期待している。有明海にはさまざまな環境的、社会的課題が山積している。このような課題を解決する上で地域の大学に求められること、それは、環境管理のための人材・資材・技術のネットワークをつくり、現在、直面している課題を4県の沿岸にまたがる流域と海域の問題として総合的に捉え、地道かつ客観的に実態を整理しながら、わかりやすく地域住民に訴えかけ続けることである。(了)

※ COMPASにおける4大学の主な役割は以下のとおり。
・ 佐賀大学(有明海観測に基づいた現状把握とシミュレーションの構築、有明海や科学と住民との関わりに関する取り組み)
・ 九州大学(諫早湾を含めた有明海中央部における流動・物質輸送の物理学的考察)
・ 熊本県立大学(潮受け堤防の開門が湾内の生物生産に与える影響)
・ 長崎大学(化学・微生物学的アプローチによる有明海の広域物質循環研究)

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