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オーシャンニューズレター

第318号(2013.11.05発行)

第318号(2013.11.05 発行)

海女をユネスコ無形文化遺産に

[KEYWORDS]海女/持続的漁/漁村共同体
海の博物館館長◆石原義剛

世界の海に日本と韓国にしかいない海女を、ユネスコ世界無形文化遺産に登録するために、日韓共同の活動が始まっている。わが国には最盛期には17,000人ほどいた海女は今ではほぼ2,000人にまで減っている。海女は崩壊しつつある地域漁村社会を再生する可能性を持っており、海女文化を今後も継承させていきたいと考える。

海女とは

大海原にでて、ほぼ50秒の間に、素潜りで海面と海底を往復し、アワビ、サザエや海藻類を追い求めることを生業とする女性を「海女(あま)」と呼びます。そんな海女は世界の海に、日本と韓国にしかいません。日本では列島の西を中心に18の県に2,174人(2010年調査)が確認されています。
韓国では済州島に4,881人(2012年)と本土の約5,000人(推定)を合わせた約10,000人がいます。韓国の海女の歴史は済州島が古く、本土へは1903年ころから済州海女が進出し、次第に拡散していきましたが、現在は多く沿岸各地で在地の人が海女漁をしています。
日本列島では、少なくとも3,000年以上前から潜水漁をする男女がいたものと考えられています。そんな長い伝統を有する海女を、日本でもっとも多い半数の973人を占める三重県と韓国済州道(県)が中心となって、日韓共同してユネスコ(世界)無形文化遺産に登録しようと活動を進めています。去る10月26、27日、石川県輪島市で開催された「第4回海女サミット」には11県から海女の参加があり、連携の輪が広がりつつあります。
なんといってもその動機は海女の急激な減少にあります。最盛時には17,000人(1956年)ほどいたのが、ほぼ2,000人に減ったのですから、大変な減りようです。しかし、海女がいなくなってもいいではないか、海女でなく男海士でもいいし、ほかの漁法もある。極端な人はアワビや海藻は養殖が発達しているから、海女だけを残してもしかたがないだろう、という人もいます。そうでしょうか。
わたしは、海女は単なる海で働く女性という珍しい存在だけではなく「海女文化」の担い手だから、どうしても残してゆかねばならないと考えています。その理由を5つにまとめてみました。

古来よりの生業としての海女

1つ目は、やはり素潜り潜水という特別な技術を身に付けた自立した女性だということです。海女になったばかりの若い女性と50代60代の海女では明らかな漁獲の差があります。海女独特の潜水法の熟達と長年の経験による漁場の熟知です。子どものころから、早く海底に届く潜水の訓練を遊びの中で覚えてきた海女たちは海底を目がけて真っ直ぐに最短距離で潜ります。それが呼吸を獲物探しに少しでも多く使える潜水法なのです。さらに海中の潮の流れは複雑多岐ですし、アワビやサザエの棲む岩礁は位置も形も複雑です。それらを総て知っているからこそ優れた海女なのです。特別な技術をもつ彼女たちは、海中では誰にも頼ることのない自立した女性です。
2つ目は、そんな海女の歴史がどんな生業を営む民よりも長いということです。各地に残る縄文時代の遺跡から、大量のアワビ殻とともに鹿角製や鯨骨製のアワビオコシと呼ばれる道具が出土します。間違いなく潜水をしてアワビを獲っていた女性がいたことを証拠づけています。以降、狩猟の民マタギとともに漁撈の民アマは3,000年とも5,000年ともいえる長い歴史を重ねています。それは為政者や貴族のではない、名も無い無辜の女性の歴史として間断なくつづいて来たのです。

海と共に生きる

■海底へ向かって潜水する海女

3つ目は、持続性のある資源維持のやり方を守ってきたことです。海女の歴史が長く続いてきたのは、目的とする漁獲物が無くならなかったためです。今日風にいえば、持続性のある資源維持のやり方を工夫し、乱獲をしない約束事を守ってきたからです。海女は度々資源枯渇の危機に直面してきました。例えばガラスの水中眼鏡※が開発された時、アワビの乱獲が心配され、多くの漁村では10年近く禁止にしました。その後、便利さには勝てず使用されるようになりましたが、多くの漁獲量を制限する規約を決めるようになりました。採捕するアワビ、サザエの大きさや採捕期間は法令で規定するほどになりました。結果は資源を守ることになり、海女漁の持続性が維持されてきたのです。
4つ目は、海女の自然との共生です。海女の漁獲対象はアワビ、サザエ、ウニ、ナマコなどの動物とワカメ、ヒジキ、テングサなどの海藻すなわち植物です。海女の活動する海には自然なる海の生態系が確実に存在し、海女が参加することで共生関係ができあがっています。海女はそこから大きな海の恵みをもらっているとともに、無意識のうちに生態系を守る役割をはたしています。これまでは無意識だった自然なる海を守る役割を、共生関係を大切にして、はっきりした意識を持って守ってゆきます。

漁村の要として

5つ目は、海女が漁村という共同体社会の要になっていることです。人間社会が共同体社会であることは言うまでもありませんが、とくに漁村の人々は生産基盤を共有しており、生産活動の多くを参加者の助け合いに依存しています。そして今日では希薄化が進んできたとはいえ、日常生活の多くでは共同体が生きています。その中心に海女がいます。海女は自立していると言いましたが、船を操ったり道具を作ったり漁場を記憶したりする男性の役割もよく知っています。まさに男女共同参画の共同体社会であります。
その総体は文化です。いま海女は1億人の中のわずか2,000人に過ぎません。しかし、この2,000人が少なくとも崩壊しつつある地域漁村社会を再生する可能性を持っています。海女文化を存在意味がないと見捨てるのが現代だと、私は思いたくありません。
水中での「50秒の勝負」に危険をも顧みず挑戦しつづける海女たちは、陸に上がった時、屈託なく楽天的です。焚火で身体を温めながら仲間と話す彼女たちの間には笑いが絶えません。(了)

※ ミーカガン(見鏡)=沖縄県糸満市の玉城保太郎が1884(明治17)年に潜水漁により海水で目を痛める漁師が多いことに心を痛め、モンパノキの木を眼鏡の形にくりぬき、ガラスをはめこんで開発した両眼式水中眼鏡。(事務局注)

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