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オーシャンニューズレター

第203号(2009.01.20発行)

第203号(2009.01.20 発行)

日本の北極研究の未来に向けて

[KEYWORDS] 北極域/北東航路/地球温暖化
情報・システム研究機構 国立極地研究所 北極観測センター長◆神田啓史

北極域を取り巻く地球環境の変動は著しい。
2008年末に開催された第1回国際北極研究シンポジウム(ISAR-1)では、「北極域の急激な温暖化」をテーマに掲げ、北極域科学の総合的議論を深めることを目的とし開催された。
日本の北極域における研究観測は南極観測のような国家事業としては位置付けられていないが、これを契機に新しい北極研究の幕開けが期待されている。

はじめに

昨年(2008年7月)の夏、私は北極カナダにあるビクトリア島ケンブリッジベイ(北緯69度)を訪れた。より高緯度のエルズミア島(北緯82度)とのツンドラ植生の比較が目的であった。氷河で削られた平らな平地には無数の湖沼群が広がり、ほぼ全面が永久凍土で覆われた薄い土壌層には色鮮やかな高山植物が生育していた。日本では本州中部の高山や北海道にしか見られないチョウノスケソウが海岸から民家の周りにも雑草のように地面を覆っていた。
ケンブリッジベイの町中にある小さな博物館の看板に目をやると、ロアール・アムンゼンのために作られたという船、モウド(Maud)号のことが書いてあった。アムンゼンは1906年に3年の年月をかけて、ヨーア(Gjøa)号で世界初の北西航路に成功した。厳寒地の港での越冬経験はその後の南極探検に生かされたという。南極から帰国した後、アムンゼンはモウド号によって北西航路のみならず、ヨーロッパとアジアを結ぶ北東航路にも挑戦した。シベリアの過酷な氷海、ホッキョクグマの襲撃、一酸化炭素中毒などでほとんど死に体の状態で、1920年7月、アラスカのノームに到達した。これがスウェーデンのノルデンショルトに継ぐ北東航路の成功であった。その後、モウド号は数年間、北極点に向けて漂流航海に使用された後、アンカレッジ沖に沈没した。その一部が引き上げられ、現在、ケンブリッジベイの岸辺に係留されている。北東航路の面影をケンブリッジベイに辿ることができる。
昨今の地球温暖化の影響で、北東航路、北西航路などが急に注目を浴びている。すでに本誌173号(太田昌秀氏)177号(北川弘光氏)でも紹介があったように、北極域においては極海や氷床の変動が単に地球環境に影響するだけではなく、とくに航路の開発になると、領海、海底・海産資源など政治、経済に関わる国際問題に繋がってくる。学問には国境はないという考え方からすると北極域に領土を持たない国も積極的に北極域の研究に関わるのは当然といえるが、現実はなかなか難しいところがある。
北極域を取り巻く地球環境の変動は著しい。近年の地球温暖化に伴う気候変動が、自然界のフィードバックを介してもっとも顕著に現れるといわれているのが北極圏およびその周辺の北極域である。2007年に報告されたIPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)によると、地球温暖化は人為起源の温室効果ガス(二酸化炭素など)が原因であるとほぼ断定した。とくに北極海、グリーンランド地域での氷の減少については深刻で、2006年~2007年の2年間の夏に、急速に氷が減少し、日本の国土の3倍以上の氷が夏場に減少したことになる。最近はIPCCの報告よりもより急速に温暖化が進んでいるとも考えられ、数年で夏の北極海から氷がなくなるという予測も立てられた。海氷が解けても海水準には変化はないが、氷が溶けたときの海水は太陽光による熱を吸収して、また直接大気に接することから熱を大気中に放出し、温暖化が加速する要因ともなる。将来的にはホッキョクグマの生存も危うくなるというシナリオが描かれているが、環境変動の影響は計り知れない。

機上から眺めたケンブリッジベイ、ビクトリア島、カナダ
機上から眺めたケンブリッジベイ、ビクトリア島、カナダ
海氷を渉るホッキョクグマ、スバールバル(写真提供:朝日新聞社・桑山朗人)
海氷を渉るホッキョクグマ、スバールバル
(写真提供:朝日新聞社・桑山朗人)

北極域に関する国際組織

1990年、北極カナダのレゾリュートで北極圏の8カ国の代表による署名をもって研究者の国際的な組織、国際北極科学委員会(IASC: International Arctic Science Committee)が発足した。日本はいち早くこの委員会に加盟しており、今年までに18カ国が参加している。IASCメンバー組織は、自然科学ばかりではなく北極研究のすべての分野をカバーしている非政府の国際科学組織である。一方、北極には南極条約に代わるものは存在しないが、南極条約協議国会議と類似した組織がある。それは1996年に設立された政府間組織の北極評議会(Arctic Council)※1である。
現在、北極に領土を持っている8カ国と北極に住む5つの北方民族が加盟している。前述した北極海の航路の開発に伴う諸問題はこの北極評議会の問題でもあるが、オブザーバーとして英国、フランス、ドイツ、スペイン、オランダ、ポーランドの6カ国が議論に加わっている。さらに2007年は中国、イタリアが参加を表明し、2008年は韓国が手を挙げた。日本はまだ参加の意思を示していない。これらの北極に関する国際委員会はいずれも南極の南極研究科学委員会(SCAR)が発足してから30年は遅い取り組みであった。その原因は米ソ両国の政治的、軍事的対立があり、南極のような組織は北極には設置できなかったためである。北極に関する国際的組織の歴史が浅いだけあって、一度問題が引き起こされると国際的な協調や紛争の解決は容易ではないだろう。

日本における北極域の環境変動観測と研究組織

ニーオルスン観測基地、スピッツベルゲン、スバールバル
ニーオルスン観測基地、スピッツベルゲン、スバールバル

2007~2008年に実施された国際極年(IPY)に基づき現在、国際的な枠組みの中で、学際的な研究が進行中である。日本の研究者は86件の公式のIPYプロジェクトに加わって活動している。北極域においては観測網を整備し、様々なフィードバック過程を包括的に理解し、地球温暖化の将来予測に役立てるために、密な情報交換により相互理解を深め、活動をしている。
日本の北極域における研究観測は南極観測のような国家事業としては位置付けられていない。国立極地研究所の北極観測センター※2施設によるスバールバル(ニーオルスン)、アイスランドなどの基地観測や(独)海洋研究開発機構(JAMSTEC)の「みらい」による北極海の観測があるが、多くは他の省庁や大学の研究者によって研究が進められている。2年ほど前から、北極研究に関心のある研究グループが集まって、ad hoc な北極域研究検討委員会(仮称)や日本学術会議の下にある地球惑星科学委員会国際対応分科会のIASC国際対応小委員会を発足し、新たな活動を開始した。2008年11月4~6日に日本科学未来館で開催された第1回国際北極研究シンポジウム(ISAR-1)はその一つである。このシンポジウムでは、「北極域の急激な温暖化」をテーマに掲げ、北極域で生起する諸現象を包括的に探求し、先端研究の最新情報を共有することで、北極域科学の総合的議論を深めることを目的とし開催された。
このシンポジウムを契機に日本における新しい北極研究の幕開けが期待されている。(了)

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