Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第173号(2007.10.20発行)

第173号(2007.10.05 発行)

北極海の排他的経済水域争奪合戦

太田昌秀●ノルウェー国立極地研究所嘱託上級研究員

この夏、ロシアが深さ4,261mの海底の北極点に
自国の国旗を立てたという衝撃的なニュースが報道された。
アメリカ地質調査所の調査によると北極海沿岸の大陸棚には
世界の埋蔵燃料資源の1/4が眠るとされる。
その莫大な利権につながる排他的経済水域をめぐって
沿岸諸国による熱い戦いが始まろうとしている。

氷海の探査や研究には費用がかかる

北極点の原子力砕氷船ヤマール号
北極海海底掘削隊の船団。櫓のあるのは掘削船ヴィダール・ヴァイキング号、中央はオーデン号、後ろは原子力砕氷船ソヴィエツキー・ソユーズ号(写真2点とも:太田昌秀)

私は2002年から2006年まで、ロシアの原子力砕氷船ヤマール号でムルマンスク(Murmansk)から北極点までのクルーズに講師として乗船し、2004年のクルーズでは、極点に着く前日、氷海の真中で3隻の船に出会った(写真参照)。これは国際深海底掘削隊の船団で、櫓のある掘削船と2隻の砕氷船からなり、1隻は掘削船の周囲の氷を壊す役目のスウェーデンのオーデン号、他の1隻は北極点までの3~4mの氷原に航路を開くロシアの原子力砕氷船ソヴィエツキー・ソユーズ号であった。このように、氷のない海では1隻の掘削船でできる仕事に、氷海では3隻もの船が必要で、大変な費用がかかる。

北極海は、グリーンランドの北から東シベリア海へ続くロモノソフ海嶺という大陸地殻をもった海底山脈で、カナダ側とユーラシア側に分けられている。2004年の隊はロモノソフ海嶺のユーラシア側の麓、ほぼ4,000mの海底から450mのボーリング・コアーを採った。これには約6,000万年前までの地層が含まれていて、その中の微化石から、当時、広がり始めた北極海のユーラシア側の海は、水草が浮いた中緯度の汽水性の浅海であり、大西洋とウラル山脈に沿う狭い水路で南の海と繋がっていた、と推定される。ロモノソフ海嶺には厚さ数100mの中生層もあり、それらは石油やガスを含む可能性がある。ユーラシア海盆の海底は、マントルから上昇してきた海洋型の火山岩で、中央にはアイスランドなどの大西洋中央海嶺とつながるガッケル海嶺があり、それに沿って金属鉱床があるかもしれない。

ノルウェー北極圏での日本隊の活動のいくつか

今年の8月に私が滞在したロングイヤービエン(Longyearbyen)は北緯78度にあり、1900年代初めからの炭坑町で今も稼行しているが、次第に観光町に変貌しつつある。ここにはUNISという北極大学講座があり、世界中から学生が集っている。この町の南東には2基の大パラボラアンテナがあり、オゾン層やオーロラなどの高層物理の研究をしており、日本もこれらの研究に参加している。

ここから小型機で30分ほど北へ飛ぶと、ニー・オーレスン(Ny-ÅIesund)という観測村があり、夏には各国から150人以上の研究者が来て、北極の汚染や温暖化を観測しており、日本もここに観測基地を持っている。

今年の6月からは、日本の研究者(産業技術総合研究所と東大)がオーデン号に乗り込み、火山ガス探知装置を積んだ無索式自律航行型水中ロボットで、氷の下にあるガッケル海嶺の噴気孔を探り当てようとしていた。

日本からは東工大の地質隊も来ていて、彼らは地球の全表面が凍結したといわれる約6.4億年前の氷河堆積物を検討し、これ以前はバクテリアや海藻だけだった生物圏に、突然現れて消えたエディアカラ生物群や、それらの後に現れた三葉虫などの古生代の生物と、寒冷気候との関係を研究している。2007~2009年は第4回国際極地年で、北極圏や南極圏で沢山の共同研究が行われている。

8月半ばには、ニー・オーレスン観測村で北極圏温暖化に関する国際セミナーがあり、アメリカ、ロシア、中国の環境問題担当の政治家や日本の環境問題担当大使、ホンダ、三菱自動車など産業界の省エネ担当者を招いて、温暖化のセンサーといわれる北極海の近況を知ってもらう会が開かれた。この村の北にあるフィヨルドは、以前には12月から翌年の4月まで凍って、氷の上を対岸まで渡ることができたが、昨年と今年の冬はまったく凍らず、研究者たちを驚かせた。

北極圏の探検史をみると、18世紀までは捕鯨や領土拡張の時代で、19世紀中頃以後は探検がスポーツ的冒険と科学調査に分化し始め、1920年代までは南北両極の一番乗り競争の時代であった。その後は科学調査が主流になったが、スポーツ探検も跡を絶たない。昨年からは、ナンセンが1893~1896年に行ったフラム号による北極海横断漂流探検の跡を辿る漂流探検を、フランスのTARA(星)号が行っている。2006年夏に新シベリア群島の北で氷に突っ込んだこの帆船は、今年の7月10日には北緯88度13分、東経57度43分にあり、北極海中央部の気象、海洋、氷の底の藻類などの調査を、国際極地年の仕事の一環として行っている。

北極海の排他的経済水域

ロシアは長年にわたって、北極点近くの大きな氷盤の上に観測基地を設け、様々な観測を続けてきた。そしてその北極海で今、排他的経済水域(EEZ)の分捕り合戦が始まっている(地図参照)。1994年には国連海洋法条約が発効し、幅12海里の領海や200海里のEEZについての基本的合意ができた。この中には、「海底の地形・地質が、その国の大陸棚からの自然の延長であれば、EEZを350海里まで、また2,500m等深線から100海里まで拡大することができる」という条文がある。そこでこの条文に添って自国のEEZを拡大しようとする申し出が、ロシアなど多くの国から出されている。これらの申請は、国連の「大陸棚の境界に関する委員会」が、提出された資料を検討して勧告を出し、各国が勧告に従ってEEZ大陸棚の外縁を設定すれば、効力を持つことになる。2002年のロシアの北極海EEZ拡大の申請は、データ-が不十分であるという理由で却下されたが、ロシアは追加調査をして再提出する、といっていた。

そして今、ロシアの追加調査がいよいよ始まった。今年の夏には原子力砕氷船ロシア号が、ロモノソフ海嶺が東シベリア大陸棚と連続している証拠を集めるための調査航海に出発し、砕氷・調査船アカデミー会員・フィヨドロフ号は、2隻の有人小型潜水艇を搭載し、これらを北極点の真下の海底に潜らせ、深さ4,261mの海底の北極点にロシア国旗を立てた、と8月3日のTVで公表した。21世紀の今日、「国旗を立てたからわが国の領土だ」などというのは通用しない。しかしロシアは「国旗を立てる」という象徴的な行為によって、北極点領有の意志を世界に向かって明示した。これは北極海周辺の諸国にとっては衝撃であった。

北極海の温暖化と排他的経済水域

北極海で排他的経済水域の大陸棚境界の問題が、今再び取り上げられるようになった背景には、今春発表されたIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告などある。そこでは「北極海およびその周辺の氷が、予想以上に速く減少していて、2080年(最近は2040年ともいわれている)には夏の北極点に氷がなくなるかもしれない」という予測を出し、氷が融けると北極海の生態系に大きな影響が出ると警鐘を鳴らしている。

一方では氷がなくなると、北極海沿岸の大陸棚では資源探査が容易になり、世界の埋蔵燃料資源の1/4を占めるともいわれるこの海域の資源に、沿岸諸国は強い関心を持っている。また北極海の氷が融ければ、この海域での船の航行が容易になり、太平洋と大西洋の間の船による大量輸送路が短縮される。今年の北西航路にはほとんど氷がなかった。日本とペルシャ湾の距離は、日本からロシア北西部やノルウェー北西岸の海底油田地域までの北東航路とほぼ同じになる。

1990年代には日本、ロシア、ノルウェーによる「国際北極海航路計画」※が行なわれ、その成果は1999年の総括会議で公表された。当時はこれほど速く北極海の氷が融けるとは考えられていなかったので、政治家や石油会社、船会社もすぐには北極航路に関心を示さなかった。ノルウェーの新聞によると、ロシアが海底に国旗をたてて領土権への意志を表明した今、デンマークの首相は「ロモノソフ海嶺はグリーンランド北の大陸棚と連続しているので、わが国に領有権がある。ロシアなどと排他的経済水域の主張海域が重複する場合には、重複部は公海にするのが賢明である」と解決案を提出した。しかしカナダの首相は、この問題で主張海域が重複する場合には、「あえて外交戦も辞さない」と述べている。

ロシアの新聞イズベスチヤは、「北極海は大量の燃料資源を埋蔵した宝箱だ。早く権利を確保し、すぐに開発にとりかかるべきである」と書き、5月にムルマンスクを訪ねたプーチン大統領は、国の北極海評議会の設置を命じた。タス通信は「大国ロシアは再建された。潤沢なオイル・マネーで経済が安定した今、ロシアは世界に向かって自国の政治的意図をはっきり表明する時である」と述べている。かつての冷戦時代とは違った形で、ロシアが資源大国として世界に覇権を唱える時がきている。そこでは資源開発と経済発展が至上目的になるであろう。そしてその裏で、北極海の自然破壊が進むことは避けられない。

2008年には北海道の洞爺湖畔でサミットが開かれ、そこでは環境問題が主題の一つになるという。日本は早く国内政治を清め、世界の場で環境問題に貢献してほしい。日本では「極地」というと南極を思い浮かべる人が多いが、地球には北極もあり、日本は北半球の汚染生産国の一つであることも思い出していただきたい。北極圏の研究をしている日本の科学者も、積極的に発言してほしいと切望する。(了)

※ 国際北極海航路計画=日本側は、SOF(現海洋政策研究財団)とノルウェーのフリチョフ・ナンセン研究所、ロシアの中央船舶海洋設計研究所を交えた3カ国プロジェクト。詳細は、当財団HP事業概要を参照ください。https://www.spf.org//outline/index6_1.html

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