Ocean Newsletter
第194号(2008.09.05発行)
- 東京農業大学生物産業学部産業経営学科教授◆石弘之
- 東京大学海洋アライアンス特任准教授◆福島朋彦
- 国立科学博物館名誉研究員◆上野輝彌
- 国連訓練調査研究所(ユニタール)
人間と海洋の安全保障に関するシリーズ「海洋の包括的安全保障を目指した広島イニシアチブ」を開催 - ニューズレター編集代表(東京大学大学院理学系研究科教授・副研究科長)◆山形俊男
進む難燃剤による海洋の化学汚染
[KEYWORDS]難燃剤/PBDE/化学汚染東京農業大学生物産業学部産業経営学科教授◆石弘之
私たちの身辺には約5万種類もの化学物質があふれているが、その多くは毒性などよくわからないままに使われている。
こうした化学物質の一つ、難燃剤のPBDEによる人間や海洋生物への汚染は深刻な問題となっており、先進国だけではなく、世界的な規模で対応を考える必要がある。
難燃剤による汚染
私たちの身辺には約5万種類もの化学物質があふれている。わが国で工業用途として届け出があるものだけでも、毎年約300種の新たな化学物質が、毒性もよくわからないままこれに加わる。
一方で、環境への排出規制など対策がとられている化学物質は、約60種類しかない。国内で流通しているもののごく一部だ。
こうした化学物質のなかには、地球規模で汚染を広げているものも少なくない。1970年代から普及してきた難燃剤は、DDT、PCB、ダイオキシンに次ぐ第4の「地球汚染物質」の地位を固めた。気がついたときには、地球のすみずみまで汚染し、先進地域ではほとんどすべての人の血液や尿や母乳から検出されるまでに広がっていた。
難燃剤は、プラスチック、ゴム、木材、繊維などの可燃性物質を燃えにくくするために、添加やコーティングをして使われる。有機系、無機系、リン系、塩素系などさまざまな種類があるが、とくに近年汚染が問題になっているのは、残留性の高い有機系の臭素を含んだ難燃剤のPBDE(ポリ臭化ジェフェニールエーテル)※1だ。
PBDEは家具や建材、カーペット(裏打ち部分)やカーテンなどの繊維製品、自動車内装、テレビやコンピュータなどの電気製品に広範囲に使われてきた。これは、毒性の強いダイオキシンと似た構造を持つ化合物で、200種類以上の種類の総称である。臭素の量によって「ペンタBDE」「オクタBDE」「デカBDE」の3種類に大別される。単にPBDEといった場合には、その総量である。
日本では大部分が米国やイスラエルからの輸入で、日本難燃剤協会によると1990年代には9,000トンも使われたが、2006年には2,200トンまで落ち、そのほとんどがデカBDEだ。テレビ受像機の外枠などに多用されていたが、最近は別の難燃剤に代ってきた。世界では年間約6万~7万トンが生産され、うち半分が米国で消費される。
ひとたび環境に放出されるや、大気―水―生物(人間)の間を回りつづけて食物連鎖に取り込まれ、生物体内で濃縮されつつ長期間にわたって汚染しつづける。最近話題になったのは、米国の科学記者デビッド・ユーイング・ダンカンさんが身をもって示した人体汚染の実態だ。米国のナショナル・ジオグラフィック協会の支援で、分析機関が身辺の320種の化学物質について尿と血液を検査した※2。
その結果、検査対象となった化学物質の半数を超える165種が検出された。難燃剤のPBDEは分析対象の40種中25種、対象の6割以上が検出されたことになる。このほか、有機フッ素化合物は13種中7種、PCBでは209種中97種、殺虫剤では28種中16種で、フタル酸エステルでは7種のすべて、重金属は4種中3種、がそれぞれ見つかった。彼は頻繁に航空機を利用することから、機内の内装に多量に使われている難燃剤が多かったとみられる。
国立環境研究所が、1970年に採取して凍結保存されていた人体の脂肪組織と、2000年に採取した各10の検体を分析したところ、1970年の脂肪からは29ppt(pptは1兆分の1)が検出されたが、2000年の検体からは約44倍の1,288pptも含まれていた。また、東京湾の海底の堆積物を年代ごとに採取して調べると、1980年前後から急速に増加、2000年には1970年の約3倍になった。
米国のNGO「環境ワーキング・グループ」(EWG)が、研究機関と協力して10人の新生児の「へその緒」からとった血液を分析した報告書によると、すべて併せて287種、平均200種もの物質が含まれていた。206種までがへその緒から発見されるのがはじめての物質だった。
そのうち、180種は発がん物質、217物質は脳や神経に有毒なもの、208種は動物実験で先天奇形や発達障害を起こす疑いのもたれる物質だった。このなかには、難燃剤や表面加工に使われる有機フッ素化合物、多種類の農薬、石油などの燃焼物質なども含まれている。
大部分の濃度は1,000億分の1から1兆分の1と極微量だが、とくにPCBや有機塩素系農薬では1億分の1、難燃剤のPBDEは10億分の1で、他の物質よりも高かった。いずれも、食物、飲み水、大気から人体を汚染したものだ。
海洋生物への影響

難燃剤による海洋生物への汚染が懸念される。
人間ばかりか、北極のシロクマも南極のペンギンも太平洋の真ん中を泳ぐシャチなどの野生生物もこの汚染から逃れられない。アムステルダム自由大学のヤコブ・デ・ボーア教授らの分析では、大西洋のイルカの体内から7.7ppm、アザラシから1.4ppmという比較的高濃度のペンタBDEが検出され、難燃剤による海洋汚染が世界的に広がりつつあることが明らかにされている。
北米五大湖周辺に生息するカモメの卵からは高濃度のものが見つかっている。カナダのブリティシュコロンビア州の養殖場のサケや、同州沖のシャチからもPBDEが検出される。カナダ漁業海洋省の専門家によると、過去30年間にバンクーバー沖に生息していた85頭のシャチを絶滅寸前にまで追いやったのも、PBDEが関係している可能性があるという。
サンフランシスコ湾で海鳥のアジサシから63ppmという高濃度のPBDEが検出されており、PBDEを含んだ製品が焼却されて大気経由で海洋を汚染し、魚介類を通じてアジサシに取り込まれた可能性が指摘されている。
求められる世界的な対応策
PBDEの毒性、変異原性、発がん性は低いとされているが、はっきりしていない。とくに「ペンタBDE」「オクタBDE」の2種は生物に蓄積しやすい。動物実験では、脂肪中に蓄積して甲状腺や神経系を侵したことや、ラットに大量投与した実験では、学習障害や行動異常など脳神経機能に回復不能な影響を与えることが報告されている。近年、脳の発達障害である自閉症が世界的に急増しているが、これと関係付ける説もあり、胎児や新生児期には重大な影響をおよぼすことが心配されている。
この2種については、世界的に規制が進んでいる。ヨーロッパでは2003年に、米国でも2004年に使用が中止され、州ごとに段階的に禁止されている。日本では、2003年から業界が使用を自主的に中止し、現在使われているのは残留性がほとんどないとされる「デカBDE」のみだ。しかし、規制が進んでもすでに使われている製品が廃棄されれば、さらに汚染が続くことになり、また先進地域だけ規制しても中国やインドなど発展途上地域ではまだ使われており、当分は汚染が止まりそうにない。
世界的な対応策が求められる。(了)
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