Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第130号(2006.01.05発行)

第130号(2006.01.05 発行)

海岸線先進国への道

海洋写真家◆中村庸夫

わが国は島国。四方の海からさまざまな漂流物が海岸線に打ち上げられる。海に生きる人々が何気なく捨てるゴミ。遠く大河の上流から海に流入するゴミ。違法な産業廃棄物。海を漂っているゴミが海洋の生態系に及ぼす影響も指摘されている。
きれいな海、美しい海岸線を取り戻すにはどうしたら良いのだろう。

渚の漂着物からのメッセージ

私は仕事柄、各地の海岸を歩くことが多い。旅先で誰もいないビーチに足跡を残しながら、渚に打ち上げられたさまざまな物を見ながら散歩する。滑りやすい磯の起伏を、タイド・プールの生物に目をやりながら歩くのもまた楽しい。最近は「ビーチ・コーミング」と呼ばれ、海辺を散歩しながらの漂着物探しもあるそうだ。

海流に運ばれ、海岸に漂着する物は実にさまざまなメッセージを伝えてくれる。秋の黒潮沿岸の潮溜まりでは、遥か南から運ばれた熱帯魚の稚魚を見かける。残念ながら一方通行の回遊で、冬の水温には耐えられず死滅してしまう生物たちだ。こんな生物を採集して飼育する「ビーチ・コーミング」もある。

冬の日本海沿岸は沖から吹き付ける季節風と高波が、たくさんの漂着物を運んで来る。暖流系の殻を持つタコの仲間の、アオイガイの殻探しは大人気だ。各地の海岸を歩くと、流れ藻や形の良い流木に混ざって、ヤシの実、マンゴスチン、グァバなど植物の種子も多い。漂着種子は遥か遠くの島々や、海流に思いをめぐらさせてくれる。水鳥やその他の動物のものなど、一片の骨から生物の全体像を思い描くのも楽しい。ハリセンボンやハコフグなどの死体、なかにはウミガメなど大物もあり、どうして死んだのかと考えさせられる。ウニの仲間や貝殻、ツメタガイが卵と砂とを混ぜて作った「砂ぢゃわん」などはすぐ沖の海の中の生物を知ることができる。このように漂着物はさまざまなメッセージを秘めた宝物なのだ。

なかには人工物でありながら、コレクターの喜ぶ漂着物もある。漁業用のガラスの浮きは良い収穫物だ。ガラス瓶が打ち上げられて割れ、長い間に波や砂に洗われて角が取れ、表面が半透明のつや消し状になった破片は、「シーグラス」と呼び、集める人も多い。また、打ち上げられた陶磁器の破片にその昔の歴史とロマンを求める人もいる。

人工廃棄物による海洋生物への影響

しかし、残念なことに漂着物の大半は膨大な廃棄物やゴミばかりだ。タバコのフィルター、使い捨てライター、漁業者が使う発泡スチロールのトロ箱や浮き、集魚灯の電球、網、ペットボトル、プラスチック容器、食品のトレイ、医療廃棄物、廃油ボールなど本当に目を覆いたくなる。なかには、大量のレジンペレットも見つかる。直径数ミリのプラスチック製品の中間材料で、有害化学物質を含む。こうしたものは海を漂う間に海洋生物に及ぼす影響が懸念されている。

潮目に集まるゴミ(写真:中村庸夫)
 
首に魚網の掛かったニュージーランドオットセイ
(写真:中村庸夫)
 

私はミッドウェー環礁に浮かぶ小島でぞっとした思い出がある。数十万羽の海鳥が繁殖する無人島でコアホウドリの死体を見つけた。肉の部分はほとんど分解され、骨格と羽だけが残り、そのちょうど腹に当たる場所に使い捨てのライターやレジンペレットが残されていたのだ。新聞では、死んで打ち上げられたウミガメの胃袋にスーパーの袋が大量に詰まっていた、との記事を見たことがある。アリューシャン列島では首に魚網が絡まったオットセイを見た。いつも釣りに行く相模湾では、釣り糸を絡ませ、指や足を切断したウミネコの姿を見る。

ミッドウェービーチ(写真:中村庸夫)

人々が集う有名なビーチでは「ビーチ・クリーン」などで拾われ、清掃車できれいに掃除されるが、あまり人の訪れない小さな海岸はまったくひどい状況だ。ありとあらゆるゴミが山のように打ち上げられ、古い漁具、冷蔵庫、テレビ、バイクや車までも捨てられている。大きな港湾ではごみ処理専用船が回収しているが、地方の漁港や入り江に浮かぶ漁具やプラスチック容器などはすごい量だ。沖に出れば、あちこちの海面にスーパーやコンビニの袋が浮かび、潮目には海岸で見かけるありとあらゆる物が浮かぶ。

漂着物を見ると、ハングル文字、中国の漢字、ロシア文字や、日ごろ見慣れたわが国のメーカーの製品名の書かれたペットボトルや容器も多い。こうなると国際的な視点に立たなければ問題は解決しない。しかも、沿岸国だけの問題ではない。大河は上流からいくつもの国を通過して海に注ぐ。以前、東アジアを訪れた時はびっくりした。メコン川の上流から次から次に流れてくるありとあらゆるゴミ、無数のビニール袋、プラスチック容器、牛の死体までも流れてきた。こうした物がどんどん海に入り、潮や海流で運ばれ、遥か遠くの海岸に打ち上げられるのだ。

アジアの海岸線先進国に

デンマークではコンビニやスーパーで買い物をしてもビニール袋はくれない。買い物籠を自分で持って行くのだ。ゴミを拾うことよりも、ゴミを出さない、捨てない、きちんと処理する、こんなことが当たり前に実行されている。ライン川やドナウ川などヨーロッパの国際河川でゴミはほとんど見かけない。

このような現状のなか、わが国は何をすべきなのか? 次代を担う子供たちとともに海辺の現状を見ながら漂着物の宝さがし、などもあるだろう。学生による漂着物の分析や、漂流ルートの解明、国際的なディスカッションも考えられる。そして、海を糧とする漁業者に対する意識改革も必要だろう。そして、アジアの国々と海洋汚染、ゴミの海洋投棄、陸上でのゴミ処理や人々の意識の改革に関する話し合いや、国際的なルールの確立も必要だろう。

シルバー・ボランティアの方々に海岸を散歩し、かつての渚の原風景を思い起こしながら、拾ってもらうこともあるかもしれない。なかには人が持てないほど大きな物もたくさんあり、行政が予算を組み、海岸線のゴミ回収作業を行うことも必要だろう。そこに新しい産業が芽生えるかもしれない。

海岸線に人工構造物をどんどん作るばかりでなく、西欧諸国の人々にも胸を張って日本の美しい海岸線を見せられる、アジアの海岸線先進国になってほしいものである。(了)

※ 中村庸夫氏の写真展「Blue~海~生命」が日本郵船歴史博物館(横浜市中区)で開催中です。
期間は2月19日(土)まで。

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