ナガランド、アッサムなど8州から成り、総人口約4400万人(2011年国勢調査)、数百の言語と100以上の民族が混在するインド北東部を、中村主任研究員は「多様性の小宇宙」と形容し、北東部を描いた14本の映画には「紛争やインドに対する複雑な思い」という共通したテーマがあると解説します。
20年以上にわたり北東部を訪れ続けているという木村教授は、1983年2月18日にアッサム州ネリー村などで、たった半日で2000人以上のベンガル系イスラム教徒が、主にティワなどの先住民族や「アッサム人」(アッサム語を母国語とするヒンドゥー教徒)に殺害された「インド独立後最悪」といわれる暴動を調査・研究し、著書「The Nellie Massacre of 1983:Agency of Rioters」(1983年ネリーの大虐殺:暴動者のエージェンシー)にまとめています。この暴動は映画「田畑が憶えている」(スバスリ・クリシュナン監督)の題材ともなっていますが、木村教授によると、先住民には英国植民地時代に現在のバングラデシュから大量に流入したベンガル系移民(その多くがイスラム教徒)に土地を奪われ、インド独立後も中央政府が彼らを取り締まらないという強い不満が常にあり、「反移民、反インド的な感情が生まれていった」ことが暴動の背景にあるといいます。また、これらベンガル移民に対する「外国人排斥運動」も、多数派の「アッサム人」が主導権を取っていく中、アッサム州内の先住民族たちは自らの主張を聞き入れてもらえなかったことで徐々に疎外感を強め、さらなる紛争をアッサム各地で呼び起こす結果にもなりました。
中村主任研究員は「本来であれば共存できればいいが、その時々の政治状況によって暴動という手段を選択してしまうという、抑圧された者同士の悲劇が浮き上がってくる。映画では民話や歌を通じ紛争、暴力の傷跡を見せるものが多い。非常にセンシティブなテーマでもあるので、隣人とどう和解し共存するか、声高に言うのではなくて、洗練された形のドキュメンタリー映画で表現している」と話しています。
北東部の人々の感情は今、どうなのでしょう。「紛争は終わってほしいけれども、自分たちはインド人ではないという気持ちも続いている」と、木村教授は語ります。北東部は近年、東南アジアと南アジアの結節点として注目され、インフラ整備などが進められつつあります。北東部の人々の間には期待があると同時に、富が外部に奪われ地元には残らず、あるいは開発によって住民の生活や利益が脅かされることに対する懸念もあるというのです。こうしたテーマは映画では、ハオバム=パバン・クマール監督の「浮島に生きる人々」に描かれており、「開発に対し土地の人たちがもっている視点は複雑」(木村教授)なようです。
当日は、オンライン上で参加者から多くの質問が寄せられ、インド北東部と「一帯一路」の関係や、ドキュメンタリー映画監督育成の現状など、活発な議論が行われました。中村主任研究員は、今回の特集は、日本の観客に向けてインド北東部を知って欲しいというだけではなく、本当はインド北東部の人たちこそに観て欲しいと語ります。
「インド北東部は、あまりにも多様だということもあるが、まず、歴史的に分断されてきたこともありお互いを知らない。若い世代を中心に、『インド北東部』という緩やかな連帯意識は育ってきており、その中で多様性を尊重し、共存するという考え方はしっかりと芽生えている。それを支えるため、ドキュメンタリー映画は、お互いを学ぶ最良の手段だと思う」
現地での上映会を期待する声も大きく、コロナ禍が収束した後の実現が待たれます。
無料配信されているドキュメンタリー映画14作品は、昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映されたもので、舞台を山形から東京に移し開催中の「ドキュメンタリー・ドリーム・ショー 山形1in東京2020」(11月7日~12月11日、詳しくは
こちら)と連携し無料配信されています。これは笹川平和財団アジア事業グループによる「インド北東部における記憶と記録」事業の一環で、やはり同事業によって2019年10月、メガラヤ州シーロンに開設され、インド北東部を記録したドキュメンタリー映画やニュースリール、写真などの資料を収集する「インド北東部視聴覚アーカイブ」(詳しくは
こちら)の1周年を記念したものでもあります。