Ocean Newsletter
第84号(2004.02.05発行)
- FAO水産局◆渡辺浩幹
- Japan Ship Centre(JETRO)所長◆田中 圭
- メリーランド大学環境科学センター所長◆Donald F. Boesch
- ニューズレター編集委員会編集代表者(横浜国立大学国際社会学研究科教授)◆来生 新
FAOと「漁業の倫理」
FAO水産局◆渡辺浩幹21世紀は、経済や技術の発展のみを追い求めるのではなく、地球環境と共存していく必要があり、世界の食料問題においても倫理の再構築が求められている。国連の専門機関の一つとして世界の食料・農業問題を取り扱ってきたFAO(国連食糧農業機関)では、いま、人類の未来における真の食料安全保障をめざした「食料・農業における倫理」と取り組んでおり、水産局でも漁業の倫理的課題への取り組みが始まっている。
FAOについて
FAO(Food and AgricultureOrganization of the United Nations:国連食糧農業機関)は国連の専門機関の一つで、世界の食料、農業問題に取り組むために1945年に設立されました。本部はローマにあります。「農業」の中には水産業、林業、畜産業なども含まれており、水産業は水産局が担当しています。
水産局には、水産局長の下、水産政策計画部、水産資源部、水産業部の3つの部と水産情報・統計及びプログラム調整のための2つのユニットがあり、その業務は、世界の水産業のあらゆる分野に及んでいます。FAOが毎年出版する統計年報は、世界の国の漁業を網羅した貴重な情報源です※1。2年に1回、世界の漁業と養殖について日本の「漁業白書」のような出版物も発行しています※2。2年に1回開かれる水産委員会(Committeeon Fisheries(COFI))には、加盟国から水産関係の代表が集い、さまざまな意見交換や決定が行われています。最近、特に重要な問題として取り組まれていることは、違法・無報告・無規制(IUU:illegal,unreported andunregulated)漁業の防止、根絶です。1995年に作られた「FAO責任ある漁業のための行動規範」※3は、法的拘束力はありませんが、すべての漁業を網羅する「自主的」規範として世界の国に受け入れられています。上記のIUU漁業対策にも、「行動規範」に基づいて作られた国際行動計画(IPOA)が、各国や各地域漁業機関の取り組みの指針となっています。
FAOに対する日本の貢献

日本は、米国に次ぐ第2の拠出国で、拠出金の20%近くを負担しています。FAO本部で働く邦人職員は約30名で、そのうち3名が水産局で働いています。水産局には日本からトラストファンドという資金も提供されています。これは、拠出金とは別に、特定の目的のために信託される資金で、食料安全保障に対する漁業の持続的貢献、責任ある漁業の支援、生態系に配慮した漁業管理等、水産局の基幹的活動にとってなくてはならないものとなっています。
私は、水産政策計画部において漁業連絡調整官として働いています。水産委員会等の事務局業務、地域漁業機関やNGOとの連絡調整や情報収集・提供等が主な仕事ですが、最近、ひとつ新しい仕事が加わりました。「漁業の倫理」(EthicalIssues inFisheries)に関する連絡調整です。
FAOにおける倫理への取り組み
FAOにおいては、農業局、水産局、林業局といった各局が横断的取り組みをすべき重要な活動のひとつとして「食料・農業における倫理」が取り上げられています。活動の成果は、「FAO倫理シリーズ」と名づけられた出版物となってすでに2冊出版されており、FAOのホームページ※4でも見ることができます。
食料・農業分野における倫理的課題とは、どのようなものでしょうか。「FAO倫理シリーズ」第1号「食料・農業における倫理の課題」※5は、FAOが考えるべき倫理的価値として、食料の価値、栄養の価値、健康の価値、資源の価値及び自然の価値を挙げています。これらの倫理的価値は、現在、人口の急増、資源の過剰利用、人的影響による災害の多発、農業の産業化と国際化、経済的不均衡、バイオテクノロジーや高度の情報化といった新しい技術の登場等の様々な状況変化に直面しています。これまでは、貧しくても、耕せる土地さえあれば、何とか食べていくことはできました。しかし、近年の急速な情勢変化は、このような伝統的な「セーフティネット」を損なわせるおそれがあると懸念されています。また、伝統的に共同体が共有してきた資源の管理が危うくなる点も指摘されています。たとえば、漁業技術の発達によって漁業資源が枯渇し、伝統的にそれらの資源に頼っていた共同体の存在が脅かされるといった例が示されています。気候変動や生物多様性の喪失なども懸念されます。生物多様性の喪失は文化の喪失にもつながり、さらに、食料に対する、そして未来に対する人間の権利を侵すことにもつながっていくのです。従って、食料・農業に関する倫理的課題とは、倫理的価値を守るために、貧しい国々と一部の富んだ国々との格差を縮め、国際化の度合いや文化の違いにも十分配慮しつつ、食料・農業について公平で皆が利益を分かち合えるような世界を作り、食料の生産、流通、質や安全性を確保した真の食料安全保障を目指していくことを意味します。
漁業の倫理
水産局もいよいよこの倫理的課題に取り組むことになりました。前述の「行動規範」は、「行動」の規範であるとともに「倫理」の規範(モラルコード)でもあると理解されており、それを出発点としてさらに倫理的検証を進めていくことになると思います。「責任ある漁業」とは、一言で言えば、環境や次世代の人類にも配慮した持続的開発を実現するための漁業と言えるでしょう。そこには、1992年に開催された国連環境開発会議(UNCED)で脚光を浴びた「持続的開発」や「予防的アプローチ」をはじめとする諸原則が盛り込まれています。
私は、日本の漁業は、一般に、とても「責任ある漁業」ではないかと考えています。特に、限られた漁業資源を親子何代にもわたって利用してきた沿岸の伝統的な漁業はその典型の1つと言えるのではないでしょうか。漁村という共同体の中で漁業協同組合を中心として自主的に行われてる漁業管理は、特に、自主的「行動規範」の求めている「責任ある漁業」の実践であり、「望ましい漁業の姿」すなわち「漁業の倫理」のモデルになるのではないかと考えています。
20世紀は経済的な原則が何よりも優先された時代だったのではないでしょうか。その結果、人類はある一線を踏み越えてしまったような気がします。21世紀は、経済や技術の発展のみを追い求めるのではなく、適切に自己抑制しつつ、地球環境と共存していく必要があります。そのための知恵が、倫理ではないかと思います。漁業のみならずあらゆる分野で、倫理の再構築が求められている、つまり、21世紀は「倫理の世紀」になると予感しています。(了)
●本稿は筆者の個人的見解であり、所属機関を代表する意見ではありません。
※1FAO. 2003. FAO Yearbook of FisheryStatistics: Capture Production Vol.92/1.FAO Fisheries Series No. 63. FAO StatisticsSeries No. 173. Rome. FAO.
※2FAO. 2002. The State of World Fisheries andAquaculture 2002. Rome. FAO.
※3FAO. 1995. Code of Conduct for ResponsibleFisheries. Rome. FAO.
※5FAO. 2001. Ethical issues in food andagriculture, FAO Ethics Series 1, Rome,FAO.
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