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オーシャンニューズレター

第74号(2003.09.05発行)

第74号(2003.09.05 発行)

<日本の島から> 台風観測最前線の島、南大東島

南大東島地方気象台予報官◆金城文正

南大東島地方気象台は、毎年日本各地に大きな被害をもたらす台風の状況を真っ先に監視する重要な任務を担い、24時間体制で地上気象観測業務、予報・警報業務等を行っている。この南大東島については、皮肉にも台風シーズンになると全国的に知名度がアップするが、島の歴史や風土及び自然環境等についてはあまり知られていない。ここで開拓103周年を迎えたこの島について紹介したい。

南大東島

◎住所:沖縄県島尻郡南大東村
◎位置:北緯25度50分 東経131度14分(島中心部)
◎周囲:東西およそ5.78km 南北およそ6.54km
◎面積:30.57km2
◎人口:1,417人
◎世帯数:647世帯
◎URL:南大東村役場 www.vill.minamidaito.okinawa.jp/index.html
(データは南大東村ホームページにもとづく。)

「台風第13号は南大東島の南東海上にあって......」。テレビやラジオの台風情報でよく耳にするフレーズである。

沖縄本島から東へ約360km、東京から南西に1,000km以上離れた太平洋上に浮かぶ南大東島に私が勤務する南大東島地方気象台がある(図1)。気象観測ポイントの少ない海洋上の重要な観測地点であり、特に毎年日本各地に大きな被害をもたらす台風の状況を真っ先に監視する重要な任務を担っている。皮肉にも台風シーズンになると全国的に知名度がアップするここ南大東島は、まさに「台風観測最前線の島」と言えるが、島の歴史や風土及び自然環境等についてはあまり知られていない。ここで開拓103周年を迎えたこの島について簡単に紹介しよう。

沖縄と八丈島の融合文化の島

そもそも大東諸島は南大東島、北大東島、沖大東島(ラサ)からなる無人島であった。琉球人の間では「ウフアガリジマ(遠い東の島)」と呼ばれていたが、明治18年(1885年)に沖縄県庁の探検により日本国標が建てられ、沖縄県に所属することとなった。以後、何度か開拓が試みられたが、大東諸島の海岸線は10~20メートルの断崖絶壁となっていて浅瀬や入り江がなく、外洋から直接打ち寄せる高波のため上陸は困難を極め、いずれも失敗に終わった。しかし、八丈島出身の豪商・玉置半右衛門が組織した開拓団が1900年に南大東島に上陸し、開拓の歴史にその名を刻んだ。以後、八丈島から開墾者を募り、現在のサトウキビ(砂糖の原材料)栽培の島へと繋がった。

沖縄県と東京都は、本土から遠隔の離島を数多く抱える。私は今年3月まで東京都の八丈島測候所に勤務し4月から沖縄県の南大東島の勤務となった。電話帳を開くと「奥山」「菊池」等の八丈島の名字が並んでおり、また、夜になると気象台に隣接する離島振興総合センターから沖縄民謡とともに八丈太鼓が鳴り響き、懐かしさを覚える。さらには、沖縄では珍しい神社、おみこし、江戸相撲の風習もあり、まさに南大東島は沖縄と八丈島の文化が融合する島である。

乗客も宙に舞う

■図1台風の月別主要経路及び南大東島の位置図
実線は主な経路、破線はそれぞれに準じる経路(気象庁)

南大東島は隆起珊瑚の円形の島で、高い所でも標高75.8mである。周囲は環状の丘陵地からなり、中央部はくぼんだ盆地状の地形となっている。中央部には多数の淡水池があり、その水位は海面と等しく潮汐の影響を受けている。亜熱帯海洋性気候であるが盆地性の気象特性も併せ持っており、沖縄管内の気象官署では最も気温の日較差が大きく、放射霧も発生する。

島全体が基幹作物のサトウキビ畑で、その周りを防風林がとり囲んでいる。農家一戸当たりの経営規模は8.2ha余と比較的大きく、大型機械化一貫作業体系による大規模経営が確立している。

南大東島では、台風が遠くにあってもうねりで波が高くなり、島の生活物資等を運ぶ船は欠航となる(写真1)。また、船が直接接岸できる桟橋がなく、物資等は船からクレーンで吊り上げて陸揚げされる(写真2)。もちろん乗客も吊り上げられての上陸となる。現在、島の北側の陸地部分の石灰岩を大きく掘り込んだ人工の漁港を建設中で、平成12年(2000年)から一部暫定供用が開始されている。高さ約20mの石灰岩の絶壁を堀削った人工港の壮大さには目を見張るものがある(写真3)。

「天使と悪魔」ふたつの顔を持つ台風

7月17日の伝統行事である「観音祭」では家畜の無病息災と繁盛の祈願とともに、雨乞いも催される。南大東島の砂糖生産高の推移をみると、年によってかなりのバラツキがあり、少ない年は多い年の半分にも満たないこともある。これは台風や干ばつの被害によるもので、したがって祭祀も真剣に行われる。

今年は梅雨明け後に雨の少ない状況が続いたため、気象台は7月15日に「少雨情報」を発表し、当分まとまった雨は見込めない旨の注意を呼びかけた。気象台から見えるサトウキビ畑は黄色に変色し、ロール現象(蒸発量を抑えるため葉は内側に巻く)も進み元気がない。農家の皆さんからは「気象台、雨を降らせ!」との苦情とも要望ともとれる電話が多くなってきたが、こればかりは予報官でも如何ともし難い。

このような状況で、この島において夏期のまとまった雨は台風頼みである。台風は「風の暴れ者」として大きな被害を与えるが、反面、「恵みの雨」をもたらす。南大東島にとって台風は、まさに「天使と悪魔」なのである。

 
◎写真1:打ち寄せる高波(気象台職員提供) ◎写真2:港の荷役風景。人も荷物もクレーンで上陸(南大東村島まるごと館提供)
 
◎写真3:高さ15~20mの石灰岩を掘り込んだ南大東漁港[工事中](南大東村島まるごと館提供) ◎写真4:南大東島地方気象台庁舎(気象台職員提供)

使命感を持って島を災害から守る

南大東島での気象観測は大正6年(1917年)に製糖会社の私設気象観測所として始まったが、時の中央気象台(現気象庁)が太平洋上の気象観測地点としての重要性から国営移管し、昭和17年(1942年)2月1日から中央気象台南大東島観測所として業務を開始した。太平洋戦争により一時期中断することもあったが、気象観測地点としての重要性から業務が再開され、祖国復帰前の琉球政府時代を経て南大東島地方気象台として現在に至っている(写真4)。

南大東島地方気象台は、防災官庁として24時間体制で地上気象観測業務、高層気象観測業務、地震観測業務、予報・警報業務等を行っている。また、今年3月には、上空約5kmまでの風向・風速を連続的に自動観測するウィンドプロファイラによる観測が開始され、これにより台風等の立体的な構造の解明が期待されている。

南大東島地方気象台には台歌がある

南大東島地方気象台歌 作詞・作曲:西浜良修

一 明星またたく南海の 孤島の気象 刻々と
電波にのせて諸人の 豊な糧につくさなん
ああ 尊き業よ 南大東気象台

二 幾多の嵐 来たれども 常に不動の精神あり
我らこぞりて励みなば 観測予報くるいなし
ああ 誇りぞ高き 南大東気象台

三 歴史は移りて三十年 白亜の殿堂 今新
島の大地に空高く 今日もゾンデを追うレーダー
ああ 永遠に続かん 南大東気象台

南大東島地方気象台には全国の気象官署でも珍しい台歌がある。この歌は昭和37年に、島の郷土史研究家である西浜良修氏が作詞・作曲し、気象台にプレゼントしたもので、長きにわたり職員が歌い継いできた。時代は移りて、観測機器や予報技術は大幅に向上してきたが、この歌に込められた「測候精神」を忘れずに、気象災害の軽減に邁進していきたい。(了)

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