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オーシャンニューズレター

第46号(2002.07.05発行)

第46号(2002.07.05 発行)

100分の1の想像力を

東京大学名誉教授(大学院工学系研究科)◆岡野靖彦

未知なる大海原へと果敢に挑んだ者たちによって、近代海洋学の礎はつくられた。いまから130年前、「海底2万海里」で科学的知識と豊かな想像力を示したジュール・ヴェルヌの、海に関する興味と想像力の100分の1でもよいから、現代の私たちは持ちたいものだ。

船

「君子危うきに近寄らず」と言う諺は、英語では、"Praisethe sea, but keep on land."つまり、「海の偉大さは認識すべきだが、海には近づかない方がよい」となっています。なるほど「一理ある」言葉ではありますが、人間の好奇心と闘争心が、言うことを聞くはずがなく、人類はこれまで果敢に海に挑戦してきました。アカデミックな分野での、その最たるものはChallenger号による海洋探検でしょう。木造の軍艦を改良した海洋調査船Challenger号による世界規模の海洋調査結果は膨大、かつ科学史上燦然と輝くものですが、その中にマンガン団塊の発見もありました。

後年、このマンガン団塊の経済的価値が認められ、主としてその開発権を国際的に論議する場として、1973年に第3次国連海洋法会議が発足しました。あしかけ10年にもおよぶ討議の結果、国連海洋法条約は採択(1982年)、発効(1994年)に至りました。その中には、排他的経済水域(EEZ)の制度も定められています。

ところで、この Challenger号が3年半にも及ぶ歴史的大航海に向けて、英国ポーツマス港を出帆したのは1872年のことですが、奇しくもその年に、ジュール・ヴェルヌの「海底2万海里」が出版されています。SF小説の古典の代表としてのこの作品には、作者の広汎な科学的知識と豊かな想像力とが相まって、興味深い記述があふれてます。筆者はかつて大学における講義で、学生に次のような課題でレポートを提出させたことがあります。すなわち、「ジュール・ヴェルヌの『海底2万海里』を読んで、工学的に興味をもった事項を挙げて論評せよ」と言う風にです。

結果は、考えさせられるものでした。もちろん潜水艦の動力源、海底炭鉱、海底トンネルなどについて触れた、「まともな」レポートも見られました。一方で、「そのような本は、見当たりませんでした」、「どんな本なのですか?」、「どうすれば手に入りますか?」などと言う声が聞こえたのには、びっくりした次第です。もっともChallenger号と聞けば、あの大事故を起こしたスペースシャトルをもっぱら思い浮かべる年代ですから、この古典SFを知らなくても、責められないのかもしれません。しかし、厳しい受験戦争を勝ち抜くために相当の勉強をしてきたのでしょうが、知識の幅というか余裕がなさ過ぎるのではないでしょうか。海に夢を馳せ、次代の海洋開発を担う若者を期待できるのでしょうか? 若者ばかりを責めていられません。わが国において例のEEZについての検討、対応がいまだに不十分と聞きます。EEZを規定する200海里は、2万海里の100分の1です。130年前にジュール・ヴェルヌが示した海に関する興味と想像力の100分の1でもよいから、現代の私たちはそれを持ちたいものです。とくに若い人たちに持ってほしいと思います。

なお、「海底2万海里」のフランス語の原題では「海底2万リュー(lieue)」で、1リューはほぼ4kmだそうです。したがって、実は「200分の1の想像力」でよいことを、蛇足ながら付記しておきます。(了)

【チャレンジャー号について】
1872年12月21日~1876年5月24日にかけて世界一周探検をしたビクトリア女王期イギリスの機帆船。2,306トン、L=226ft、W=30ft。3本マスト(補助動力用エンジン付)。乗組員243名、うち科学調査団6名。調査海域ポイント数362。収集した動植物標本13,000種以上(うち未知の新種7,000以上)、海水標本1,441本、底質標本数百点以上。1880~95年の15年をかけていわゆる『チャレンジャー・レポート』(全50巻)が刊行され、近代海洋学の基礎となった。ちなみに、1875(明治8)年4月11日~6月16日に横浜にも寄港。相模湾や瀬戸内海等を調査。滞在中、明治天皇と幹部が接見している。上記チャレンジャー号の図を含め参考:「チャレンジャー号探検:近代海洋学の幕開け」(西村三郎著、中公新書)(編集部)

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