Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第46号(2002.07.05発行)

第46号(2002.07.05 発行)

海洋の生物生産──過去・現在・未来

米国スクリップス海洋研究所(Scripps Institute of Oceanography) 教授◆Wolfgang H. Berger
監修 東京大学名誉教授◆奈須紀幸

気象の専門家の意見は様々に分れているが、私は、地球規模の温暖化によって、海洋の生産性は確実に低くなると考える。深海掘削によって得られた試料は、過去200万年における、気候変動に対する海洋の生産性の反応を雄弁に語っている。それにもかかわらず、地球温暖化という現在進行中の危機にどう対処するか、いまだ人類は明確なる解答を得てないことを憂慮する。

魚は重要な食糧資源である。なぜ、ある海域では魚が豊かに存在し、他の海域ではそれほどでもないのか?あるいは、地球温暖化によって、魚など海洋の生産性は果たしてどう変わるのだろうか?その解答を得るためには、海洋の生産性を支配する基本的事項を理解する必要がある。

その一つは、魚は水中で成長する過程で食物連鎖の環の中に組み入れられている、ということである。その環の中に植物プランクトンが存在する。植物プランクトンが育つためには、栄養分と太陽光を必要とする。一般的に暖かい表層水で覆われる広大な大洋は栄養分に乏しく、海の砂漠になぞらえられる。生産性が高い海域は、冷たくて栄養分に富む深層の水が押し上げられて、暖かい表層水と混合する海域である。汎世界的に海岸近くの海は、多くの場所でこうした条件が整っている。とくに大陸の西岸、すなわち大洋の東岸で、こうした好条件の海域が多い。そこでは岸沿いに海流が流れ、低緯度では貿易風が岸から遠ざかるので、表層の水を沖合いに押しやり、深層からの養分に富む冷水を強制的に湧昇流として吸い上げる。世界の好漁場を形成する。

ところで、地球規模の温暖化は、明らかに、海洋の生産性を低めると私は言いたい。理由は全球的に貧栄養の温暖な表層水が拡がり、養分に富む湧昇流の上昇を遮るからである。しかし、こうした予想は本当に確実なものである、とも言い切れない。事実、気象の専門家の意見は様々に分れている。それでもなお、私がそう予測する根拠は何か。以下述べる事実があるからである。

海洋は歴史を残している。気候変動に対して海洋がどう反応してきたか、記録が残っているので、それを学べば事実が明らかになる。そうした事実を踏まえてコンピュータによる予測を行えば、将来の動向も予察可能である。

こうした海洋の歴史解明について最良とも言えるデータは、深海掘削によって得られた試料の中に記録されている。現在、米国の深海掘削船「TheJOIDESResolution」が稼働中である。多くの国の研究者が参加しており、日本は米国の重要なパートナーとなっている。

深海掘削計画は1960年代に始まったが、現在も継続中で、海洋科学研究上、もっとも重要な活動と言える。これまでの深海掘削の結果、海洋の生産性が過去どのように移り変わったか、それらの記録を1億年の昔までさかのぼって得ることができた。試料である堆積物中の微化石の研究結果から、こうした記録を得ることに成功したのである。

気候変動に対する海洋の生産性の反応について、過去200万年の記録はまことに興味深いものがある。この期間、地球表面は「大氷河時代」という短期間に激しい気候変動を何回も経験した。海洋=気候の間の関係についての実験を短期間に繰り返したも同然の時期に相当するからである。堆積物中の記録は、気候の温暖期には海洋の生産性が落ち、寒冷期には増進している事実を示している。

沿岸湧昇流域の高生産性海域で、比較的海底が浅い場所では、生産された有機物が容易に海底に達し、かつ以後埋積され易い。このような場所では、大陸棚端からさほど遠くない大陸斜面の海底下の浅い場所で有機物が蓄積保存される状態となる。こうした場所では有機物が発酵・分解し、ガスが発生する。こうしたガスは、「クラストレート層」の下に封じ込められる。クラストレートは、氷状化した水の隙間にガスの分子を包含する。メタンクラストレートは、低温・高圧のもとで安定している。大陸斜面下の浅所は低温・高圧で、メタンがよく保存される条件が整っている。しかし、メタンは氷の割れ目や、海底地滑り、あるいは溶けて弱くなった氷の間から容易に上方の海水中に逸脱する。

海洋の上層が温暖化した場合、メタンを包含する氷の力が弱まると、メタン(ガス)が、海中を経て大気中まで散逸する機会も増える。メタンの温室効果は二酸化炭素(炭酸ガス)の温室効果よりはるかに大きいから、さらなる気候の温暖化を招く。それはまた海底下のメタンの散逸を招来する。

気候の温暖化は、このように海洋の生産性を低めるのは事実である。

グラフ
地球規模の温暖化によって、海洋の生産性は低くなる。暖かい表層水で覆われる広大な大洋は栄養に乏しく、海の砂漠になぞらえられる

世界各国は、現在、進行中の地球温暖化にどう対処するか、議論中である。議論の中には、間違いがあるとか、そう緊急ではない、というものまである。

今世紀の終り頃、人類は、この問題についての解答を自然から得るであろう、また、急激な地球温暖化がもたらす海洋の生産性の変化の実態について知ることにもなるであろう。(了)

【解説】

本稿は、第7回国際古海洋学会議特別講演会「海と地球環境」(2001年9月、札幌)で発表された内容の一つを奈須紀幸先生の監修で紹介するものだが、古海洋学(Paleoceanography)といっても海洋関係者においてさえ馴染みが少ないのではなかろうか。監修者による若干の予備知識紹介文が手元にあるのでそれを借用させていただくと、次のようである。つまり、地球は2百数十万年前から気候が寒冷化し「大氷河時代」に入ったが、そのなかでも一層寒冷化した時期を「氷期」、やや温暖化した時期を「間氷期」という。現在は最終間氷期の中の一部にあたる。氷期と間氷期に連動して、過去数十万年で海水準は約120m程度昇降したという。海洋底とりわけ深海底の堆積物中に含まれる微小な化石等から海洋=気候の関係が解明されて、こうした科学的知見がもたらされる。さらに人為的な地球温暖化により、わずか百年単位の21世紀末には50cmから1m程度の海水準上昇が予測されている。そこで、こうした変動が世界の海洋社会にどのような影響を与えるか、どのような対策が必要か、真剣な検討が求められている。なお、本稿の基となった英文及び特別講演会「海と地球環境」において発表された内容は、シップ・アンド・オーシャン財団において要旨集として取りまとめている。(編集部)

●本稿の基となった英文はこちらからご覧いただけます

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