Ocean Newsletter

【Ocean Newsletter】バックナンバー

第349号( 2015.02.20 発行)
第349号(2015.02.20 発行)

駿河湾サクラエビ漁業の今日

[KEYWORDS]サクラエビ/駿河湾/プール制
東京海洋大学名誉教授◆大森 信

サクラエビ漁業は、持続的な漁業をめざして全ての漁船が一緒に漁に出て、協定を守って漁獲調整を行い、水揚代金を全船均等に分配するプール制を50年にわたって続けている。それでも、漁獲は以前の水準から減少しつつある。
資源量低下の原因には、漁獲能力の飛躍的な上昇とともに、沿岸の開発が深くかかわっているように思える。

漁業の昨今

■「駿河湾桜えび」は、今では地域ブランドとして全国に知られる存在となった。(写真提供:由比港漁業協同組合)

駿河湾でサクラエビ漁業が始まったのは、それほど昔のことではない。1894(明治27)年の12月の夜、富士川河口沖にアジの船曳き漁に出かけた由比の漁師2人の船が、網の口につける浮き樽を流してしまい、網は深く沈んでしまった。ところがそれを引き上げてみると、サクラエビが一石(180リットル)余りも入っていた。そんな出来事でサクラエビが深みに群泳していることが知られて以来、地元の由比、蒲原では盛んに漁が行われるようになった。サクラエビは急深で複雑な地形の湾奥の富士川沖と湾西の大井川沖に群れをつくることが多く、昼間は水深200~350mあたりにいて、暗くなる頃に水深20~50mに上昇する。漁は夜間、一つの網を2隻の船が組になって曳く(これを1か統(とう)という)船びき網漁である。
このエビは5月から11月の間に7~8回産卵し、ほとんどが1年数カ月で死ぬ。漁業は3月下旬~6月上旬の春漁と10月下旬~12月下旬の秋漁がおこなわれていて、エビは生まれた年の秋漁から翌年の秋漁まで漁獲される。現在、漁業に携わっているのは由比港漁業協同組合と大井川港漁業協同組合で構成される静岡県サクラエビ漁業組合所属(由比、蒲原、大井川の3地区に分かれる)の120隻(60か統)である。近年の漁獲量は年間約1,000~2,500トン、金額は約23億~55億円に達している。漁獲されたエビは翌朝、港で加工業者らに買い取られ、伝統的な素干しのほか、釜揚げや生エビの急速冷凍品に加工されて市場に出される。2006年には「駿河湾桜えび」という商標登録が認可され、地域ブランドとしてのサクラエビの名は全国に知られている。

プール制の導入

■富士山と赤い絨毯のように広がるサクラエビ。(写真提供:由比港漁業協同組合)

■伝統的な素干しの風景。(筆者撮影)

サクラエビ漁業は漁場が限られているので、狭い漁場に全漁船が密集すると激しい漁獲競争が行われ、漁船間の争いや乱獲などの原因にもなりやすい。また、素干しエビの加工は天候に影響され、一日に処理できる量にも限界があったために、漁獲量がそれ以上になったり、雨天が続いたりすると大幅な値下がりになった。1960年代は船主達が過当競争と漁船や漁具の充実のための出費に苦しんでいる時でもあった。そして、富士市の製紙会社からの廃液と田子浦港から流れ出した大量のヘドロがエビの漁場を汚していた。このような状況にあって、漁業者の間にはこのままの操業を続けるなら、やがて漁業は衰退してしまうかもしれないという不安が広がっていた。
そこで考え出されたのが、すべての漁船が一緒に漁に出て漁獲調整を行い、水揚代金を全船でプールして、利益を分け合うあう制度である。プール制は2年間の試行の後、1968年の秋から3地区に分かれて始まった。その頃から、田子浦港のヘドロ公害に対して、漁民たちは一体となって公害反対闘争に立ち上がった。この運動は地区の意識を超えてサクラエビ漁業者の間に強固な連帯感を生み、やがて1977年からは3地区の全船を統合した総プール制に移行し、今日に至っている。この、漁民たち自らが作り出した制度では、資源保護と価格調整を念頭に、出漁時間、操業時間、目標漁獲量、操業方式などを毎日、3地区21人の出漁対策委員が決め、すべての漁業者がこれに従って網を曳いている。
共同体的漁業制度の潜在的価値を説いた識者の助言に耳を傾け、サクラエビ資源を子孫にまで残すべき共同の財産と考えて、ほぼ50年にわたってプール制を守っているのは日本の水産界では稀有の事例である。

船がよくなっているのに獲れない

それまでの研究によって、サクラエビの漁獲量は、かなり前からしばしば持続可能な資源量を確保し得る「適正漁獲量」の限界近くに達していると推定されていたことから、1983年頃には、漁協のリーダーたちは予防原則を入れて、年間の漁獲量を2,000~3,000トン台に維持することに合意した。そして、著者によって、CPUE※(漁獲努力量あたり漁獲量)が漁場の夏季(幼生と稚エビの成長期)の50m層の水温と密接な関連をもつことが示されてからは、漁業者自身が水温測定や産卵調査を行って資源の動向に注意を払う一方、漁場では毎回試験曳きを行ってエビの体長を測り、小型の群れを避けるようになった。
しかし、そのような資源保護への思いにもかかわらず、サクラエビ漁業は新たな試練を受けつつある。それは資源量の低下である。2002年ごろまでは、1979~81年の不漁を除いては、年間2,000トン以上の漁獲量を維持してきた。しかし近年は、1,000トン台に低下している。漁具・漁法の近代化・大型化による漁獲能力の飛躍的な向上は、不漁年の漁獲量の嵩上げには役立っても、漁獲量は以前の水準から減少しつつある。資源量の低下は、精度の良い魚群探知機やネットゾンデや強力なウィンチなど、高度な技術を集めた漁船によって、気付かぬうちに心ならずも「適正漁獲量」を越える漁獲が行われてしまったことが原因の一つと思われる。因みに1966年頃まで、春漁で漁獲される産卵前のエビの尾数は資源量の70%程度だったが、1998年以降は毎年、79~92%が漁獲されてしまっている。資源量が低下している間は産卵群をもっと残すように漁獲を控えなければならない。プール制なら、それは可能だ。


■駿河湾サクラエビの漁獲量の変動(1999~2014)
(静岡県サクラエビ漁業組合提供)

沿岸陸域の変化

資源量の低下について、私たちはこれまで駿河湾内と沖合の環境の変化にだけ注目してきた。しかし、この50年間の漁場周辺の環境の変化は海域より、むしろ陸域で著しい。サクラエビの主産卵場となる湾奥では富士山を源とする大量の海底湧水が湧出している筈である。陸と海を分断するような基幹道路や巨大な防波堤の建設によって、目には見えない湧水の道はどんな影響を受けているだろうか。陸上では豊かな湧水が製紙工場群の稼働に使われ、また富士川などには数多くの利水ダムや砂防ダムがつくられて、駿河湾に流入する地下水と河川は質量ともに大きく変化していると思われる。このような沿岸の開発がサクラエビの生息場に及ぼしている影響について、私たちは海から陸を見て考える必要があるようだ。(了)

※ CPUE:Catch Per Unit Effort(漁獲努力量あたり漁獲量)。単位努力量(出漁席数、日数、定置網の設置統数などの漁労行為の量)あたりの漁獲量。水産資源量をはかる指標。
ページトップ