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オーシャンニューズレター

第347号(2015.01.20発行)

第347号(2015.01.20 発行)

富山湾─その豊かな沿岸世界と内陸をつなぐぶり

[KEYWORDS]出世魚/食文化/水産流通
富山大学人文学部教授◆中井精一

『世界で最も美しい湾クラブ』に加盟することが決まった富山湾は、世界有数の豊かな海でもある。
定置網で有名な氷見市灘浦地区では、水揚げされるぶりをいくつもの段階で分類し、品質の保持を行ってきた。ぶりは沿岸部ではぶり大根などに、内陸ではかぶらずしなどの郷土料理を生むなど、沿岸と内陸の食文化形成に大きな影響を与えている。

家持も見た世界で最も美しい湾

■雨晴海岸から立山を望む(高岡市提供)

「あゆの風 いたく吹くらし 奈呉(なご)の海人(あま)の 釣する小舟(をぶね)漕ぎ隠る見ゆ」※1奈良時代に越中(富山県)に赴任した大伴家持は、国府があった高岡市伏木から見える富山湾(射水市の奈呉の浦)の景観を、春から夏にかけて吹く「あいのかぜ(あゆの風)」を織り込んで詠んでいる。
2014年10月19日、『世界で最も美しい湾クラブ』※2に富山湾が加盟することが決まったが、富山湾の美しさは、1,200年の時空を越えて万葉時代にも通じている。
富山湾は、日本海最大の外洋性内湾で、表層を流れる暖かい対馬暖流と水深300m以下の一年中2℃前後の冷たい日本海固有水(深層水)により、暖流系と冷水系の両方の魚が生息できる環境になっている。さらに富山湾には、北アルプスの山々から豊富な酸素と栄養分が供給され、美しい景観だけではなく、約500種にものぼる魚が生息する世界でも有数の豊かな海である。

富山湾の寒ぶり

■氷見の魚市場にならぶ寒ぶり

パラパラパラと屋根や地面に響く霰の音に、地鳴りのような冬の雷。冬の雷鳴はぶりの大漁の予兆とされ、「ぶり起こし」とも呼ばれている。富山湾のぶりは、脂がよく乗っていて、肉も厚くてとてもおいしい魚であるが、旬は、11月末~1月にかけてで、若狭湾、佐渡の両津湾の寒ぶりとともに全国各地に知れ渡っている。ぶりは日本各地の沿岸に生息する回遊魚で、多くは定置網で漁獲する。富山湾の漁場のなかでも氷見灘浦は、山口県、宮城県とともに定置網の日本三大発祥地の一つにあげられ、元和年間(1615~24)には始まり、『毛吹草(けふきぐさ)』※3には「越中鰤、丹後伊祢浦鰤、出雲友島鰤、壱岐鰤、対馬鰤」とあって、近世初頭以来400年にわたるぶりの主要産地のひとつと言える。

出世魚ぶりの呼び方と地域差

■富山湾とその周辺における鰤の成長段階名

ぶりは成長するにつれて呼び名の変わる出世魚で、小さい順に、東京付近ではワカシ→イナダ→ワラサ→ブリ、大阪付近ではツバス→ハマチ→メジロ→ブリと呼ぶ。地域名称は95種にも及ぶ。
富山県内で実施した調査によれば、東部ではツバイソ→フクラギ→ガンド→ブリあるいはツバイソ→フクラギ→ハマチ→ブリというように成長段階に応じて名称を変えていた。また、西部ではコズクラ→フクラギ→ガンド→ブリといった順で名称を変えていた。つまり、富山県東部では一年幼魚をツバイソというのに対して、西部ではコズクラという地域差のあること。また東部には成魚であるブリのひとつ前の段階をガンドと呼ぶ地域とハマチと呼ぶ地域に分かれる。

ぶりの成長段階数とその流通

ぶりの成長段階数に注目してみたい。東部のツバイソ→フクラギ→ハマチ→ブリや西部のコズクラ→フクラギ→ガンド→ブリのように4段階であるのに対して内陸部は3段階が多く、山間部はフクラギ→ブリといった2段階ないしブリのみの1段階の名称しか使用されていない。
魚介類の流通が今日ほど発達していなかった1975(昭和50)年頃までは、無塩のぶりが流通するのは沿岸部に限られていたため、一年幼魚のツバイソやコズクラ、二年幼魚のフクラギなどは内陸での食生活で利用されることなく、内陸の各地域では、成魚のブリという名称しか使用されていなかったという。
ぶりの定置網で有名な氷見市灘浦では、コズクラ→フクラギ→ニマイズル→ガンド→ブリと、フクラギとガンドのあいだにニマイズルの段階を設け、5段階での回答が主流を占めた。ニマイズルは成魚に近いフクラギを、ガンドは北陸以外の地域では成魚のブリとして扱われる小型のぶりを、商品価値の高い5kg以上のものと区別するために設けられている。このようにぶりの段階数は、ブランド保持にもとづいた商品の品質と規格の表示であり、これらは人間の経済活動による分類とも言える。

沿岸世界と内陸世界をつなぐぶり

ぶりは捨てるところのない魚で、アラはぶり大根、カマは塩焼き、内臓はなますにするなど、富山湾沿岸にはぶりを使った様々な郷土料理が残されている。
また、沿岸から10kmも内陸に進むと無塩のぶりが流通することはなく、ぶりは年末に行商人が売りに来る塩ぶりに限られていた。購入した高価な塩ぶりは、正月の年越し魚になったり、ぶりを蕪にはさみ麹で漬ける「かぶらずし」などの独自の発酵文化の形成につながっている。
現在、富山湾で獲れるぶりの約90%は関東へ生で出荷されているが、かつては、そのほとんどが塩ぶりに加工されて、富山県内のみならず内陸の長野県や岐阜県にまで運ばれていた。富山湾で獲れたぶりは、塩漬にされ、四日がかりで飛騨高山の老舗魚問屋川上に運び、そこから信州、美濃一円に「飛騨ぶり」の名で売りさばかれていたという。
美しい富山湾の沿岸とその背後に広がる内陸の食文化形成にぶりは食材以上の大きな意味をもっている。(了)

※1 『万葉集』巻17-4017、大伴家持。(現代語訳)東風が激しく吹いているらしい。奈呉の海人の釣りする小舟が、波の間に漕いでいるのが見え隠れしている。
※2 『世界で最も美しい湾クラブ』=湾を活用した観光振興と資源の保全を目的に1997年に設立。フランス政府の支援の下、ヴァンヌ市に本部を置く、ユネスコが後援する非政府組織。
※3 『毛吹草(けふきぐさ)』=1645年刊、松江重頼編。 江戸時代の俳諧論書で、発句・付句の作例などのほか、季語・付合語彙・諸国名物などを記す。

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