Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第346号(2015.01.05発行)

第346号(2015.01.05 発行)

海で世界観が変わる

[KEYWORDS]生物多様性/サンゴ礁/臨海実習
東京工業大学名誉教授◆本川達雄

生物学科には臨海実習という授業がある。これのおかげで、たくさんの多様な動物のいることが、身に染みて分かった。
サンゴ礁の海に潜ることにより、われわれは多様な生物に囲まれて生きていることを実感できた。生物多様性を守るには、多様な生物と共に生きているという実感が大切だと主張したい。

臨海実習で動物の多様性に目覚める

私は動物学者である。ただし、もともと動物好きだったわけではない。世界は素粒子のレベルから人間の文化という高次のレベルまで、じつにさまざまなレベルがある。それらすべてを見渡すには、中間のレベル、つまり生物学あたりから眺めるのが一番良いのではないかと考え、東京大学理学部生物学科動物学教室へ進学した。動物を知りたいというよりは、全世界を眺めたかったというのが動機だった。
なんのことはない、頭でっかちで、実際の動物については何も知らない学生だったのだが、そんな私に動物のめくるめく多様な世界を教えてくれたのが臨海実習だった。
動物学教室には三崎臨海実験所という、海の生物を研究する施設が海辺にある。ここに1週間泊まり込んで実習を受ける。潮が引いた時に磯で岩場の動物を集める。翌日は泥地、次の日は砂地と、違った場所で動物を集める。明け方には和船を漕いでプランクトンネットを引き、夜には海を電灯で照らして集まって来る動物をすくい取る。こうして棲み場所や活動時間帯の違うさまざま動物を、次から次へと集めてきて分類し、スケッチした。
ケント紙に絵を描いていくのである。何と原始的な! 写真に撮ればいいじゃないと思うかもしれないが、それは違う。自分で線を1本引くにしても、どうなっているかを見極めなければ、自信をもって線が引けない。時間をかけて描くことにより、相手が見えてくるものなのだ。
なにせ動物の数が多すぎる。寝ている時間などない。実習も終盤にかかると意識は朦朧としながら鉛筆を動かすという、きわめてハードな実習だったが、こんなにも(いやになるほど)動物はいっぱいいるのかと、身に染みて感じることができた。
ふつう、動物としてイメージするのは4本脚か6本脚のもの。ところが海にはそのイメージから、とんでもなくかけ離れものがいろいろといる。動物を大きくグループ分けする単位に「門」があるが、既知の門の数は約35門。そのほとんどが海の動物である。門が違うとは、体のデザインが大きく異なるということ。動物の目立つ特徴の一つが多様性であり、その多様性を知るには、海に行かねばならない。そこで臨海実習なのである。
生物は海で誕生し、ずっと海で進化してきた。最初の生物の登場は約38億年前。それ以来、生物は長いあいだ海だけで生活し、多様化してきた。生物が陸に上がったのはやっと約5億年前であり、それもごく一部のものが上陸したにすぎない。だから圧倒的に海の生物が多様なのである。

沖縄の海で世界観が変わる

■沖縄瀬底島にある琉球大学の臨海実験所(現、熱帯生物圏研究センター瀬底研究施設)(写真提供:中野義勝氏)

■沖縄のサンゴ礁(写真提供:中野義勝氏)

大学のスタッフとして動物学者の道を歩み始めた後も、「どうにも動物と付き合う経験が少ないなあ、これではプロとして不安だなあ」という思いが強かった。なにせ購入した動物や採集人がとってくれた動物を、研究室で切り刻むのが日々の仕事であり、これでは、その動物が実際に暮らしている生きた姿がさっぱり浮かんでこない。
そんな時、沖縄にポストがあると紹介され、飛びついた。生物多様性の最も高いのが、陸では熱帯雨林、海ではサンゴ礁である。沖縄なら、多様な生物たちの間にどっぷりと浸かり、かれらの姿を見ながら研究できる!
琉球大学に赴任して、さっそく瀬底島にある臨海実験所に出かけた。潜ってみて驚いた。まわりは熱帯魚だらけ。そして目の前にはサンゴの林がえんえんと広がっている。サンゴの林の中では、イバラカンザシゴカイがカラフルなパラソルを広げ、一抱えもあるイソギンチャクが白い触手をゆらめかせて、中にメタリックオレンジに輝くクマノミを抱きかかえている。色の洪水、生きものの洪水。こんな美しい光景があるのか、こんなに多様な生物に満ちあふれた世界があるのか! と世界観が変わった。
それ以来、瀬底島に通って実験する生活が始まった。島では毎日、用がなくても1時間は潜った。生きものに囲まれてぼーっとしていると、生きものの中に溶け込んでいく。そして逆に、生きものの雰囲気が体に染み込んでくる。これを1年続けていたら、生きものとはこんなものなんだという感覚が、体に染みついてきた。
瀬底島にはハブがたくさんいた。ヤブ蚊もわんさかいた。どんどん刺された。それらをも含めて、多様な生物たちと共に生きているのがこの世界だと実感を伴って教えてもらえたのが、瀬底島だった。こういう実感が持てると、生物について何を語ろうとも、それほど的外れなことは言わないだろうなと思えてきた。動物学者としてやって行く自信が持てた。そして人間としても、生きて行く度胸がついたと思う。

生物多様性を考える基礎

今、生物多様性の減少が大問題になっている。ただしマスコミで取り上げられるのは、パンダだイルカだチンパンジーだと、可愛いくて親近感をもてる動物が危機的だという話か、さもなければ、生物多様性は新薬の宝庫だというような役に立つ面ばかりである。
だが本来、多様とは、その中には可愛くもなく、われわれの役に立つかわからないものもたくさんいることを含意している。嫌いなものともきちんと付き合う姿勢をもってこそ、本来の意味での多様性を大切にすることになるわけで、そうでなければ、自分の好きなものだけを選んで守ることになってしまうだろう。嫌いなものたちをも含め、われわれは多様な動物たちと共に生きているのだ、それが世界というものなんだという実感が、生物多様性を守る上で、まず必要なことだと思う。
われわれの思惑などとは関係なく、多様な生物がいて、その中でわれわれが生きている。これは厳然たる事実なのだが、陸上に都会という人工的で自分のみに好都合な環境を作ってそこで暮らしている現代人には、なかなかそれを実感する機会がない。病原菌をはじめ、生物は人間に都合の良いものばかりがいるわけではない。そして海も人間に都合の良い顔だけを見せるものではない。瀬底島で体験した台風時の荒波など、ただただ恐れおののくべきものであった。
そこまでを含め、ぜひぜひ、沖縄の海に潜りに行き、生の自然を体験することをお薦めしたい。世界の見方が変わります。(了)

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