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オーシャンニューズレター

第344号(2014.12.05発行)

第344号(2014.12.05 発行)

海洋文化資源と水中文化遺産保護条約

[KEYWORDS]ユネスコ(UNESCO)/海事博物館/遺骨収容
東京海洋大学大学院海洋科学技術研究科教授◆岩淵聡文

海洋資源は水産資源、海底鉱物資源、海洋文化資源から成り、海洋文化資源の中心は水中文化遺産である。
ユネスコの水中文化遺産保護条約が2009年に発効以来、各国は水中文化遺産の問題へ取り組みを始め、水中考古学者の養成や国立研究施設の整備などを行ってきている。
一方、日本では政府レベルの政策はなく、国立海事博物館も存在していない。こうした中、第二次世界大戦中に沈没した日本船についての国際問題が発生してきている。

水中文化遺産保護条約

■中国の新博物館構想

水産資源、海底鉱物資源、海洋文化資源が海の資源の三本柱である。ユネスコの「水中文化遺産の保護に関する条約」(以下、水中文化遺産保護条約)が2001年に制定、2009年に発効して以来、世界各国は海洋文化資源に対する積極的な言及や関与を始めている。なぜならば、海の文化の問題が国の海底資源開発や海の領土紛争の行方を左右しかねないという認識が共有されつつあるからである。
たとえば、海底資源採掘の現場で沈没船などの水中文化遺産が発見されたとする。すると、水中文化遺産保護条約の発動により、その発掘調査が終了するまでは資源開発が停止してしまうのである。このような事態を十分に想定して、メジャーの石油会社などは開発予算の数パーセントを水中文化遺産の事前探査費用としてすでに計上してきている。
さらに複雑な問題として、こうした水中文化遺産は他国由来のものである可能性がつねに高く、その際には他国の研究者や調査船が自国の領海やEEZに堂々と入ってくることもある。このため、各国は海の文化遺産の調査研究体制の構築や自前の研究者の育成に余念がない。しかし、日本の海洋基本法には海洋文化資源に関する条項は存在しない。
日本が水中文化遺産保護条約を批准していないが故の結果であるとも考えられるが、国際的には未批准国といえども同条約の価値や原理を無視できないような環境が生まれつつあり、未批准国の米英豪などは逆に研究者の養成という側面でこの分野の主導権を握ろうという意思を明確にしてきている。
世界各国は、海の文化資源の保護や管理の拠点として国立の水中考古学博物館や海事博物館の設立も推進してきている。アジアにおいて顕著であるが、欧米ではもともと、オランダなどでも各都市に海事系の国立博物館があり、広い意味での自国の海の文化や歴史の研究拠点、海洋国の表看板としている。世界の流れに逆行して日本では、民間の「船の科学館」は本館の展示を休止中であり、大阪の「なにわの海の時空間」もすでに閉鎖されてしまった。そもそも、こうした博物館が国立の施設ではなかったという事実も、海洋国日本としては全く信じられないお寒い現状である。

水中文化遺産とは?

■長崎県諫早市の石干見

ユネスコの水中文化遺産保護条約によれば、水中文化遺産とは文化的、歴史的、または考古学的な性質を有する人類の存在のすべての痕跡であり、その一部または全部が定期的あるいは恒常的に、少なくとも百年間水中にあったもののことである。海洋文化資源の中心が水中文化遺産であるといえる。代表的なそれは、沈没船やその積荷、海底に沈降した住居址などである。しかしながら、注意しなければならないのは、条約では一部が定期的に水中にある遺構も水中文化遺産と区分されているという点である。
たとえば、水中文化遺産保護条約にしたがえば、太平洋域にも広く見られる潮間帯の定置漁具である石干見(いしひび)※1は立派な水中文化遺産の一つである。ところが、旧来の考古学や水中考古学は石干見をその研究対象とは考えてはいない。日本でも、石干見はこれまで主として人類学者や地理学者によって研究されてきた物質文化であった。こうした齟齬は国内の石干見の文化財指定にも表れてきており、長崎県の諫早市の石干見は「有形民俗文化財」であるのと同時に、農林水産省から「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」の一つとしても選ばれているという混乱がある。
また、最近では、水中文化遺産の中に伝統的な漁村や塩田の風景というような文化的景観を含めて考えるという見方も登場してきており、水中文化遺産を論じる際には、日本の文化財保護法の範疇を超えた視点が必要となってきている。
沈没船遺構については、さらに別の問題もある。日本周辺には数百カ所の沈没船遺構が存在しているが、文化財保護法に基づいて埋蔵文化財包蔵地もしくは史跡と指定されているのはそのうちのわずか四カ所だけである。他の沈没船遺構には国土交通省が所管の水難救護法※2が適用されている。実際の水中文化遺産にもっとも触れる機会の多いのは、港湾や海底作業の建設現場の潜水士であるが、「潜水士」は厚生労働省の国家資格であり、実際の潜水作業では、「港湾潜水技師資格」をはじめとした各種免許・資格を要し、管轄は多岐にわたっている。海の文化資源や水中文化遺産というテーマも、統合的な沿岸管理という枠組みの中で各省庁を横断した議論の対象としていかなければならない時代となってきているのである。

戦跡である水中文化遺産

2014年6月にベルギーのブルージュにおいて、ユネスコ主催の戦跡である水中文化遺産に関する国際会議が開催された。第一次世界大戦の開戦百年という節目で行われたもので、戦争中に沈没した軍艦の遺構などがこれから水中文化遺産となっていくからである。日本からは、ユネスコ水中考古学大学連携ネットワークのメンバー校である東京海洋大学のイコモス国際水中文化遺産委員会日本代表(岩淵)のみが出席した一方、他の第一次世界大戦の戦勝国は、当然のことながら、政府代表団や高級軍人を同会議に送り込んできた。世界各国の海の文化資源への関心の高さがうかがえる。
会議の最終日に共同アピールが採択され、水中文化遺産保護条約の二大原則である水中文化遺産の「商業的利用の禁止」と「現位置保存(引き揚げ禁止)」にしたがって、沈没船遺構の保護や管理体制を確立していくという方向性が打ち出された。しかしながら、日本やアメリカの主張も通り、アピール中に「多くの沈没船戦跡を海事戦争墓地として認める」という一文も入ることになった。予想通り、会議の最終段階では、同アピールを第二次世界大戦の沈没船戦跡にも準用するべきであるという主張も登場し、この一文がなければ日本政府による遺骨帰還事業にも影響が出かねないところであった。
第一次世界大戦とは異なり、第二次世界大戦の水中の戦跡の多くは日本関連のものである。おりから、太平洋の小島嶼諸国から国連やユネスコに対して、第二次世界大戦中に沈没した日本船からの油漏れなどによる環境問題への対応が要請されてきている。その一方で、プレジャー・ダイバーによる日本人遺骨の無許可引き揚げなどという憂うるべき事態も現実のものとなっている。文化財保護法や水難救護法が適用されない他国の領海にある日本起源の水中文化遺産については、二国間協定や多国間協約の締結も検討しなければならない。こうした戦跡が水中文化遺産保護条約により正式に水中文化遺産となるのは2045年前後ではあるが、残された時間はそれほど多くはない。遺骨収容問題とも関連して、幅広い政策的な議論が今求められている。(了)

※1 石干見(いしひび、いしひみ)は、潮の干満で石積みの内側に取り残された魚介類を捕る伝統的な漁法、およびそれに用いられる石積み。
※2 水難救護法(明治23年法律95号)は、遭難船舶救護の事務と漂流物、沈没品の保管の事務に関して規定。これらは、地方自治体の法定受託事務となる。

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