Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第340号(2014.10.05発行)

第340号(2014.10.05 発行)

水族館は大衆メディアである

[KEYWORDS]水塊/マスカルチャー/カスタマーズ起点
水族館プロデューサー、(株)中村元事務所代表取締役◆中村 元

水族館開発を、大衆のためのマスカルチャー化と位置づけることで、サンシャイン水族館や新江ノ島水族館の集客を何倍にも伸ばした筆者が、水族館プロデューサーという仕事を通して、水族館における集客の重要性を説くとともに、水族館がメディアとして海の未来に果たす役割を示す。

水族館プロデューサー

水族館プロデューサーとはいかなる仕事か? 私への定番の質問である。そう、水族館などだれにでもつくることはできる。とりわけ依頼の多いリニューアルであれば、その水族館にはすでに専門家たる飼育展示係に、学芸員やもちろん館長もいるのだ。自力でリニューアルを実施できないわけがない。しかしながら、その専門家たちのつくる水族館や展示は、往々にして生物学や自然科学の教育が目的の水族館になる傾向が強い。するとその水族館は一般大衆の興味を惹かず、子どもの理科教育施設として位置づけられてしまうのだ。水族館プロデューサーの仕事とは、そのような状況を避け、利用者にとって価値の高い水族館を実現することである。
水族館の価値の高さとは、利用者が多いこと、そして利用者が満足することに尽きる。......と言うと、生物のことよりも経営のことばかり考えていると批判されるのだが、それは的外れだ。おそらく私ほど、水族館に囚われた生物たちに申し訳なく思っている水族館関係者もいないのではないだろうか。しかし、水族館とは生物を水槽に閉じこめて「見せる」のが目的の施設なのだから仕様がない。それならば、彼らの姿や生きザマを見せる相手つまり利用者が多い水族館、あるいは見る人の多い展示を実現することこそが、唯一、囚われの身となった生物たちへの道義的な義務であると信じている。

水族館は哲学を育む

私がこのような考えで水族館づくりをしている理由の一つが、囚われの生物つまり「命」への思いだ。それは、日本に生まれ育った者としての世界観による。存在するもの全てに魂やときには神が宿るとする、日本に古くから息づく世界観においては、イルカだろうが魚だろうがクラゲだろうが、そしてもちろん人だろうが、等しく魂を持つ命だ。それら命には貴賤も上下もなく、互いに生かされているというアニミズム的思想を、水族館で働き始めてから再認識した。同時に、西洋科学で信じられてきた「自然をコントロールする」という環境学が破綻することも、水族館で働いていたからこそ予感できた。私にとって水族館とは、自然科学系博物館などという小さなカテゴリーではなく、精神や宇宙の存在を問うための、哲学を探究できる驚きの場所だったのだ。
そもそも私は、自然科学を学んではいないし、生物にとりわけ知識があるわけでもない。しかし、水族館の利用者のほとんど全てが、私と変わらない一般大衆なのである。だから水族館における「いい展示」とは、命や水中世界を見せることによって、一般大衆の知的好奇心を起こし、利用者がそれぞれの哲学を手にすることのできる展示のことだと気づけたのだ。そして、私の使命とは、日本人が忘れかけていた、人以外の命に対する感謝や、海に対する畏れの気持ちを思い出すことができる展示を実現することだと心に決めた。

人々は水塊を求める

■滝つぼの水塊(山の水族館)

■ラグーンの水塊(サンシャイン水族館)

ありがたいことに、私の手掛けた水族館はすべて奇跡的と称される集客増を果たすことができた。私などに利用者数の多い水族館や展示が開発できる理由は秘密でもなんでもない。開発の指針を「水族館は大人の施設」であることと、その大人が見にくるのは、珍しい生物などではなく「水塊」である、という2点にこだわっているだけだ。
水塊とは私の造語で、水中の景観による清涼感や浮遊感あるいは躍動感や開放感など、水中世界の非日常感覚を、水槽に凝縮したものを現している。水塊度の高い展示ほど人々の関心を集め、そのような展示が際だった水族館ほど集客も多い。集客の理由は、水塊を好むのが大人だからである。水族館は今まで永らく、供給者の考え方によって、子どもやファミリーのための施設と位置づけられてきた。しかし社会の9割は大人である。巨額の資本を必要とし、気の毒な展示生物を閉じこめ、環境負荷も大きい水族館が子どものためだけの施設であることは許されない。
人口の9割を占める大人の利用を増やし、その人々になんらかの有意義な発見をして欲しいと試行錯誤を重ねた結果、美しい水塊が大人の感性にさまざまな影響を与え得るという結論に達したのだ。

マスカルチャーが未来を変える

このところ大衆の中で急速に、海や海の環境への関心が高まってきた。それは、海洋学者や行政による普及活動によってのみ達成されたのではなく、海の世界への好奇心をかき立てるテレビ番組や、海を舞台にした小説など大衆文化たるメディアによる影響が大きいのだ。そして日本では、そのメディアの一つとして水族館が大きな貢献を果たし始めている。普通の水族館好きあるいは癒しを求めて水族館を訪れる人々が、突然、海や生物に好奇心を持ち始める例はとても多い。しかしながら冒頭述べたように、わが国では、水族館を含めた博物館施設は、国民あるいは子どもを教育するためのハイカルチャーを目指してきた。これを利用者に応えるマスカルチャー(大衆文化)化することが、存在価値の高い水族館を実現することに繋がる。市民革命以降、世の中の大きな変革のほとんどが大衆によって成し遂げられてきた。そして今や水族館も、大衆の利用方法によって変化させられ価値が上がりつつある。大衆が水族館をマスカルチャー化し、そこから新たな時代が始まろうとしているのだ。
そんな新しい水族館時代をより早く実現するために、水族館は「見せる」ための思想や技術を身につけなくてはならない。そこで、水族館の展示を開発するだけでなく、新時代の学芸員や展示スタッフを育成することもまた、私の水族館プロデューサーとしての使命の一つとしているのである。(了)

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