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オーシャンニューズレター

第322号(2014.01.05発行)

第322号(2014.01.05 発行)

国の責務による支援施策と「離島特別区域制度」の実現を

[KEYWORDS]離島振興に対する国の責務/小笠原諸島/離島特別区域制度
全国離島振興協議会・公益財団法人日本離島センター顧問、前新潟県佐渡市長◆髙野宏一郎

離島にあまねく人が住み続けるために、領域確保や海洋保全など離島が果たしている多様な国家的・国民的役割を踏まえ、国の責務で支援施策を実行すべきである。しなしながら、離島はそれぞれが振興の基礎条件や目標が大きく異なっているため、各離島の特性に応じた個別の対応、「離島特別区域制度」のような仕組みを導入すべきである。

離島はすべて同じ、離島はすべて違う

私の住む佐渡島は、わが国最大の島である。以前から、それぞれ島の置かれた環境の違いを感じていた私は、2007年に全国離島振興協議会会長に就任して以来、ほかの島々、とりわけ小さな島々の実情を自分の眼で見てみようと考え、5年ほどの間に数多くの離島をあるいた。2012年4月の退任後も小笠原諸島(東京都)や小値賀島(長崎県)、奄美大島(鹿児島県)、南大東島(沖縄県)などを訪れたが、その中で感じたことは、「離島はすべて同じ」「離島はすべて違う」という一見相反する2点に集約できる。
まず前者は、領域確保や海洋保全など離島が果たしている多様な国家的・国民的役割を踏まえ、離島にあまねく人が住み続けるために、国の責務で支援施策を実行すべきということ。水域による本土と隔絶──これが離島共通の条件だ。本土と結ぶ船の就航は不安定である上に便数も限られ、本土側の陸上交通機関と比べて数倍に及ぶ人流・物流コストを負担せざるをえない。
また離島は、人材が不足している。経済を支えてきた第一次産業も衰退し、多様で複雑な社会に適合するよう教育を受けた若者を受け入れる余地があまりにも少ない。たくましさや健全さを育む自然やコミュニティを有しているが、離島の若者は教育期間が終わると都市に出てしまい、戻ろうにも戻れない。都市は地方からの人材を消費するだけで、親が子どもの養育や教育にかけた費用は地域に還元されず、離島は過疎化・貧困化する一方だ。
生活の安定と産業の発展、交流の促進を妨げているこうしたハンディキャップを解消しなければ、早々に離島の定住環境は維持できなくなり、わが国の国益が脅かされることになりかねない。

実効支配を確立するため、離島住民を小笠原に定住させた幕府

■小笠原父島に停泊するおがさわら丸。東京からは25時間半の船旅。

■週2便の村営船が入港すると、島の男たちが総出で荷役にあたる。トカラ列島小宝島にて。

この前、小笠原諸島を訪れた際、東京から25時間余の長い船旅にちょうどいいと思い、船内で1冊の本を購入した。中山千夏著『海中散歩でひろったリボン』。内容は、著者がダイビングの師として尊敬する水中写真家の益田 一氏(1921~2005)の業績をはじめ、その曾祖父にあたる益田鷹之介(1827~1904)と小笠原とのかかわりについて書かれたものだった。佐渡島出身の鷹之介は、地役人から外国奉行の配下にまで出世した能吏で、息子の益田 孝(1848~1938)は三井物産の初代社長、日本経済新聞の創始者となった。私は、はるか太平洋の海原の上で故郷の偉人にめぐり会えた偶然に、夢中で読み入った。
維新前夜の1862年、益田鷹之介は幕府小笠原派遣団の一員として、咸臨丸で八丈島や塩飽(しわく)諸島出身の水夫たちを引き連れて小笠原へ渡り、欧米系の入植者を保護しつつ、翌年八丈島から到着した開拓民38人を定住させるため、南洋の孤島で1年半にわたって力を尽くした。19世紀に入った頃から日本列島の周縁に外国船が出没、それまで無人島だった小笠原にも欧米の手が伸びてきており、幕府は実効支配の確立には自国民の定住が不可欠であると判断、厳しい環境に耐えうる離島住民の能力が買われ、大きな役割を果たしていたのだ。島々の存在価値と、島に人が住むことの大切さは当時から強く認識されていたのである。
近年、国境域に位置する離島の周辺がにぎやかになり、緊張が走っている。国外から圧力を受ける前にどう対処すべきか、当時の幕府の対応にはさまざまな評価はあるようだが、大きなヒントがあるように思う。

「離島特別地域制度」の導入を

数年前、鹿児島県十島村(としまむら)のトカラ列島(有人7島)を、村長とともに訪れた。島々に寄航してゆく村営船は週2便、最南端の宝島へ着いたのは鹿児島を出航してから13時間後のこと。ある島では港も満足に整備されておらず、防波堤の内側に接岸した船にタラップを掛けるため、学校の先生方も手伝っていたことに強い印象を受けた。ある島では接岸するや否や、数人の子どもたちが船へ駈け入ってきた。驚いて聞くと、船内にあるアイスクリームの自販機がお目当てだったとのこと。もちろん病院はなく、月に数度診療船が回ってくるだけだ。専門医療などを受けるには本土へ渡らねばらない。わが国の有人離島(418島)の中には、佐渡島のように病院やコンビニエンスストアまである島もあれば、診療所や商店もなく不便を託(かこ)っている島もあり、そもそも振興の基礎条件や目標が大きく異なっている。これが「離島はすべて違う」ということだ。
これからは各離島の特性の応じた個別の対応、「離島特別区域制度」のような仕組みを思い切って導入すべきである。これは離島振興法改正(2012年6月成立、2013年4月施行)にあたって特に主張し続けてきたことでもあり、改正法には「離島特別区域制度の整備」(第18条の2)として新たに明記されることとなったが、具体的な制度設計などはこれからの課題となっている。
たとえば都市の人口密集地で大きな事故が起きた場合、国は離島の状況など考慮せずに規制を強めてしまうことがある。石油製品輸送の場合、フェリーにはタンクローリーを一台しか積めないなどの例もある。車検場が島内になく、本土側へ自動車を輸送するだけで車検費用に匹敵するような輸送費を負担せざるをえない島では、車検の有効期限の延長などを求める声もある。
やる気のある人たちが離島で起業できる条件整備も必要だ。もし仮に優遇税制区域が認められたら、企業や起業家が集まり、定住促進にもつながるだろう。本土地域などに影響を与えないゆるやかさこそが、起業家に勇気を与えるのではないだろうか。

新しい資源エネルギー国として

かつて海は、漁業資源の開発が行われる空間くらいにしか認識されていなかった。しかし、いまは違う。紀伊半島沖や佐渡沖などには、相当量のメタンハイドレートや天然ガス、レアアースなどの貴重な資源が眠っており、開発の手を待っている。新しい資源エネルギー国としてのデビューも近い。日本は、国土面積では小国だが、島々の存在により排他的経済水域は世界でも6番目の大国となっている。わが国の重要な領域の確保は離島住民の存在に負っており、その暮らしを守るのは国の責務である。失敗を恐れず、荒波を乗り越えて島々に移り住み、これまでの日本の歴史を切り拓いてきた勇気ある住民たちのDNAを正しく評価し、日本再生の切り札にされんことを願う。(了)

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