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オーシャンニューズレター

第31号(2001.11.20発行)

第31号(2001.11.20 発行)

古老曰く「昔砂浜は広かった」これはまことか?

国土交通省 国土技術政策総合研究所 研究総務官◆宇多高明

わが国では海岸線の人工化が急速な勢いで進んでおり、とどまる所を知らない。これには海岸侵食が深く関係していることは衆知のことであるが、逆に陸側から海側へと砂丘地を緑化したり土地利用を進めることによって自然の砂丘地が急速に狭まった場所も多い。

海浜の痩せ細り

わが国では海岸線の人工化が急速な勢いで進んでおり、とどまる所を知らない。これには海岸侵食が深く関係していることは衆知のことである。侵食された海岸にたたずむ古老の話を聞くと、「昔わしが小さい時分、砂浜はこんなに狭くなかった。海まで行くのに足の裏が熱くて大変だった」というつぶやきをしばしば耳にする。侵食がひどい場所では確かにこれは真実である。しかしいつもそうか?海岸侵食では海側から陸地が削られ砂浜が狭まる。しかしこれとは逆に陸側から海側へと砂丘地を緑化したり土地利用を進めることによって自然の砂丘地が急速に狭まった場所も多いのである。

九十九里浜南部の南白亀川河口付近での実例

■南白亀川河口部の空中写真
a.1947年2月
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b.1961年7月
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d.1980年2月
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f.1999年1月

南白亀(なばき)川は千葉県の九十九里浜南部に流入する。この地域で撮影された空中撮影により海岸周辺での地形変化・土地利用の比較を行ってみる。

写真aは1947年2月の河口部の状況である。戦後間もなくに撮影されたもので河口部には最大約400m幅の砂浜が広がっており、狭い河口を通じて川が流れ出ていた。当時の汀線から約200m陸側の砂丘の裏側には、過去の洪水によって形成されたラグーンがあった。また海岸線から内陸方向に多量の飛砂があったことが砂丘地とその陸側の畑地との境界線が複雑に入り込んでいることから分かる。

1961年7月(写真b)では、河川流は北側に大きく蛇行し、河口左岸護岸から約450mも北側に開口していた。1947年当時河口の北側に存在したラグーンのうち、北部ラグーンはその後進んだ保安林の整備区域に取り込まれ、周辺が松林に囲まれた。一方、南部ラグーンは大きく蛇行した水路と繋がった。写真aと比較して陸域の開発が進み、海岸線に沿って県道の全貌が現れた。内陸での土地利用の高度化とともに、海浜地では飛砂防止のための保安林の整備が進んでいることが分かる。

1970年4月(写真c)では、左岸導流堤の建設によって北部ラグーンと本川とは狭い水路を残して切り離された。導流堤の建設後、河川流はこの導流堤に沿って流れるようになった。また河口の南側地区では、県道の海側に黒々と見えるように保安林の成長が著しい。この結果、河口南側地区での砂浜幅は約150mと狭まった。この区域での砂浜幅の減少は、侵食による汀線の後退が主要因ではなく、陸側の土地利用の変化に伴う保安林の前進が大きな要因であったことが分かる。さらに河口から南に約350m離れた保安林中には県道から海浜へと至る小道が延べ11本見られ、それらが約70m間隔で並んでいたことから、当時海浜へのアクセスはかなり良好であったことが分かる。

1980年2月(写真d)では、保安林区域の外側を囲むようにして海岸堤防の建設が進められ、また九十九里道路(有料道路)が建設された。九十九里道路を横断して背後地から海浜地へ達する道は地下道となったが、その間隔は約300mとなり、道路建設以前の間隔約70mと比較してかなりの迂回が必要とされるようになった。

写真e(1999年1月)は現況であるが、写真aと比較して環境条件の著しい変化が明らかである。

南白亀川河口南側の測線A-A'(測線位置は写真e参照)における基準点から汀線と保安林外縁線までの沖向き距離の経年変化を図に示す。右岸導流堤の建設前後で比較すると、汀線は平均で約30m前進したが、これを除けば汀線はほぼ安定状態にある。1947年には砂浜幅は約400mもあったが、保安林前縁線の急速な前進によって砂浜幅が狭まり、1999年には約140mと1947年当時の1/3に狭まった。これより南白亀川河口部での砂浜幅の縮小は汀線の後退が原因ではなく、保安林の前進にあったことが分かる。

この例に見るように海浜幅が狭まることと、侵食に伴う汀線後退とは同義語ではないのである。それよりも砂丘地においては、保安林とそれを守る施設の前進が砂浜を狭める大きな原因となった。古老の言うことは一面の真理である。しかし足の裏が熱いほど広かった砂浜が狭まる要因は必ずしも汀線が後退するばかりではない。わが国ではこのようにして多くの砂浜海岸では背中側からも自然海浜地が狭められてきたのである。(了)

■南白亀川河口南側の測線A-A'における汀線および保安林前縁線の経年変化

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