Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第300号(2013.02.05発行)

第300号(2013.02.05 発行)

海を渡った作物たち

[KEYWORDS] 作物/進化/ボトルネック
総合地球環境学研究所副所長◆佐藤洋一郎

世界70億人のエネルギーの7割を支える「3大穀類」(コメ、コムギ、トウモロコシ)は、それぞれ中国、カスピ海の南・西の沿岸、メキシコで生まれたローカルな穀類だ。しかし、数千年の時を経て5大陸すべてに広がり、栽培され、いま世界の人びとの生命を支えている。
作物は海を渡って運ばれたが、それぞれの広がり方には違いがあり、いくつもの偶然に左右され進化を遂げてきた。

海と作物

植物は海をきらう。海水は塩を含むし、根を下ろす土がない。だいいち、植物には動物のように、動く手段である足も羽根もない。植物を運ぶ人間もまた、海を渡ることを得意としているわけではない。それにもかかわらず、植物は海を渡って世界に伝わった。このことは、とくに作物には顕著である。栽培植物なのだから、人が運ばない限り伝わりはしない。だから作物はすべて人間が運んだ植物ということになる。その例外とされるのがヒョウタンである。ヒョウタンはアフリカ起源で、すでに1万年ほども前にアメリカ大陸に伝わっている。この時期に、アフリカから新大陸への人の移動は知られておらず、そこでヒョウタンの果実が大西洋を渡って伝わったという「漂着説」が登場したのだ。「ひょっこりひょうたん島」のモデルになったのも、このヒョウタン漂着説であったといわれる。しかしこれには異論が噴出した。漂着説の信奉者は負けじとばかり、ヒョウタンの実を海水に漬けておき、それでも種子の発芽力が失われないことを証明してみせたりもした。植物の果実などが海を渡って異郷に漂着する可能性はないではない。ただし、漂着後、その地に定着できるかはまったく別な問題である。

作物の伝播

■穀物たちは海を渡って世界に伝わった。一つの地、一つの大陸にしか分布しない作物はむしろ例外的だ。

作物が海を越えて広がってきたことはあきらかだ。今、世界70億人のエネルギーの7割を支える「3大穀類」(コメ、コムギ、トウモロコシ)も、それぞれ中国、カスピ海の南・西の沿岸、メキシコで生まれたローカルな穀類であった。それが、その後数千年の時を経て5大陸すべてに広がり、栽培され、世界の人びとの生命を支えている。おもしろいのはその広がり方の違いである。コムギは、誕生後数千年、海を渡ることがほとんどなかった。おそらく最初の目立った「渡航」は英国への伝播であったろうと思われる。日本列島へのムギの渡来は、それからだいぶたってからのこと。そして、新大陸に伝わったのは今からわずか500年ほど前のことであった。いずれにしても、コムギはなかなか海を渡らなかったのである。いっぽう米は、かなり早い時期から海を渡っている。今から4000年前には、すでに台湾から南の島々にも伝わっている。西アジアから欧州への渡来はそれほど早くなかったが、その分、周辺への島々には早い時期からじわじわと浸透していった。そして、新大陸生まれのトウモロコシは、長らく生誕の大陸を出ることがなかったが、500年前に旧大陸に伝わってからは破竹の勢いで全世界に伝わった。

人類と作物、その伝わり方

人間は海を渡るのを得意とはしないと書いたが、陸地を通って旅するのはもっと不得意だった。シコクビエやコウリャンなどアフリカ生まれの穀物がアジアに伝わったときも、紅海を渡り、アラビア半島の南稜を通りペルシア湾を渡って、海づたいにインドに達した可能性が高い。作物は海づたいに広がったのである。とはいえ、作物はまったく自由に海を渡ったわけではない。
作物は頻繁に海を渡ったが、海上には定まった道があるように思える。何も遮るものがないかのように見える海の上に、作物が頻繁に通った「道」があるように思われるのだ。海上の道である。柳田國男の代表的な著作のひとつである『海上の道』は、まさにその思いをよく表しているかのようだ。日本列島に来た作物をみても、彼らはフリーハンドに大陸と列島を行き交ったのではない。イネは朝鮮半島から九州へ、長江の河口付近から九州へ、そして南西諸島伝いに日本列島に来た。南西諸島沿いの「海上の道」を通った作物には、イネの他、サトイモやサツマイモなどがある。そして沿海州あたりから列島の北部のどこかへ伝わった作物としては、ゴボウや、カブ、コムギ、オオムギの一部などをあげることができる。作物は日本海という海をフリーハンドで動き回ったのではなさそうである。

海を渡って進化する

作物は、海を渡る際に、ごく小さな集団で運ばれることが多かった。つまり人々は、ごく少量の種子や苗を持って海を渡ったらしいのだ。人々は、おそらく私たちの想像よりずっと小さな船で海を渡ったように思われる。イネが日本列島に来た時も、ほんのわずかの量が運ばれた。イネはその後日本列島で増殖した。「大量の移民が、手に手にイネ籾を携えてやってきた」というのはあくまで物語の中でのことである。ここに海を渡った作物の姿がある。
小さな集団で運ばれると、運ばれた先で増殖して、遺伝的な性質が大きく変わることがある。偶然の効果が作用して、元の集団の中のある特定の遺伝子を持つタイプだけが増えるからだ。これを「ボトルネック効果」という。どのタイプが増えるかはまったく偶然である。だから、一つの場所から、いくつもの小集団が海を渡って別な場所に運ばれると、運ばれた先ではそれぞれ違ったタイプが定着することになる。これを繰り返すことで、作物はどんどん多様化していった。つまり、作物は海を渡って運ばれたことで進化を遂げたことになる。海を渡る頻度が高ければこうしたことは起きにくい。いくつもの偶然が重なって、結局はもとのタイプが渡来するチャンスが増えるからだ。限られた頻度で運ばれることが、植物の進化の上では重要だったのである。
このように考えると、作物の進化には「海を渡る」という限定的なイベントが重要な役割を果たしたことがわかる。もちろん「海」が「高い山」でも「砂漠」でもよかったわけだが、海は大陸を隔てる存在である。ここに、山脈でも砂漠でもない海こそが持つ特質がそこにはあったのである。(了)

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