Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第299号(2013.01.20発行)

第299号(2013.01.20 発行)

地方からの海事情報の発信

[KEYWORDS]海と人/海と文化/海と産業
琴平海洋博物館(海の科学館)館長◆田井啓三

さぬき琴平にある象頭山(ぞうずさん)は四周風光明媚で誠に申し分のない環境に恵まれ、象頭山中腹には、海の守り神として庶民信仰の神社として敬愛される"こんぴらさん"(金刀比羅宮)が鎮座する。琴平海洋博物館(海の科学館)は、その麓で昭和41年に開館、地方にある海事博物館ではあるが、今後も次世代を担う青少年に海と海事に理解と興味を抱かせる情報を発信していきたい。

海事知識の啓発

四面が海に囲まれたわが国日本は、古代より有数の海洋国として栄え、海に生き海を拓く海洋民族を育ててまいりました。わが国の海運は、海外雄飛の歴史に燦然と名前を留める八幡船や御朱印船の活躍、国内交易に充分の力を発揮した菱垣廻船、北前船等、数多く史実がそれを示しています。
このたくましい海洋精神と民族エネルギーは、江戸時代の鎖国の立ち後れを僅か半世紀たらずで世界有数の海運国に築き上げ、さらには第二次世界大戦で壊滅状態にあった海運界をいち早く復興させ、世界に誇る海運・造船・水産国として目覚ましい躍進を果たしました。このような伝統につちかわれた国民の海洋性は、日常生活の中にも深く浸透しており、海に対する依存度は極めて高いものがあります。
国土が狭く、資源が乏しい島国のわが国にあっては、貿易物資の大部分は外航海運により輸送され、国内物資の産業基礎物資の9割は内航海運によって運ばれています。わが国経済の発展や国民生活の安定向上も、海運、造船、水産等の動向に左右されると言っても過言ではありません。しかしながら、このように重要な海運、造船、水産等に対する国民世論の認識と理解は充分ではなく、近年はむしろ薄くなる傾向にあることは誠に遺憾に堪えません。そこで、一般の方々に海事に関する知識を啓発して、海洋開発と海事関係産業に対する理解と協力を高める必要性を痛感させられるものがあります。

こんぴらさんと琴平海洋博物館

■琴平海洋博物館(海の科学館)全景(正面右横から見る)
http://www7.ocn.ne.jp/~umikagak/

航海計器の無い昔の海で働く人々は、特徴のある山や岬等を目印として船を動かしていました。こんぴらさん(金刀比羅宮)のある象頭山(ぞうずさん)は名前のとおり象の頭によく似た山で、そうした目標となる山として最適でした。そして象頭山の沖に塩飽(しわく)諸島があり、その島の人々は海を舞台に水軍として、また、江戸時代になると千石船に大坂の商工業製品を積み日本海沿岸で売り、帰りは東北、北海道の農漁業産品を積む北前船西廻航路交易を行う等、国内交易に活躍しました。1860年、咸臨丸は勝海舟、福沢諭吉ら96名を乗せて日米修好通商条約の批准書交換のため渡米しましたが、咸臨丸の水夫50人のうち35人は塩飽出身でした。
琴平海洋博物館(海の科学館)は、海から最短距離で12kmも離れ、博物館屋上からわずかに塩飽諸島の海が見える象頭山の山麓にあります。何故このようなところに博物館を建てたのでしょうか。その訳は象頭山中腹には金刀比羅宮が鎮座しているからです。金刀比羅宮は海の守り神として船乗りや漁業にたずさわる人々が全国津々浦々から参詣に訪れ、庶民信仰の神社として敬愛されてまいりました。
当会館は、昭和39年8月、四国海運局長(現四国運輸局)と琴平町長、金刀比羅宮司との三者会談がもたれ、琴平町役場旧庁舎の寄附と御宮所有敷地の無償貸与を受け、金刀比羅宮の山麓に昭和41年1月20日に財団法人琴平海洋会館として設立しました。また、当会館は公益法人として認定を受け、平成23年4月1日より公益財団法人琴平海洋会館となりました。
当時の博物館は白亜の木造2階建で古風な趣きを有するものでしたが、その後、多くの海事関係者から展示品、図書等の寄贈等を受けて、展示品充実による展示スペース不足と建物老朽化のため、昭和49年日本船舶振興会(現日本財団)、日本海事財団(現日本海事センター)、日本船主協会の助成・補助金と四国を中心に全国各地の海を愛する有志による協力金により、鉄筋コンクリート5階建て延べ1,360m2の現施設が完成しました。館内整備・展示品整備は昭和50年から3カ年、日本船舶振興会、日本海事財団、日本船主協会の助成・補助金により行うとともに、平成7年にも、日本船舶振興会の助成を得て展示に関する大規模なリニューアルを行ってきたところです。またこの度、日本財団から助成金を、日本海事センターから補助金を得て、常に新鮮で魅力のある特別企画展を開催するため展示空間の合理的な改修、展示資料照明器具のLED使用、航海シミュレーション修繕、博物館外壁全面塗装改修等の工事を平成24年7月に着手し、同年11月末に滞りなく工事は終了いたしました。

所蔵資料の公開

■西洋軍艦構造分解図説。徳川幕府のオランダ通詞 本木庄左衛門が文化年間(1804~17年)に作成したもの。元治元年(1864年)坂本龍馬の手に渡り、慶応3年(1867年)伊予大洲藩西洋流兵学者 武田斐三郎の手に渡ったと伝えられる。

当会館の第二代会長は日本海事史学会会長であった住田正一氏が就任されていますが、当会館は住田会長の指導の下、江戸後期から明治初期の貴重な資料である木版印刷や古文書・古記録のほか古地図等を約300点収集し、同資料を『住田コレクション』と称し所蔵保管しています。同資料はこれまで博物館展示設備の関係で未展示でしたが、この度のリニューアルにより同資料を展示する施設が整いましたので、平成24年12月22日から平成25年3月31日の間、特別企画展『坂本龍馬とその風景』を開催しています。主な展示資料は坂本龍馬が所有していたといわれている『西洋軍艦構造分解図説』(巻物)、海軍操練所を描いている『神戸村操練所絵図』、横浜開港翌年の『外国人横濱上陸行烈之図』『ペリー横浜上陸之図』など数十点を展示しています。また、今後も『住田コレクション』資料による特別企画展を開催し、常設展示を補足するテーマ性の高い展示に努め、博物館見学者に対し海事知識を正しく・楽しく学習する教育拠点施設としての機能を充実していきたいと思っています。また、収蔵資料のデータベース化による閲覧のIT化を図り、見学者が親しみやすく興味を引くわかりやすい展示と、見て、ふれて、楽しく体感できる博物館としての機能充実を図って参ります。(了)

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