Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第29号(2001.10.20発行)

第29号(2001.10.20 発行)

海の民俗知を考える

国立民族学博物館 民族文化研究部教授◆秋道智彌

漁民が、魚の生態や海について育んできた知識(民俗知)は、科学的な知識と区別される。科学は常に民俗知に優るとはかぎらない。民俗知の評価は、環境破壊の進む現代、たいへん重要である。この問題を下北の調査から考える。

コンブが海から消えたのは、なぜか

本州最北端の町、大間。映画やテレビでも舞台となったのでご承知のかたも多いだろう。30年ほど前に漁業の調査をした私にとり、大間はとても馴染みの深い場所である。大間周辺の浅瀬はコンブ、アワビ、ウニ、ワカメなどの「根付きもの」の宝庫である。近世期の大間村は南部藩の元で、中国向けの俵物としてアワビ(エゾアワビ)を出荷した。いまもタイカンパオ(大間鮑)の名は海を越えた中国に名を知られている。大間で採れるコンブも肉厚の渡島昆布で、大阪では「オボロ昆布」に加工される。サバをオボロで巻いた磯巻きは甘くて美味い上方の名品である。

調査当時のことを思い返してみた。アワビ漁の一番漁師Yさんに話を聞いていたとき、質問を受けた。50年以上もコンブを採ってきたが、1年ほど前(1971年)あたりから、コンブが海から消えていった。おまけにコンブの表面に白い貝殻のようなものが付着している。その原因について調べてくれないか、という内容であった。いわゆる「磯焼け」の原因が何なのかを問われたわけだ。私が返答に窮したことはいうまでもない。すると、Yさんは噛みしめるように「よくわからないが、津軽で進んでいるトンネル工事で何か悪い水が流されているのではないか」と漏らした。

コンブの異変と「シオ」の関係

■津軽海峡における「シオ」の流れ

津軽のトンネルとは、いうまでもなく北海道と本州を結ぶ青函海底トンネルのことを指す。海底を掘削して工事が進められるうえ、津軽のことが下北に影響が及ぶことはまずないと誰しもが思うかもしれない。トンネル本工事開始が1971年としても、関係者なら、それは言いがかりだとおっしゃるにきまっている。だが、Yさんの推測をどのように受け止めるべきか。

日本海を北上する対馬暖流は、その大半が津軽海峡を東進し太平洋に流出する。大間の漁民は「シオ」(海流と潮流)の速い津軽海峡の海で漁をする。長い棹をたくみに操って海底のアワビやコンブを採る。シオが速いので熟練がいる仕事だ。沖合いで行われるマグロ一本釣り、マスやヒラメの釣りなどにとっても、シオ加減が漁の成否を決める。大間の漁民にとり、西から東に流れるシオは最大の関心事であり、西の方角は漁民の意識下でたいへん重要な意味をもつ。大間の磯に戦時中魚雷が漂着した。西のロシアから流れてきたものである。厳冬の1、2月でも表面水温が8度くらいであるのは対馬暖流の影響による。津軽海峡に突きだした大間岬の西側はワテ(上手)であり、東側がシタテ(下手)と呼ばれる。これらのことは、西の優位性を端的に示している。

Yさんの推測は、コンブの異変が大間からみて西の方で起こったなにかに求められたから、とはいえないだろうか。茫漠とした東側の太平洋で起こった事象によるとは考えにくいのである。コンブ不漁の青函トンネル説は、海と関わる人々にとり生活の知恵であり民俗知ではなかったか。その内容が正確であるかどうかという前に、私は科学的な知識がかならずしも民俗知に優先するとはかぎらないことをここで強調したい。

民俗知を忘れた近代の産業と開発

おなじ大間でマグロ漁の調査をしたさいに、マグロ釣りの一番漁師Nさんが私に教えてくれたのは、「漁師は山みてするもんだ」という語りである。山に木が豊かに繁っていると、かならずその海には魚がいるという考え方である。山の延長上に海がある。木がよく繁る土はそのまま海へと続いているから、海底にも木のかわりに海藻がたくさん「オガル」(生育する)。そのような海には、魚の餌となる海藻や食べ物が多い。だから魚もたくさんいる、という説明である。

「森は海の恋人」というキャッチフレーズで、漁業や沿岸域の保全のために森林が重要な役割を果たすことが指摘されてきた。森林を伐採したはげ山は保水機能を果たさないうえ、洪水や土砂くずれの原因になる。さらに、森林は、有機物や栄養塩を沿岸の海に運ぶ。そこでバクテリア、植物プランクトン、動物プランクトン、貝類、無脊椎動物、魚類へとつながる連鎖が形成される。だから、栄養塩類の豊富な海は漁業にとりプラスとなり、森林の開発は漁業にとってマイナスになる。これは栄養説とでもいえる考え方である。

Nさんの説明と栄養説は似てはいるが、その論理が際だって違う。だが、Nさんの民俗知は、山と海の相互作用を見抜いている点で注目すべきではないだろうか。森を守ることが海を守ることにつながるという考え方は、かならずしもいま述べた科学的な栄養説によらずとも、日本には古くからあった。沿岸漁民は魚付き林の意義を民俗知として身につけてきた。近世期の諸藩は、魚付き林の保護を進めたことがしられている。近代の開発が歴史的に育まれてきた知を忘れ去ってしまっただけなのだ。

昨今、民俗知の復権が叫ばれるのは以上のような理由による。さらに、民俗知そのものを評価するだけでなく、それを育んできた住民と行政やNGO(非政府組織)とが協同して海や森を守る活動がすすめられているのが現状であろう。

ところがこれで万事めでたしとはならないやっかいな事態がある。海の環境異変が、とんでもなく離れた地域の汚染源によることが分かってきた。北極海の海獣やその海獣に食料を依存してきた先住民の人びとを苦しめるダイオキシン汚染源が、はるか南の国で使用されるDDT農薬にあることが突き止められたからだ。科学的知識がたとえ汚染のメカニズムを明らかにしたとしても、即座に問題解決には至らない。Yさんが漏らしたトンネル説は、海を破壊する産業や開発そのものへの反発ではなかったか。いまこそ、海の民俗知を真剣に見つめるときかもしれない。(了)

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