Ocean Newsletter
第295号(2012.11.20発行)
- 復興庁法制班主査◆続橋(つづきはし)亮
- 広島大学理事・副学長、大学院生物圏科学研究科教授◆上 真一
- 群馬大学広域首都圏防災研究センター長・教授、第5回海洋立国推進功労者表彰受賞◆片田敏孝
- ニューズレター編集代表(総合地球環境学研究所名誉教授)◆秋道智彌
可能となったエチゼンクラゲ大発生の早期予報
[KEYWORDS] 漁業被害/東アジア縁辺海/被害軽減対策広島大学理事・副学長、大学院生物圏科学研究科教授◆上 真一
2002年以降大発生を繰り返すエチゼンクラゲは渤海・黄海・東シナ海を発生源とし、越境回遊して本邦沿岸漁業に甚大な被害をもたらす。
中国近海の若いエチゼンクラゲを初夏にフェリーから目視調査することにより、巨大クラゲが日本に来襲する1~3カ月前に、発生の有無や発生規模が予報できるようになった。それにより、漁業者は時間的余裕をもって被害軽減対策が可能となった。
大発生の頻発化とその原因
エチゼンクラゲの大発生は前世紀では約40年に一度の珍事であった。しかし、今世紀を境に2002年以降ほぼ毎年のように起こるようになった。ただし、発生状況は単純ではない。2008年にクラゲはほとんど来なかったが、2009年はこれまでで最大規模の発生年となった。以後、2010、2011年と連続して大発生は途絶え、そして今年度を迎えた。いずれにしろ、最近10年間のうち7年において大発生が起こっている事態は異常である。
エチゼンクラゲの発生場所は、朝鮮半島と中国本土で囲まれる東アジア最大の湾である渤海・黄海・東シナ海である。この大湾の環境と生態系が今世紀を境に大きく変化したことが、大発生頻発化の原因と考えられる。中国の経済発展に伴い、この海での魚類資源の枯渇化、温暖化、富栄養化、人工構造物・プラスチックゴミの増加などが世界のどこの海よりも急激に起きており、これらが複合的に働いてクラゲの大発生をもたらしているらしい。中国が直ちに工場廃水や生活排水の規制などを通して沿岸環境管理を強め、クラゲ大発生をもたらす根本原因を取り除く対策を行うことは到底考えられない。また、三峡ダムの建設や現在進行中の南水北調事業※が今後のエチゼンクラゲの発生量にどのような影響を及ぼすかは不明である。残念ながら、エチゼンクラゲ大発生が早急に停止し、魚類生産の豊かな元の海に回復する兆候はない。クラゲ大発生は今後も現状維持で推移するか、あるいはより大規模にそしてより頻繁に起こると考える方が自然である。どうすればエチゼンクラゲ禍からわが国の沿岸漁業を守ることができるか。まず予報体制の確立が重要であるが、それが可能となった。
フェリー目視調査による発生早期予報
■図1 フェリーデッキからのエチゼンクラゲ目視調査
■図2
2006~2012年の7月における黄海でのエチゼンクラゲの平均出現密度の経年変化。2006、2007、2009年は大発生年(赤色)、2008、2010、2011年は非発生年(青色)。2012年(緑色)。大発生年と非発生年の間には2~4桁の差があるので、確実に大発生年を予測できる。
エチゼンクラゲの大発生は、経済的損失をもたらす点でも現代の科学では防ぎようがない点でも、台風に似ている。中国沿岸域で発生した幼若クラゲは、長江低塩分水塊に乗って東シナ海の沖合に運ばれ、さらに北上する対馬海流に乗って日本海に輸送される。海流の上流に位置する中国で発生したクラゲが大きく成長しながら越境し、下流の日本に禍をもたらしている。幸いクラゲの輸送ルートは台風のように迷走することはないが、問題はどのようにして発生源近くのクラゲの発生規模を知るかである。台風の場合は気象観測衛星が宇宙からにらみ続けているが、クラゲ観測衛星などというハイテク機器は存在しない。
日本の調査船が中国の領海や排他的経済水域に入ることは困難である。しかし、中国の海を知る機会は存在している。両国の間にはフェリーが定期運航されており、それに一般乗客として乗船し、デッキの上から海を眺めることは問題にはならない。もし海の表面にエチゼンクラゲが出現すれば、それらは否応なしに目に入ってくるので、その個体数を数えることも問題にはならない。この恩恵を最大限に駆使して、私たち広島大学のグループは中国の排他的経済水域内のエチゼンクラゲの目視観測を行っている。調査方法は極めてローテクであるが、得られるデータの信頼性は高い。
私たちは2006年から目視調査を開始した。現在使用しているのは下関-青島、神戸-天津、大阪-上海の3航路である。2名の調査員がペアとなって乗船し、通常は船腹から約10mの幅の海面付近に出現するクラゲを計数してゆく(図1)。時には芋の子を洗うように出現して、数取り器を押さえる指が痙攣を起こすくらいになる。なお、この作業を行うには当然フェリー会社とフェリーの中国人乗組員の理解と協力が必要なことは言うまでもない。調査時における彼らの好意には心より感謝している。
2009年はこれまでで最大規模のエチゼンクラゲが日本に来襲したが、越境する前のクラゲの分布と出現量をフェリー調査で捉えることができた。中国近海のエチゼンクラゲは毎年7月に最高密度となり、その後日本海に輸送されるので次第に減少する。2006、2007、2009年7月の黄海における平均密度は約2~3個体/100m2で、これらの年には本邦沿岸の定置網に連日数千~数万個体の入網があり、深刻な漁業被害が出た。一方、2008、2010、2011年7月の平均密度は前者に比較すると2~4桁も低く、定置網には少数のクラゲが入網するのみであった(図2)。このようにフェリー調査結果から、エチゼンクラゲの大発生年とそうでない年は明瞭に区別され、クラゲが対馬に来襲する約1カ月前に、当該年が大発生か否かを予報することが可能となった。なお、今年7月のクラゲ密度は大発生年より1桁低かったが(図2)、最近2年間連続して発生しなかったこともあり、漁業者に対する注意喚起も含めて「大発生並みに警戒が必要」との内容で予報を出した。
私たちのエチゼンクラゲ早期予報は、(独)水産総合研究センターを経由して全国の漁業関係機関に配信されるので、漁業者は時間的余裕をもってクラゲ被害の軽減対策を講じることができるようになっている。
大発生年とそうでない年があるのはなぜか?
2008、2010、2011年の3年間は大発生がストップした。中国沿岸域の環境がこの3年間だけに限って例外的に改善されたとは到底考えられない。この原因はまだよく判っていないが、本種のポドシストの休眠特性に関係がありそうだ。ポドシストとはエチゼンクラゲのポリプが生産する直径約200μmのデスク状の細胞の塊である。ポドシストの外側はキチン質の硬い殻に囲まれ、中には栄養物質がたっぷりと蓄えられて、短くても6年間は休眠する能力を有している。従って、中国沿岸域にはエチゼンクラゲのポドシストが休眠状態で大量に存在していると推定される。ポドシストは特定(高水温、低塩分、貧酸素など)の外部刺激を受けると休眠から目覚め、脱シストしてポリプへと変態する。上記の3年間は、ポドシストの大半が休眠し続けポリプへの出芽数が少なかったからだろう。一方、何らかの要因で大量に脱シストすると翌年は大発生年となるのだろう。(了)
第295号(2012.11.20発行)のその他の記事
- 復興庁の役割と海洋への取り組みについて 復興庁法制班主査◆続橋(つづきはし)亮
- 可能となったエチゼンクラゲ大発生の早期予報 広島大学理事・副学長、大学院生物圏科学研究科教授◆上 真一
- 津波のあとの防災教育~海に向かい合って生きる姿勢を育む防災教育~ 群馬大学広域首都圏防災研究センター長・教授、第5回海洋立国推進功労者表彰受賞◆片田敏孝
- 編集後記 ニューズレター編集代表(総合地球環境学研究所名誉教授)◆秋道智彌