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第290号(2012.09.05発行)

第290号(2012.09.05 発行)

長江におけるカラチョウザメの日中共同調査~バイオロギング手法を用いて~

[KEYWORDS] 長江における環境保全/バイオロギングサイエンス/カラチョウザメの保護
海洋政策研究財団首席研究員、東京大学名誉教授◆宮崎信之

長江におけるカラチョウザメの保護の目的で、2005~2007年に日中共同調査が実施された。この調査では、世界最先端のバイオロギング手法が用いられた。三峡ダム建設による環境変化で長江の環境が悪化しており、早急な対策が望まれる。本種の保護のために、新しい産卵場の保全、船舶との衝突の回避、ダムに堆積する土砂の管理などの課題が提示された。

長江とカラチョウザメ

最近、マスメディアを通じて尖閣諸島の領土権や大陸棚の境界線などの話題が取り扱われ、日本と中国の関係の悪化が報道されている。問題解決には、本質を正確に把握した上で、科学的な情報を基に双方の忌憚のない意見交換を通じて、相互の信頼関係のもとで交渉を重ねることが肝要ではないだろうか。本稿では、中国の国内課題である「三峡ダム建設によるカラチョウザメへの影響と長江の河川管理」について、日中両国の科学者が協力して課題解決に取り組んだ事例を紹介する。
長江(揚子江)は、チベット高原の水源から東シナ海へ注ぐ全長約6,380km、流域面積は約185万km2の世界三大河川のひとつとして知られている。人々は、有史以前から長江を物流の基幹河川として利用してきた。この長江に生息しているカラチョウザメ(Acipenser sinensis)は、成体では3mを超える大型の生物で、餌場である東シナ海から産卵のために上流に上ることから遡河回遊魚として知られている。現在、キャビアの生産も視野に入れた養殖が展開中である。本種は北海道沖でも捕獲されていることから、国境を越えて行動していると推察されるが、その生態は不明である。近年、生息環境の悪化により個体数が激減したために、本種はIUCNのレッドデータの絶滅危惧種と中国の国家一級保護動物に指定され、ヨウスコウカワイルカ(絶滅が報告)とともに、中国の保護動物のシンボル的存在になっている。長江の三峡ダム(魚道無し)は河口から約1,900kmの地点に建設されたことにより、カラチョウザメは河口域から2,500~3,000km上流の産卵場まで遡上できずその回遊経路が遮断されたため、保護が求められるようになった。

日中共同調査の背景

■図1:三峡ダム(右側:上流)

孫文は、発電や治水などのために、1919年に三峡ダムの建設計画を提唱したが、中ソの対立や文化大革命などにより進展しなかった。この計画が1992年に第7期全人代での採択後、1994年にダムは着工され、2009年に完成した。ダムは長さ2,039m、高さ185mである(図1)。通常の流速は約3ノットであったが、ダム建設後1ノット以下になり、しかもダム上流部の水位が150~170mまで上昇したことから、三峡ダム流域の自然環境が大きく変化した。また、周辺域から流入する生活排水や工業廃液により長江は汚染され、カラチョウザメの生息環境が悪化した。三峡ダムの建設に伴う環境変化によって本種の行動が影響を受けることから、中国水産科学院長江水産研究所のウエイ博士は、世界最先端の技術レベルにある東京大学大気海洋研究所のバイオロギング研究チーム(当時の代表者:筆者)に共同調査を要請した。これを受けて、私たちは2005年から2007年にかけて中国との共同研究を実施した。


バイオロギング手法を用いたカラチョウザメの行動調査

■図2:特別許可で捕獲されたカラチョウザメ

■図3:ロガー回収を喜ぶ共同研究者と筆者(中央)

ウエイ博士は、中国政府から野生のカラチョウザメ捕獲の特別許可を取得し、調査を実施した(図2)。捕獲した9個体(平均体長:2990mm、平均体重:198kg)にデータロガー(リトルレオナルド社製W190L-PD2GT、φ:21mm、L:117mm)を装着し、放流した。このロガーは自動切り離し装置により予定時間に個体から切り離され、水面に浮上後、VHF受信機を用いて回収された(図3)。
データロガーで得られた情報(水深、遊泳速度、尾鰭のストローク数、体軸の角度)を解析し、野生のカラチョウザメの典型的な4つの遊泳行動(頻繁な上下移動を伴う遊泳、川底付近での上下移動を伴う遊泳、水平遊泳、水面浮上遊泳)に分類した※1。本種は総記録時間(364時間)の64%を上下移動に、残りの36%は水平移動に費やし、約3時間に1回の割合で水面に急浮上することが明らかになった。カラチョウザメは繁殖時期には採餌行動をとらないことから、上下行動は水面に浮上して、空気を吸い浮力を調節している可能性が高い。実際、水槽中で飼育されている本種の幼体は頻繁に水面に浮上していることが観察されている。また、養殖した幼体のカラチョウザメ(体長1140~1510mm)にデータロガーを装着して行動調査をした結果、2つの特徴的な行動が観察された※2。第一は、水深20~30m以浅で遊泳をしている個体は尾鰭のストロークを使用して上下移動を繰り返し、水面に頻繁に浮上していたことであり、第二は、水深100m付近で深い潜水をしている個体はガス調節によって浮き袋を膨らますことができず、浮力調整能力を失っていたことである。カラチョウザメは口から吸った空気を浮き袋に送って浮力調節に利用しているが、水深100m付近まで降下した個体は水圧で圧迫されて浮き袋を膨らませることができず、水面に浮上できないことが示唆された。

カラチョウザメの保護と長江の管理に向けた方策

中国政府は、三峡ダムの建設により、長年の懸案であった治水、電力確保、物流や観光産業の活発化に成功した。長江は、物流・観光産業の基幹河川としてその存在の重要性が益々高まっている。将来の総合的な利用・管理を考える上で、ダム建設後の野生動物の生息状況、環境状況、大洪水などの自然災害からの影響に関する情報を正確に把握した上で、人々の生活維持、環境保全、野生動物保護などに関してバランスのとれた対策が不可欠である。今後は、長江の固有種で、しかも絶滅危惧種であるカラチョウザメなどの野生動物保護政策の実施が期待されている。
前述の共同調査を通じて、次の4点が具体的課題としてあげられた。
(1)長江の環境改善のために、周辺域からの生活排水や工業廃液などの汚染物質の流入を規制すること。
(2)産卵に戻ってきた個体は河川で頻繁に上下移動を繰り返し、最大3m/sの速度で水面に急浮上していることから、船舶との衝突の危険を回避すること。
(3)100m以深の個体は浮き袋の体積の変化を用いた浮力調節ができないので、養殖のために深い水域に魚体を放流しないこと。
(4)三峡ダムの建設により、本種は上流域の従来の産卵場所に戻れなくなりダムの下流域に新しい産卵場を形成しているので、将来、ダムに堆積した土砂を放流する際には、新しい産卵場が土砂により破壊されないように対策をとること、以上である。
白楽天の詩に歌われたイメージを胸に長江を訪れた私は、中国研究者との共同研究を通じて、改めて、これらの課題の大切さを知るとともに、将来に向けて長江における総合的な利用・管理の確立を目指すことの重要性を認識した。今回紹介した成果を基に、関係者の間で動物保護、環境保全、河川管理に関する計画案が議論されていると聞く。日中両国の科学者が密接な交流を通じてこれらの課題に取り組むことが期待される。(了)

※1 Watanabe Y, Wei Q, Du H, Li L, Miyazaki N (2012) Biol. Fish. Doi:10.1007/s10641-012-0019-0
※2 Watanabe Y, Wei Q, Yang D, Chen X, Du H, Yang J, Sato K, Naito Y,Miyazaki N (2008) J. Zool., 275: 381-390.

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