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オーシャンニューズレター

第290号(2012.09.05発行)

第290号(2012.09.05 発行)

海洋のミクロな有用生物資源を求めて~海洋難培養微生物の解析と利用~

[KEYWORDS] 海洋遺伝子資源/メタゲノム/シングル解析
早稲田大学 理工学術院教授◆竹山春子

海洋国家日本における海は様々な資源を提供する重要な場でもあり、保全・保存の対象でもある。海洋環境を理解し、活用するための一つのアプローチとして海洋生物の研究がある。
ここでは、海洋生態系で重要な役割を果たしている目では見ることができないミクロなサイズの微生物についてその研究の一端を紹介する。

環境中の微生物はほとんど培養できない難培養微生物

生物が海で誕生して以来、海は多種多様な環境を提供し、そこでは多くの生物種の進化が繰り返されて来た。海洋には、陸上には無い特殊環境が存在し、生物の多様性にも富んでいる。特に微生物においては、陸上での研究に比べ研究対象となってきた歴史は浅く、新規な有用生物種が発見される可能性は高い。しかし、「生きているものの培養が困難な微生物(バクテリア)」(viable, but nonculturable(VBNC) bacteria)の存在が明らかになり、培養可能な微生物は、海洋に存在するもののたった1%以下にすぎないことが多くの研究から示されている。このことから、今までの手法ではアクセスできないこのような「難培養微生物」から新しい機能や有用な物質が発見できる可能性は高い。

メタゲノム研究の発展

近年の分子生物学やゲノム科学の飛躍的な進展は、海洋生物資源を解析、利用する分野として発展してきたマリンバイオテクノロジー分野にも、大きく影響を及ぼしている。短時間で大量のDNA配列を決定できる次世代シークエンサーの登場により、遺伝子解析のハードルは低くなりつつある。新しい微生物の存在が明らかになると、まずはゲノム情報を丸ごと解析してから生理学的解析を行うという、新しい生物学の研究手法が取られるようになってきている。日本でもこの次世代シークエンサーを用いたゲノム解析が盛んになってきている(もの作りを得意としていたはずの日本はこの分野では全く開発には力を注がず、ユーザーに甘んじている)。ヒトゲノム解析でアメリカの目指す「1,000ドルゲノム」(ヒトゲノムを1,000ドルの費用で読むことができる技術開発を推進している)が現実となってきている。人よりゲノムサイズがはるかに小さな微生物(バクテリア)では、ゲノムサイズを4 M塩基対と仮定しても遺伝子を読み切るには1週間もあれば可能である(得られた情報を整理するにはさらに時間は必要であるが)。
このような技術革新が進むにつれ、環境中の「難培養微生物」もゲノムからアプローチするようになってきた。難培養微生物を含む環境サンプルから丸ごと抽出したゲノムDNAを「メタゲノム」と呼ぶ。このようなメタゲノムを解析する研究の目的の一つは、環境中の物質循環に大きく寄与する微生物の役割や機能について遺伝子情報を基にして明らかにすること、それらの情報を生態系の評価、変動予測に役立てることである。サルガッソー海域のバクテリアメタゲノムの大規模シークエンスが2004年C. Venterによって報告されて以来、このような研究手法が積極的に取り入れられている。もう一つの研究方向は、メタゲノムを遺伝子資源として、産業応用に展開することである。1990年代半ばからメタゲノムからの変換酵素遺伝子の取得が報告され始めた。海水、土壌、バイオフィルム、共生微生物など多様な材料から分離が行われている。
有用遺伝子の探索手法にはいろいろあるが、問題点としては効率が必ずしも高くはない点である。しかし、それを解決するための大規模で迅速処理可能な手法が開発されてきているので、今後はそれほど問題視されることは少なくなっていくであろう。現在、環境修復、バイオエネルギー、創薬、化学工業等の分野で有用な新規変換酵素、生理活性物質等の合成遺伝子または代謝系の遺伝子群の探索を目的としたメタゲノム解析が進んでいる。

海洋無脊椎動物カイメンの中に生息するバクテリア

■図1 海洋無脊椎動物供在・共生微生物のメタゲノム利用の戦略

共生微生物は、宿主との協調関係のもとで、多種多様な物質の生産を行っている。宿主によって生産されると考えられていた生理活性物質が、実は共生微生物によって生産されているケースが報告されている。しかし、共生微生物の大部分は、難培養性微生物であることから、それらの解析や有効利用を目指したメタゲノムを用いた研究開発が進展している。カイメンなどの海洋無脊椎動物からは、抗ウイルス活性物質、抗ガン活性物質、免疫抑制剤、抗炎症物質など、きわめて多くの有用物質が獲得されており、それらの多くはカイメン内にいる微生物由来であろうと推測されている。カイメンの種類によっては、体積の40%をもこれら微生物が占めていることが知られている。
筆者らは、沖縄(石垣)のカイメン内のバクテリアからメタゲノムを取得して、遺伝子配列を解析することによりそれらの評価を行ってきた(図1)。様々な解析結果より、新しい機構での塩耐性付与遺伝子、カドミウム蓄積関連遺伝子なども得ている。また、様々な有用酵素遺伝子の存在も確認されており、それらの中には、既知のものとは異なる機能の酵素も存在する。メタゲノムは遺伝子資源として有用であり今後のさらなる発展的な利用が期待される。

シングルセル解析への挑戦

積極的にメタゲノムの有効活用を推進する中での大きな課題は、ひとたびゲノムとして手にしてしまうと、それがどの生物由来なのかがわからない点である。様々な生物情報科学(バイオインフォマティクス)解析でゲノム情報から生物種を推測することも試みられているが、必ずしも良い成果は得られていない。筆者らは、現在この問題の解決を図るべく「シングルセル(単一細胞)解析」の技術開発を進めている。
シングルセル解析は、医学研究を中心として最近重要な解析手段として注目されているが、環境微生物解析分野での利用も期待されている。すでに、筆者らは難培養微生物であるカイメン中のバクテリアのシングルセル解析によりカイメンが生産するとされてきた生理活性物質が共生微生物によって生産されていたことを証明した。このような解析においては、単一細胞を取る技術とそのゲノムを取り出し解析をする技術が必要である。マイクロサイズの細胞を取り扱うには、マイクロサイズの入れ物の中で多様なプロセスを可能とする機器(マイクロデバイス)が必要であり、それらの技術開発が急速に進展している。このように先端技術を駆使することによって、どのような微生物がどのように環境と相互関係を保ちながら生息しているのかが明らかになっていくであろう。
海洋生態系を健全に維持するためには、海洋生態系の正確な把握とともにリスク予測が重要であり、そのためには海洋微生物の正確な解析が必要である。それらの試みを通じて得られる遺伝子情報は有用資源として産業応用への展開が可能であり、海洋の新しい産業にも結び付くと信じている。(了)

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