Ocean Newsletter
第286号(2012.07.05発行)
- 明海大学経済学部教授◆山下東子(はるこ)
- 環境教育NPO法人くすの木自然館 専務理事◆浜本奈鼓
- 小樽市総合博物館学芸員◆大鐘卓哉
- ニューズレター編集代表((独)海洋研究開発機構上席研究員/前東京大学大学院理学系研究科長)◆山形俊男
霧島錦江湾国立公園設定と海域保全のあり方について
[KEYWORDS] カルデラの海/干潟と流域/持続的な保全と利用環境教育NPO法人くすの木自然館 専務理事◆浜本奈鼓
鹿児島湾奥部一帯は、2012年3月、新たに「霧島錦江湾国立公園」として指定を受けた。
観光資源としてのあり方が優先されがちな現行の国立公園の中で、海域やその周辺域の保護と利用のバランスを考え、多くの人々との関わりの中で、「新しい国立公園」としてのあり方を展開していくことが必要である。
「霧島錦江湾国立公園」設定までの経緯
「霧島屋久国立公園」はその誕生から50年近くを経て、「霧島錦江湾国立公園」※と「屋久島国立公園」に分割された。火山地形を中心とする霧島錦江湾国立公園錦江湾エリアと、島嶼生態系の屋久島エリアとの区分である。特に海域部分を含む霧島錦江湾国立公園は、霧島や桜島など大小20以上の活火山群の「見えるカルデラ」と、過去100万年以上の間に営まれた火山活動によって造り出され、錦江湾(鹿児島湾)の地形を形作っている「見えないカルデラ」で成り立っている。
「見えるカルデラ」は温暖で湿潤な気候の影響を受け、噴火活動が活発な山頂部分以外は照葉樹の森に覆われている。「見えないカルデラ」には、南から湾奥まで黒潮が強く流れ込み、多種多様な海の生態系が広がっているのだ。
特に「見えないカルデラ」である錦江湾は、世界でも数少ない海域カルデラだ。日本国内でも唯一深海を持つ内湾でもある。複数のカルデラで形成されている湾全体の平均水深は117メートル。最新部は約230メートル以上。深海魚や錦江湾にしか生息しない新種のエビ、火山性ガスの噴出孔近くに群生するサツマハオリムシ等、特殊な環境下に生息する生物の宝庫となっている。
また、湾奥部にはカルデラ地形としては珍しく53ヘクタールの干潟が形成され、約300種以上の生物の棲息が確認されている。干潟周辺の湾奥湿地は、国際的にも絶滅が危惧されているクロツラヘラサギの越冬地となっている。
2009年、地球規模での生物多様性の保全と持続可能な利用を考え、国内における国立公園法が改正された。特に近海の、干潟やサンゴ礁を含む海域の保護を進めるためにも「海域の国立公園」を指定することが加えられている。霧島錦江湾エリアは、カルデラの山と海からなる新しい国立公園として、2012年3月に指定されたのである。
海にかかわる住民の意識
■錦江湾は海にかかわる住民の意識が強い
■未来に残したい干潟
錦江湾は豊かで美しい海である。それは錦江湾沿岸に人々が暮らし始めた太古の昔よりあまり変わっていない。人々は当然のこととして、その豊かさや美しさを享受してきた。住民にとって海が「美しく豊かであること」は当たり前のことなのだ。
錦江湾は内湾だが、外海からの潮の影響を強く受けるカルデラの海だ。その深さと強い潮の流れは、内湾でもその水質と生態系をある程度保ち続けることの要因となっている。すり鉢状をした海域カルデラは、海岸から急に深くなっているので、川からの土砂がたまりにくく、干潟が形成されにくい。川の河口にやっと形づくられた干潟に、内陸からの有機物(廃棄物・排水を含む)が一気に流れ込むと、浄化能力が追いつかなくなる。
錦江湾周辺も火口地形のために、湾に注ぐ河川は全て火口の斜面を流れている。源流から河口までの距離が短く流れの急な河川が、シラス台地を削り、山と海をつないでいるのである。その短い流域を、人々はあらゆる手段で利用し続けてきた。飲み水に、農業用水に、交通手段に、発電に、生活の様々な分野で河川を利用し、排水を下流に流した。短く流れが急な河川は、どんなものも「あっ」という間に下流へと運んでくれた。下流にできた大きな街でも、後片付けを「水に流す」ことで、すべてがうまくいくように思っていたのだ。そして、ある時期から、ホタルが飛ばなくなった。川で泳げなくなった。井戸水が枯れた。アユがのぼらなくなった。下流では、川は汚くて臭い場所として誰も近づけなくなった。汚れた干潟は埋め立てられた。20世紀後半に全国の都市部での新しい港や海岸でおこっていたことが、錦江湾沿岸でも同じようにおこっていたのだと思う。ヘドロがたまり、ゴミが散乱する干潟や海岸に、人々は興味も関心も持たなくなった。泳ぐなら観光地のプールで泳げば良かったし、魚はどこの国のものでも買えばよかった。わざわざ汚れた海岸に行かなくても、遊ぶところは遊園地やテーマパークの方がずっと便利だった。人々が生活していくのに、川や海は身近な存在ではなくなっていったのだ。それは、目の前に錦江湾が広がる沿岸に暮らす人々も同じだったと思う。ただ、遠くから眺める錦江湾は絵はがきのように美しかったので、それ以上に関わることを、人々はいつかやめてしまったのだ。
しかし、あのとき「やっぱり、このままでは嫌だな」と思って行動をおこした人々がいなければ、今の霧島錦江湾国立公園はなかったと思う。それは干潟が埋め立てられることを知って、悲しんだ地域の人々。久しぶりに海水浴に来て、海が臭いことに驚いた上流の集落の人。汚れた川のゴミが、大雨のあと海に流れていくのを見た子どもたち。
上流から下流まで、直接海にかかわっていなくても、自分たちの生活のどこかで海とつながっていることを感じた人々が、「自分にもできること」をはじめるきっかけになったのだ。
これからの国立公園への一歩
日本の国立公園は「優れた自然風景地を保護するために環境大臣が指定するもの」で、その「利用の促進によって、地域の活性化や観光振興につなげていく」ことが大きな目的となっている。確かに、全国30カ所の国立公園の交流人口は年間約5億人と、観光振興の目的は果たしているかもしれない。ただ、その周辺エリアの生態系や景観は「国が直接保護して"くれる"場所」になってはいないだろうか。
錦江湾を取り巻く周辺には、流域を通して直接的に、間接的に、様々な分野から保全活動に携わっている人々が数多くいる。そういう人々のほとんどは、周辺地域に生活している地域住民だ。自分たちの居住地、故郷の海や山を大切に思う気持ちが、活動の原動力になっているのだ。海域は陸上に比べて、変化が見えにくい。生態系も景観も、今よりも少しでもいい形で未来へ受け継ぐために国立公園があるのだ。利用するだけでなく、保護保全にも、もっと国民一人一人が責任を持てるようになるといい。「霧島錦江湾国立公園」が、その最初の一歩になればと思う。(了)
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