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オーシャンニューズレター

第285号(2012.06.20発行)

第285号(2012.06.20 発行)

天神崎の自然とその保全活動~森・磯・海の自然を残そう~

[KEYWORDS] ナショナル・トラスト運動/プロジェクト未来遺産/天神崎
公益財団法人 天神崎の自然を大切にする会理事◆玉井済夫

田辺湾(和歌山県・田辺市)の小さな岬・天神崎は、かつて別荘開発の危機にさらされた。この自然を何とかして残したいという市民(天神崎の自然を大切にする会)は、幾多の困難を乗り越えながら、行政で解決できなかったこの自然の保全を、広く人々に呼び掛けて寄附金を募り、自然(土地)を買い取る運動(ナショナル・トラスト運動)を続けてきた。

田辺湾の自然

紀伊半島西岸のほぼ中央に位置する田辺湾は、黒潮(枝流)の影響を強く受けて暖流系の豊かな生物相を育み、陸域にも暖地性の生物が多く見られる。湾内の海岸線は複雑に入り組み、海底地形は起伏に富んでいて、これらの地形的な要素は多様な生物の生息を可能にしている。湾内には神島(かしま)と畠島(はたけじま)があり、田辺湾の自然景観は古来この地域の大きな財産となっている。
神島は、1929年、南方熊楠が昭和天皇を迎えた島で、熊楠は神島の植物を克明に調査し、暖地性植物群落として国の天然記念物に指定されている。当時はタブノキが優占する森林で、林内にはハカマカズラ・バクチノキ・センダン・キノクニスゲなどが生育し、この地域の自然が残っていた島であった。熊楠は柳田国男宛の書簡に「昨今 各国競って研究発表する植物棲態学 ecology を熊野で見るべき好模範島」と記している。
畠島は、1960年代に観光開発の一環として開発されようとしたが、京都大学瀬戸臨海実験所の時岡 隆先生の強い願いが実り、この島を国が買い上げた。島の西側には生物相に富む干潟が広がり、大学の研究地・実験地として大変貴重なフィールドとなっている。
かつて田辺商業高等学校(現・神島高等学校)に隣接して砂浜があり、生徒たちはこの砂浜を休息の場として、運動部の練習の場として使うなど、校庭の一部となっていた。田辺市がこの砂浜の埋め立てを計画した際、同校生徒会は埋め立てに反対する決議(1973年)を行い、市長に提出した。しかし、残念ながらその願いは実らなかった。その時、同校の教員に外山八郎がいた。

天神崎の保全運動

■天神崎海岸風景

■磯の生物を観察する子どもたち

天神崎は田辺湾の北側にある小さな岬で、潮が引くと平らで広い岩礁となり、豊かな海辺の生物が安全に観察できる場所である。その背後の丘陵地は海岸林(照葉樹林)で湿地(水田跡)もあり、暖地性植物・昆虫をはじめ生物相は豊かである。天神崎は市街地に近い景勝の地でもあり、市民の憩いの場として古くから親しまれてきた。また、天神崎を含めて田辺湾の海岸地域一帯は県立自然公園として指定されている。
天神崎という小さな半島であるが、その裾に広がる磯ではヒジキ・アオサ等の海藻類が繁茂し、貝類の採集やイセエビ・タコなど魚介類の宝庫であり、さらに、平らで広い磯は身近な魚釣りの場として多くの人々に親しまれてきた。古来、"魚付林"という言葉があるように、海岸の森は周辺の海域の自然維持に重要な機能をもっている。この海岸林が開発されると、陸から磯に流れる泥や汚水等の影響により、磯および周辺の海域の自然環境が壊れることになり、生物相に大きな影響を及ぼすことをも踏まえて、天神崎の海岸林の大切さを訴えたのである。
1974年、天神崎の丘陵地に別荘建設の計画を知った外山八郎は、子どもたちの成長(教育)に対する自然の重要性を考え、市民に呼び掛けて「天神崎の自然を大切にする会」を結成してこの保全に取り組んだ。当初、市民署名により行政的な解決を求めたが、和歌山県も田辺市もともにその解決策がなかった。そのため、大切にする会では何度も議論して悩み苦しんだ結果、やむを得ないこととして募金による買い取り運動(市民地主運動)へと進まざるを得なかった。
一方、別荘を建設する会社からは、買い取るならばすぐに買い取って欲しいという大変強い要求が出された。これに応えるため、寄附金のほかに個人的な借入金や有志からの立て替え金等により、別荘予定地の一部を取得した。この時期は大切にする会として最も苦しく困難な時期であり、その中心にいたのが外山八郎である。
本会のこの負担の軽減を願い、公費による買い取りを何度も県に要望した結果、1982年、本会の取得地の一部を公有地として買い上げた。これは、県が田辺市に助成金を支出し、市も負担して土地を公有地(市有地)とするものである。こうして、市と本会との両者により保全が進められた。
別荘予定地の取得は緊急を要したため、本会は各地(東京・大阪・名古屋・和歌山市・田辺市等)で募金活動を行い、また、多くの企業・団体やグループ等の温かい支援活動が次々と続いた。その結果、1985年に別荘予定地の取得が終り、その後は、天神崎全体の土地(森林)の取得を目標に買い取り運動を続けている。

未来の子どもたちのために

■海底のゴミを拾う作業の様子

本会は1986年に財団法人となり、2011年に新法人制度の公益財団法人に移行した。これまでに全国各地の方々からいただいた温かい寄付金による保全地(取得地)は5万5,531.23m2、これに田辺市が取得した保全地2万1,226,11m2を加えると保全地の合計面積は7万6,757.34m2で、保全を目標とする天神崎丘陵地(山林)全体の42.6%である。
現在、本会は寄附金を募って土地購入(ナショナル・トラスト運動)を進めながら、各種の事業(子どもふるさと絵画展・清掃活動・自然観察教室・学校や諸団体への環境教育等)を行っている。清掃活動については、毎年6月に田辺市が実施する市民行事の田辺湾クリーン作戦とともに行い、その後は本会が広く市民にも呼びかけて定期清掃活動(年4回)を行い、陸域や磯に漂着するゴミを収集している。また、ダイバーの協力を得て海底に沈むゴミの除去(海底清掃、年3~4回)にも取り組んでいる。時には海底にバイクなどもあり、その引き上げには漁船をお願いすることもある。これらのゴミを除去することにより、陸域の自然景観を保つともに、海域の自然環境の維持につとめている。こうした活動が評価され、2011年12月、公益社団法人 日本ユネスコ協会連盟から「プロジェクト未来遺産」として登録された。
本会は、保全運動を始めた時から「未来の子どもたちのために」という夢を追ってきた。以来38年余が経過する今、多くの子どもたちがこの自然に親しみ、学び、楽しんでいる。この子どもたちの笑顔こそ運動の大きな成果と言える。これからも多くの子どもたちに自然の大切さや不思議さ、生命の尊さを知ってもらうことを続けていきたいのである。(了)

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