Ocean Newsletter
第284号(2012.06.05発行)
- CLIVAR-GOOSインド洋パネル設立提唱議長、CSIRO海洋大気研究名誉フェロー、タスマニア大学名誉研究教授◆Gary Meyers
JAMSTEC地球環境変動領域 短期気候変動応用予測研究プログラムディレクター、CLIVAR-GOOSインド洋パネル元共同議長◆升本順夫 - 大阪大学大学院工学研究科准教授◆梅田直哉
- 志摩市生活環境部長◆稲葉和美
- ニューズレター編集代表((独)海洋研究開発機構上席研究員/前東京大学大学院理学系研究科長)◆山形俊男
物理則ベースの新しい復原性基準で革新的な船を考えよう
[KEYWORDS] 第2世代非損傷時復原性基準/物理則/新形式船大阪大学大学院工学研究科准教授◆梅田直哉
IMO(国際海事機関)では今、わが国などが中心になって物理則ベースの新しい船舶復原性基準を作ろうとしている。これによって、これまでの経験というしばりから設計者を解放して、人の命を守り、地球温暖化を防ぐ、新しいタイプの船舶の建造を可能とすることが目的である。
はじめに
横浜港に保存係留されている戦前の定期貨客船氷川丸、その横にある大桟橋には現代のクルーズ客船が頻繁に着岸する。この新旧の客船を比べると、外観だけからも多くの相違点を見出すことができよう。例えば、氷川丸の上部構造物はローシルエット(輪郭線に囲まれる面積の中心が上甲板の高さからそれほど離れていない)である。現代のクルーズ客船は、その上部構造物は背が高く、不安定な印象を受ける向きもあろう。しかしよく見ると現代クルーズ客船の幅は氷川丸のそれよりも広いことがわかる。この効果で上層部の乗客スペースの増加にも耐えて転覆を防ぐ能力を確保しているといえよう。ここで、両者には大きな関連があることに気付かれたであろうか。それは、現代のクルーズ客船は氷川丸のような1930年代頃の船舶の経験にもとづく復原性※1の基準で実は設計されているということである。
現在の非損傷時復原性基準
■氷川丸(1930年竣工:横浜港に係留中)
■インデペンデンス・オブ・ザシーズ(2008年竣工:サウサンプトン港で撮影)
現在、国際航海に就くよう建造される客船、貨物船の非損傷時復原性(船体が無傷であるにもかかわらず荒天などで転覆することを防ぐ能力)は、IMO(国際海事機関)の2008年国際非損傷時復原性コード(IS Code)によって設計されている。これは、海難船の統計解析による経験則と、横波横風の簡易モデルをベースにした半経験則の二本立てである。
前者は、1968年に採択された、数十隻の海難船の統計解析による経験則であり、その例を具体的にあげると、「静水中復原モーメントが最大となる横傾斜角は25度以上」といったものである。後者は、1956年に決められた日本の船舶復原性規則をベースとし、ウェザークライテリオンとも呼ばれる。これが半経験則とされるのは、風や波、船体運動のモデル化などにそれぞれ近似的な扱いがあり、そのように得られたモデルと実際の運用実績とのチューニングによって最も本質的なパラメータである風速の値を決定したためである。ここでの運用実績として使われたのは、9隻の客船、2隻の貨物船、2隻の艦艇であり、わが国の戦前の船が主体である。
このように氷川丸の建造されたころの実績データをもとに、現代のクルーズ客船は作られているといって過言ではない。この最終段階での実績との突合せのため、ウェザークライテリオンは実用性が確保されてきた。一方、船体運動についての理論は1960年以降さらに長足の進歩を遂げており、ウェザークライテリオンに用いられている諸要素、たとえば波浪強制モーメントなど、を改良することは容易であるようにみえ、IMOでもドイツ、イタリアなど欧州の加盟国よりウェザークライテリオンに改良の余地があるとたびたび批判が繰り返されている。しかしながら、そのような部分的改良は最終段階での実績との整合性を崩すとしてその都度否定されてきた。
このように現在の復原性基準は経験則あるいは半経験則であり、しかもその根拠となるデータは1950年代以前のものである。これで問題がなければよいが、1998年に向波中で40度近い横揺れから約800個のコンテナを損傷したポストパナマックスコンテナ船の事故、やはり向波中で約50度の横揺れに遭遇した2003年の自動車専用運搬船の例、また2009年の沖縄航路カーフェリーの横転事故はじめ大型カーフェリーの20度以上の大傾斜発生の多数の報告例を考えると、転覆しないまでも最近の船舶の非損傷時復原性が万全であるとも言い難い状況にある。そもそも1950年代には、コンテナ船も自動車専用運搬船も長距離カーフェリーもなく、その後時代の要請でこれらの船が出現した。これについて新たに事故統計から新たな経験則を作ることも原理的には可能であるが、最近の船の海難の例は幸いにして統計的に有意とするほど多くはない。また、世界の工場ともいわれる中国へ原材料を運びその製品を中国から消費地に運ぶ海上交通の発展、地球温暖化を引き起こすといわれる船舶などからの温室効果ガスの排出削減の要請を考えると、経験則ができるころには新形式船が出現して新たな基準もすでに時代遅れとなりかねない。
物理則への転換の意義
以上の点を考えると、新しい復原性基準は経験則でなく物理則とすることが望ましい。これにより、過去や現在の船への適合性が確保される一方、将来の船についても適合可能となるからである。さらにいえば、旧来の基準が船舶の用途に対しての最適設計の制約条件であった点を緩和するので、技術力に応じて新形式船が生み出されることを促すことも期待できる。すなわち、温室効果ガス削減のために革新的な船舶が、従来の経験にとらわれず登場することも考えられる。これまで新たなアイデアが生まれても、あいまいな海象条件下での安全性を経験で担保するほかないという規制のため、その実現を断念せざるをえない局面も多かったであろう。また、経験則という制約条件のもとでは、本質的に新しい船舶の設計は困難であり、技術力が船舶の受注、建造の際に競争力となることも限定されていた。経験則という制約が除去されると、ゼロからの船舶設計の国際競争が始まり、その結果地球温暖化防止や国際経済の発展に貢献する新形式船が続々誕生する環境も整えられよう。
第2世代非損傷時復原性基準
IMOでは、以上のような認識から、2008年以降、物理則ベースの新しい非損傷時復原性基準策定のための審議が本格化し、わが国がそのコレスポンデンス・グループのとりまとめを担っている。今日の研究成果を用いれば、現在の船で実際に起こっている危険な現象(パラメトリック横揺れ、ブローチング※2、追波中復原力喪失現象など)について、コンピュータ・シミュレーションでその発生確率を推定することは射程範囲といえる。とはいえ、すべての船舶にそのような方法を適用することも設計能力の浪費であるから、まず簡易基準で個々の対象船がどの現象に潜在的危険を有しているか簡単な計算で判定し、必要がある場合に限って、最新のシミュレーションによる確率論的評価を行う方向で議論が進んでいる。
特にわが国は、ほぼすべての現象についての簡易基準の案、確率論的評価法の案をIMOに示しており、その多くが国際的な合意となりつつある。このような取り組みに対してご理解をお願いするとともに、新基準を新たなビジネスチャンスとしてとらえて、地球温暖化防止などに貢献する革新的な船舶の概念設計に挑戦いただければ幸いである。(了)
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JAMSTEC地球環境変動領域 短期気候変動応用予測研究プログラムディレクター、CLIVAR-GOOSインド洋パネル元共同議長◆升本順夫 - 物理則ベースの新しい復原性基準で革新的な船を考えよう 大阪大学大学院工学研究科准教授◆梅田直哉
- 新しい里海のまち・志摩と九鬼氏 志摩市生活環境部長◆稲葉和美
- 編集後記 ニューズレター編集代表((独)海洋研究開発機構上席研究員/前東京大学大学院理学系研究科長)◆山形俊男