Ocean Newsletter
第280号(2012.04.05発行)
- NPO法人いわてマリンフィールド理事長◆橋本久夫
- 京都大学フィールド科学教育研究センター 特任教授◆向井 宏
- 総合研究大学院大学先導科学研究科生命共生体進化学専攻教授◆長谷川眞理子
- ニューズレター編集代表((独)海洋研究開発機構上席研究員/前東京大学大学院理学系研究科長)◆山形俊男
サンゴ礁の海、北極の海
[KEYWORDS]生物多様性/温暖化/ゴミ汚染総合研究大学院大学先導科学研究科生命共生体進化学専攻教授◆長谷川眞理子
私は幼いころから海が大好きだった。これまでに、熱帯のサンゴ礁の海も、北極の海も訪れた。それぞれ、その生態系の素晴らしさは忘れがたい。
海温上昇に伴ってサンゴ礁の海ではサンゴが白化し、北海では氷が溶ける。また、さまざまなゴミも、海を通じて世界中をめぐる。地球は一つであることを実感する。
サンゴ礁の海とサンゴの白化
幼い頃、海辺の町で数年を過ごしたことがあるせいか、私は海が大好きである。水平線が真横に広がり、海の青と空の青がどこまでも続く、あの空間がたまらなく好きだ。海に棲むさまざまな生物は、これまた美しく興味深い。小学校でも中学校でも、臨海学校は本当に楽しかった。泳ぐのも好きだが、私が楽しいと思うのはスポーツとしての泳ぎではない。泳いだり潜ったりして、海という場所やその生物が見られるから楽しいのである。
熱帯のサンゴ礁は、地球上で生物多様性のもっとも豊富な場所の一つである。それが見たくて、何度か、モルディブとパラオを訪れた。小さなサンゴの固まり一つをとっても、そこに住んでいる魚や無脊椎動物の種類は何十にものぼる。赤、青、黄色、黒、白、紫の眼も覚めるような鮮やかな色とりどりの魚やカイメン、甲殻類がうごめいている。何時間見ていても飽きない。ときどきサメにも出くわす。最初は恐怖に陥ったが、何も慌てて逃げることはないのだ。
最初にモルディブに行ったのは1990年代の初め頃だったが、本当にこの世の楽園のようだった。二度目に行ったときには、ダイポールモード現象のためにサンゴの白化が問題になったあとだった。正確に同じ島に行ったのではないが、これが同じ場所かと驚くほどに、サンゴが死滅して灰のようになり、まるで爆撃のあとの死んだ町のようなところが多々あった。それでも、ハタやアオブダイなどが「闊歩」していた。沖縄の瀬底島にある臨海実験所のサンゴ礁も壊滅に近い状態になったそうだ。それでも、最近は少しずつ回復してきているというので、モルディブのあのサンゴ礁も回復しているのかもしれない。また、近いうちに訪れたい。
セントキルダ島
■北極海で見た美しい流氷、そしてスピッツベルゲン島のホッキョクグマ
1987年から1年半ほど、ブリティッシュ・カウンシルの奨学金を得て、英国ケンブリッジ大学の動物学教室で過ごした。そのとき、スコットランドの沖合に浮かぶ絶海の孤島、セントキルダ島で、野生ヒツジの研究をする機会を得た。セントキルダ島は、スコットランドの西側に広がるアウター・ヘブリディーズ諸島の一つであるが、この島だけぽつんと離れている。ここに、ヨーロッパの家畜ヒツジの元祖であるソイ・シープと呼ばれるヒツジたちが、現在でも野生で暮らしている。私は、その生態調査に参加した。
そのとき初めて、私は寒い海を経験したのである。と言っても、海の中に入ったわけではないが、寒帯地方の海の生態を身近に見ることができた。島で暮らしていたのは3月から6月までの短い間だったが、3月はまだまだ強烈に寒く、6月の終わりには、白夜に近い状態が見られた。島は、カツオドリ、フルマカモメ、ツノメドリ、ケワタガモなど、多くの海鳥の繁殖地になっている。セントキルダには、海面から突き出したいくつかの小さな火山島があるが、それらの岩肌は鳥の糞で真っ白で、上空には何千、何万という鳥たちが舞っていた。見るだけではない。夜にはシギの飛ぶ羽音が聞こえ、6月には、渡ってくるアナドリの仲間が、夜間に島にどすんと着地する音を聞くことができた。
北極海の航海
2004年の冬、イギリスの一般向け科学雑誌『New Scientist』に、北極ツアーの募集が出ているのを見たとき、どうしても行きたいと思った理由の一つには、セントキルダでの経験があった。南の海とはまったく違う、あの静けさ、日の光、生物たち。さらに、昨今、地球温暖化が懸念されている中で、北極圏の氷が溶けていることも話題になっている。それもこの目で確かめてみたいと思い、このツアーに参加することにした。
これは、この雑誌が企画し、オーストラリアの旅行会社が引き受けているもので、雑誌に記事を書いている科学ジャーナリストが同行する。ロシアの調査船を借り切っての10日間の旅だ。出発地はノルウェーのスピッツベルゲン島のロングイヤービーン。そこから北極海を航行してグリーンランドの西岸に寄り、またスピッツベルゲン島に帰るというものだ。こうして、2005年の8月、私は、オスロ経由でロングイヤービーンに降り立った。アカデミック・セルゲイ・バビロフというのがロシアの調査船の名前で、1988年までは、北海におけるさまざまな海洋の調査をしていた。ソ連邦の解体に伴って、1年の半分は私たちのようなお客を乗せて稼ぐことになったらしい。この10日間の航海で見た北極の海とその生物たちは、一生忘れることができない。私は、生まれて初めて流氷や氷山、氷河というものを見たのだが、その美しさ、巨大さ、荘厳さは、とても筆で表すことができない。とくに、遠くに見えてからゆっくりゆっくりと近づいてくる氷山は、何も比べるもののない海の上で、いったいどれほど大きいのか、初めはまったく見当がつかなかった。形も色も一つ一つ異なる。日の当たり具合でも表情が変わる。
北極海で遭遇したさまざまな動物たちも忘れられない。クジラ、セイウチの群れ、アザラシ、ウミガラス、カモメたち...しかし、なんと言っても、ハイライトはホッキョクグマである。スピッツベルゲン島の一角で、十数人の一団で、レンジャーとともに歩いていたときだ。ふと気がつくと、7、8メートル先の土手の向こうにシロクマさんが立って、こちらを見ていた。レンジャーが照明弾を撃ち、クマさんは面倒くさそうな風情できびすを返して走っていった。夢のような一瞬だった。
素晴らしい旅だったが、誰も住んでいない北極の海岸に、ありとあらゆるプラスチックやビニールのゴミが無数に流れ着いていることは、地球全体の汚染を象徴していた。そして、私自身は昔の状態と比べることができないが、やはり、氷河は縮小し、流氷の数も少なくなっているということである。ホッキョクグマも絶滅に瀕している。
最近は、温暖化に伴う海の酸性化も懸念されている。この美しい世界の海がいつまでも健全であるよう努力することは、私たちの責務である。(了)
第280号(2012.04.05発行)のその他の記事
- それでも海に学んでいく NPO法人いわてマリンフィールド理事長◆橋本久夫
- ジュゴンをめぐる森と海 京都大学フィールド科学教育研究センター 特任教授◆向井 宏
- サンゴ礁の海、北極の海 総合研究大学院大学先導科学研究科生命共生体進化学専攻教授◆長谷川眞理子
- 編集後記 ニューズレター編集代表((独)海洋研究開発機構上席研究員/前東京大学大学院理学系研究科長)◆山形俊男