Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第280号(2012.04.05発行)

第280号(2012.04.05 発行)

ジュゴンをめぐる森と海

[KEYWORDS]プランテーション/表土流出/海草藻場
京都大学フィールド科学教育研究センター 特任教授◆向井 宏

タイとフィリピンでのジュゴン研究からも、森と海の環境の密接な関係が明らかになった。
ジュゴンの個体数が減少している原因の一つに、東南アジアにおける森林伐採と農園開発がある。ジュゴンの保護には保護区の設定だけでは成功しないだろう。

ジュゴンの食べ跡から

■急激にその数を減らしているジュゴンだが、たんなる保護区の設定だけでは保護は成功しないだろう。写真はバヌアツのジュゴン(土山裕誉氏撮影)

ジュゴンは、西太平洋・インド洋の熱帯域に生息する草食の大型哺乳動物の海牛類であるが、国際保護動物に指定されている希少な動物である。オーストラリア周辺の浅い海に多く生息しており、東南アジアでも広く見られるが、近年、これらの海域の開発が進むに従って急激にその数を減らしている。日本では、南西諸島に分布していたが、現在では沖縄本島周辺の海にわずかな数が生息しているのみである。
ジュゴンは、海草※を専食することで知られており、大西洋で生活する海牛類のマナティと近縁で、食性も似ている。しかし、マナティが陸上の植物(例えばキャベツ)も食べるのに対して、ジュゴンは海草以外の食物は受け付けない。さらに海草を根からまるごと掘り起こして食べる習性があり、海底に生えている海草でなければ食べないという、食べものと食べ方に固執している。そのため、ジュゴンの飼育は非常に難しく、捕獲してしばらく飼育していても、やがて死んでしまう。現在、長期ジュゴンの飼育に成功しているのは、世界でも鳥羽水族館だけであるというのは、そのような事情によるものである。
海草を海底から掘り起こして食べるため、ジュゴンが食べたあとは細長い溝が海草藻場にできあがる。この溝は海草が再び生長して表面を覆うまで残るため、ジュゴンが餌を食べていることを知る良い手がかりになる。私は、このジュゴンの食べ跡を手がかりに、タイやフィリピンなどでジュゴンの生態を研究してきた。
タイでは、ジュゴンの食べ跡がたくさん残されている3ヘクタールの比較的小さな藻場で研究を行った。この藻場は潮間帯にあり、干潮時には完全に干上がってしまう。満潮でも水深はせいぜい2m程度である。ここで餌を食べるジュゴンは、潮が満ちてくると沖合からこの藻場へやってきて餌を食べ、潮が引き始めると沖に出て行く。そこで、干潮時に100m四方の方形枠を設定し、丹念にその中の食べ跡を調べ、地図を作った。満潮時には、すぐそばの垂直な崖の上に登り、ジュゴンが来て餌を食べる様子を観察した。次の日の干潮時に、あらためて方形枠の中のすべての食べ跡を調べて、一日にジュゴンが食べた海草の量を推定することができた。
この調査では、ジュゴンがウミヒルモという葉の長さ1cmにも達しない小型の海草をもっぱら選んで食べていることが明らかになった。この海域には10種ほどの海草があるが、ジュゴンはこの1種のみを食べている。

ジュゴンの個体数減少

■ウミヒルモとジュゴンの食べ跡(ミンダナオ島マリタ)

次に訪れたのは、フィリピンのミンダナオ島である。フィリピンでは、かつてはどこでも多くのジュゴンが見られたが、現在ではフィリピン中心部の海域ではほとんどジュゴンがいなくなり、ジュゴンの生息は周辺の島に限られる。ミンダナオ島ではまだまだ多くの海域でジュゴンが生息している。現在では、フィリピン政府の保護方針により、ジュゴンの捕獲は禁止されている。
私たちは、ジュゴンの生態を研究するためにミンダナオ島のダバオ湾を調査したが、その中で湾の入り口付近のマリタ市ニュー・アルガオという集落の前の海岸でジュゴンが頻繁に観察されることを見つけた。ここの砂浜海岸に高さ10mほどの塔を建て、その上からジュゴンを観察することとした。この観察は地元の大学生や住民の協力も得て、数年間続けることができ、ジュゴンの摂餌生態についての新しい知見を得ることができた。ここの海草藻場は、タイの場合と違って、水深3m~20mとかなり深いところに存在する。しかし、その中でもっとも浅い場所(3~7m)にあるウミヒルモの群落でのみジュゴンは餌を食べていることが分かった。
毎年この場所に来てジュゴンの観察や海草の測定を続けていて、ウミヒルモの量が減少していることに気がついた。海水の透明度もこころなしか減ってきている。この海で最初に潜ったときは、かなり遠くまで見えた景観が、すぐ近くしか見えなくなることも多くなった。ジュゴンの出現も地元の人の話ではかつてほど頻繁には見られなくなったという。この原因は何か。

森と海のつながりの回復を

私は以前、北海道大学で沿岸の生物生産性や多様性が陸上の生態系とどのような関係を持っているかについて、研究を行った。北海道東部の自然河川である別寒辺牛川(べかんべうしがわ)と河口域の厚岸湖(あっけしこ)の関係を調べ、川から流れてくる栄養塩が沿岸生態系にどのように取り込まれるか、それがどのような条件で流れてきたときに、沿岸生態系の構造にどのような変化が見られるかについて研究した。その結果は、陸上の森林が持つ保水機能が、沿岸生態系の安定性と生産性にとって極めて重要であることを示していた。漁業者は、「森が荒れると海も荒れる」という言い方で、そのことを昔から知っていた。「森は海の恋人」というキャッチフレーズで漁業者の植林運動も始まっていた。
ジュゴンの生息環境を蝕んでいるのは、この森の問題ではないだろうかと考え、私は陸上と河川を調査することにした。この付近には、クラマン川とライス川という2本の河川がジュゴンの餌場の両側に流れ込んでいる。この川の上流まで地元の森林局の役人に付き添ってもらって調査に出かけた。最上流の山の上は、反政府武装組織の支配地域であり、残念ながら調べることはできなかったが、そのすぐ下から河口まで川水の採取をしながら、陸上の様子を見ていった。
そして分かったことは、この流域のほとんどで天然林が伐採され、バナナやココナッツなどの大規模プランテーションに変わっていたこと。天然林は、保水機能を十分持っているが、プランテーションは、保水機能がない。とくにバナナ農園は、表土が雨で簡単に流出し、ちょっとした雨でも河川の水は真っ黒に濁る。その濁水は海にそのまま出て行き、海岸沿いに流れる。ジュゴンが頻繁に来ていたニュー・アルガオの海岸にも、濁水は到達していることが、濁度計の連続観測でも明らかになった。
さらに、バナナ農園では、大量の人工肥料や農薬が使用される。これらも海草の減少に大きく影響しているに違いない。つまり、森林伐採→プランテーション→河川の汚濁→河口・沿岸の透明度の低下→海草の生産量低下→ジュゴンの減少という、要因の連鎖が起こっている。
ジュゴンの保護は、たんに保護区の設定では成功しない。これからの海洋の多様性保全や希少動物の保護の活動にも、森と海の連環を見据えた方向が求められる。私の現在所属している京都大学フィールド科学教育研究センターでは、森里海連環学の確立を目指している。東南アジアを含めた森里海連環学がこれから必要になるだろう。(了)

※ 海草=「かいそう」とよばれる植物には大きく二つのグループがある。海草と海藻である。海藻は、コンブ、ホンダワラ、テングサ、アオサなど。胞子で増え、花や葉や根を持たない。一方、海草は、花が咲き、実もなる。種子で増え、海底の砂泥に根を下ろす。陸上植物が進化して再び海に帰ったグループである。本州ではアマモ、沖縄にはリュウキュウスガモやウミヒルモなどが知られる。

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