Ocean Newsletter
第280号(2012.04.05発行)
- NPO法人いわてマリンフィールド理事長◆橋本久夫
- 京都大学フィールド科学教育研究センター 特任教授◆向井 宏
- 総合研究大学院大学先導科学研究科生命共生体進化学専攻教授◆長谷川眞理子
- ニューズレター編集代表((独)海洋研究開発機構上席研究員/前東京大学大学院理学系研究科長)◆山形俊男
それでも海に学んでいく
[KEYWORDS]マリンスポーツ/海からのまちづくり/宮古湾NPO法人いわてマリンフィールド理事長◆橋本久夫
「海に学び」「海に親しみ」「海を活用する」をテーマとして、私たちは宮古湾でマリンスポーツの普及や様々な体験教室を開催してきた。
震災以降、日常から遠ざかってしまった海を日常に近づけ、海の恵みを活かした地域づくりをやっていくことが、これからの復興のまちづくりでは大切になる。そう信じて、私たちは海での活動を再開したいと考えている。
ふるさとの海が学び場
目の前に見えるふるさとの海。厳しく寒くどんよりとした冬空の下にあった水平線が、いつしかその鋭さを失い日々、茫洋として、どこまでも遠く人の想いを誘うような柔らかな線に変ってきている。まもなくふるさとの海にも春が近づいてくる。海は今年も、いつもと変わらぬ季節の便りを届けてくれる。あの日の出来事がまるで嘘のように。
言うまでもなく、海は地域住民すべて、国民にとってもかけがえのない共有財産である。漁業・水産業や港湾産業はもちろん、海という大自然の特性を生かした「青少年の健全育成」「生涯学習」「観光振興」「環境活動」など様々な地域振興のための資源としても重要なものである。
「海に学び」「海に親しみ」「海を活用する」が私たちのテーマである。海を学ぶことは地域全体を学ぶことでもある。海にも歴史と文化、地域ならではの風土がある。これらの資源を活かすことこそが住み良い活力ある地域社会の形成や、人や環境に優しい潤いのあるまちづくりにつながっていくものだろう。
私たちのホームポートである宮古湾は、閉伊川と津軽石川という2つの大きな川が流れ込むリアス式海岸の一つだ。歴史的にも天然の良港として知られ古くから栄えてきた。近代初の洋式海戦・宮古港海戦の地※でもあり、2015年には開港400年という節目の年を迎える。
リアス式海岸は穏やかな入り組んだ湾を形成しながら、自然を活かした港湾、漁港が整備され、さらに養殖漁業など生産の場として活用されてきた。特に海の豊饒な資源は背後にある山、川の恩恵にある。山の栄養が川を経て、海に流れ出し豊饒な漁場を作り出している。
あの日、奇跡の風に救われたヨット
■秋田県本荘市で行われたヨットインターハイ
このような豊かな自然環境ではあるが、ところがあの3.11で大きなダメージを受けた。私たちの活動拠点であるリアスハーバー宮古も壊滅的な被害を受けた。高校、ジュニアクラブはじめとする多くのディンギーヨット、さらにはシーカヤック、レスキューボート、クルーザーヨットなど約150艇あまりが、一瞬にして津波に流されてしまった。防潮堤も施設も破壊される想像を絶する大津波だった。
あの日、宮古湾では宮古商業高校ヨット部が、いつものように練習を行っていた。海面には2人乗りのFJ級ヨット3艇と救助艇1艇がいた。救助艇には顧問の先生と生徒5人が乗船していた。ハーバーからそう遠くない海面で微風の中で帆走していた。しかし、海上ではあまり揺れを感じることがなかったようで、何が起きたのかの判断がつかずに戸惑っていた。海面は無風状態でヨットが進まなくなっていた。危機を感じたハーバースタッフが「船体を放棄してもいいから救助艇で早く戻って来るように」と無線を入れたが、それでもなかなかハーバーに戻る気配がなかった。スタッフはハーバーの救助艇で生徒を曳航しようと一人出艇した。湾内に出たその時、強い南風が吹いてきてヨットは一気に走り出し救助艇に曳航されることなくハーバーに着艇することができた。ヨットマンたちは誰一人として犠牲になることなく、無事避難することができた。
2011年8月に宮古湾でヨット競技の北東北インターハイが開催される予定だった。高校生たちは、ふるさとの海での活躍を目指しこの3年間頑張ってきた。しかし、すべてのヨットが失われ、海に出ることもできずガレキ撤去作業などに追われ、練習再開までには多くの時間がかった。あこがれの大会が夢で終わるかもしれない状況だった。それでも全国からの支援を受け、海に戻ることができたのは大会の1ヶ月前だった。遅れた時間を取り戻すように必死に練習に取り組んだ結果、秋田県由利本庄市に会場を移した大会で宮古高校が東北大会を制し、さらに本大会では男女それぞれ団体やソロ競技などで宮古商業高校、宮古高校ともに4位~6位という入賞を果たし、地元の人たちへの朗報として喜びが広がった。
復興の海へ再び
■2011年10月開催された三陸シーカヤックマラソン大会海上で黙祷を捧げる参加者
そして10月。私たちは全国のシーカヤック愛好者を集めての2011年で11回目となる「三陸シーカヤックマラソン大会 ― ともに復興」を開催した。震災後初の宮古湾でのイベントで、全国から155人の選手が参加してくれた。従来の早さを競う大会ではなくツリーリング形式で湾内を周遊し、ホーンを鳴らしながら犠牲者へ黙祷を捧げた。このイベントでやっと復興の海へと漕ぎだすことができた。
私たちの活動は海をフィールドに、マリンスポーツの普及から様々な種目の体験教室を開催し、子どもから高齢者、あるいは身体の不自由な人たちにも楽しんでもらっている。環境保全活動も、もちろん国際交流事業でニュージーランドのヨットクラブの子どもたちも相互交流を行ってきた。その理念には「海からのまちづくり」がある。そしてそれは「ひとづくり」につながる。
3.11以降、これらの活動は停滞してはしまったが、私たちは再び海に向かって行かなければならない。宮古湾に春の風が吹き始めると同時に、かつての風景のように白い帆をなびかせたヨットを浮かべていきたい。多くの自然体験教室を通して子どもたちの笑顔を広げていきたい。
これからの復興のまちづくりで大切なことはまず海を知ること。海から陸を眺めることだろう。海はいつの時代も身近な存在だった。しかしながら、海のあるまちに住みながらも海から遠ざけられている昨今。復興計画で水門や防潮堤などのハード整備により今後、大きく環境も変化していく。コンクリートで固められた海沿いが、果たしてそれが復興の新しいまちづくりに結びつくのか大いなる疑問が残るものの、私たちは被災を乗り越え、それでも海に生きていかなければならない。もっと海を日常に近づけ海の恵みを活かした地域づくりをやっていくことが、宮古のまちの復興の一助になるものとして、私たちはまた船出していきたい。(了)
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- 編集後記 ニューズレター編集代表((独)海洋研究開発機構上席研究員/前東京大学大学院理学系研究科長)◆山形俊男