Ocean Newsletter
第279号(2012.03.20発行)
- 岩手県大槌町長◆碇川 豊
- 岩手県指導漁業士、宮古湾の藻場・干潟を考える会会長◆山根幸伸
- 長野大学環境ツーリズム学部教授・総合地球環境学研究所客員教授◆佐藤 哲
- ニューズレター編集代表(総合地球環境学研究所・教授)◆秋道智彌
住民主導の沿岸環境管理と科学
[KEYWORDS]里海/レジデント型研究機関/サンゴ礁長野大学環境ツーリズム学部教授・総合地球環境学研究所客員教授◆佐藤 哲
サンゴ礁などの沿岸環境を里海として再生していくために、地域の多様なステークホルダーの協働活動が活性化している。このような活動を支える科学のあり方として、地域社会に定住して研究を行うレジデント型研究機関・研究者の役割に注目する。
石垣島白保のレジデント型研究機関であるWWFサンゴ礁保護研究センターの研究活動の特徴から、住民主体の里海再生を支える問題解決に直結した新しい地域環境学のあり方を考える。
里海づくりを支える地域環境学
サンゴ礁や浅海藻場、干潟などの沿岸環境は、豊かな生物多様性をはぐくむとともに、漁業や観光などの多様な生態系サービスを通じて人々に多くの恵みをもたらしてきた。人間生活に密着した沿岸環境は、人手が適切に加えられることで形成されてきた「里海」であり、人々による資源利用と適度な介入によって豊かな生態系サービスと生物多様性が維持されてきた。しかし、里海は沿岸開発や陸域からの栄養塩や汚染物質の流入など、環境負荷の大きい人間活動による影響を受けて疲弊している。このような状況のもとで、沿岸環境の豊かな恵みを取り戻し、人々の生活と福利を向上させるための里海づくりの活動が、各地でさかんに行われている。
里海づくりの主役は、沿岸環境にさまざまな形でかかわる地域の人々(ステークホルダー)である。漁民だけでなく、沿岸環境の多様な生態系サービスにかかわる多くの人々が、さまざまな形で協働し、住民主導のコモンズとしての里海づくり活動が推進される。その際に、ステークホルダーの協働を支えるための知識基盤として、人々が活用できるさまざまな考え方、知識、技術的選択肢を提供する科学が必要である。解決を必要とする里海づくりの課題は地域ごとに固有であり、その社会経済的・文化的背景もきわめて複雑で多様である。そのため、ステークホルダーが活用できる知識基盤を地域の実情に即して提供するための、地域が必要とする多様な分野にまたがる地域密着型で問題解決指向の科学が不可欠である。
このような科学を、私たちは「地域環境学」と名付けて推進してきた。そこでは科学的な価値よりも地域の問題解決への貢献を優先した知識生産が要求される。里海づくりの主役である地域のステークホルダーの活動を、知識生産によって後方支援することが、地域環境学の主要な役割である。
レジデント型研究機関の役割
■図1:白保サンゴ礁の豊かさを象徴する、北半球最大規模最古といわれるアオサンゴ群落
私たちは、地域社会に定住して研究を行う「レジデント型研究機関」が、里海づくりを支える地域環境学を推進する重要な役割を果たしていると考えている。レジデント型研究機関とは、地域社会の中に定住して研究を行う研究者を擁する大学、研究所などで、地域社会の課題の解決に役立つ領域融合的研究を、その使命として明瞭に意識しているものをいう。レジデント型研究機関の研究者は、専門的な知識生産者であると同時に、地域社会の住民・ステークホルダーの一員でもある。そのため、一方では地域社会にさまざまな知識技術を提供する役割を担いつつ、同時にステークホルダーの一人としてその知識を里海づくりに活用する立場にも立つ。また、生活者として生態系サービスの恩恵に浴し、地域の沿岸環境に対する誇りや愛着を共有し、地域の一員として地域の未来にかかわる意思決定にも関与する。このような多面的な顔を持つレジデント型研究者が、地域の実情に即した問題解決型の科学を推進してきた。ここでは、沿岸環境にかかわるレジデント型研究機関の事例として、石垣島白保のサンゴ礁にかかわるレジデント型研究機関であるWWFサンゴ礁保護研究センター(以下、サンゴセンター)を紹介する。
石垣島白保集落の地先に広がる白保のサンゴ礁は、世界有数のアオサンゴ群落を有し、国立公園海中公園地区にも指定されている生物多様性に富んだ海域である(図1)。また、地域の人々に水産資源や観光資源という形で豊かな恵みを提供する、生活に密着した里海でもある。しかし、サンゴ礁環境は陸域から流入する赤土などの複合的な要因によって劣化の一途をたどっている。WWFジャパンが設立したサンゴセンターは、たった2名の研究者からなる小さな研究機関だが、地域外の多様な研究者との連携のもとに、地域社会の中で多様な役割を担いながら、ステークホルダーによる里海づくりの取り組みに役立つ知識技術を提供し、地域社会の重要な一員として多様なステークホルダーの協働を支えている。
ステークホルダーの協働を支える科学
■図2:白保魚湧く海保全協議会によって復元された伝統漁具「海垣」(撮影:上村真仁)
サンゴセンターの研究は、白保サンゴ礁と隣接する陸域環境、およびその恵みを受けてきた地域社会に集中している。過去10年以上にわたってサンゴ礁における赤土堆積量を継続的にモニターし、サンゴ礁環境の変化とその要因を追跡する生物環境モニタリングを実施してきた。同時に白保集落の人々が培ってきたサンゴ礁利用にかかわる多様な伝統知や技術を丹念な聞き取り調査によって収集し、その成果をセンター内で展示して、環境教育と伝統文化の継承に活用している。それに加えて、サンゴセンターの研究者は住民主体のサンゴ礁保全と持続可能な活用の実現を目指す「白保魚湧く海保全協議会」の中心メンバーとして活動し、科学的知識を地域の課題解決に活かす役割を担っている。協議会が中心になって、浅海域に半円形の石垣を積んで定置漁具として使う「海垣」を復元して環境教育に活用することを通じて、多くのステークホルダーのサンゴ礁とのかかわりを再構築することを試みている(図2)。また、スノーケリング業者など協議会のメンバーとともにシャコガイの種苗放流に取り組み、放流された種苗は観光資源として活用されると同時に、ステークホルダーによる成長モニタリングや自主的資源管理への動きを創りだしている。
WWFサンゴ礁保護研究センターのレジデント型研究者は、ステークホルダーが活用できる問題解決型の知識技術を提供するだけにとどまらず、その知識技術を現実の地域社会の中で里海づくりに活用することを通じて、ステークホルダーの協働とダイナミックな活動を促進している。問題解決に貢献できる科学的知識を生産すると同時に、ステークホルダーによる知識の受容と活用を促して地域社会のダイナミックで順応的な活動を支援する科学を推進していくことが、急速に変化する沿岸環境を地域住民が主役となって保全・再生・活用していくために、決定的に重要な役割を果たすだろう。(了)
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