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オーシャンニューズレター

第279号(2012.03.20発行)

第279号(2012.03.20 発行)

浜からの眼―宮古湾のニシンとカキ

[KEYWORDS]宮古湾/藻場再生/カキ養殖
岩手県指導漁業士、宮古湾の藻場・干潟を考える会会長◆山根幸伸

東日本大震災の大津波により、宮古湾では湾内の豊かな自然環境も壊滅的な状況になった。
ニシンを新たな漁業資源として育ててきた漁業者らの努力や名物となっていた「花見かき」養殖などの取り組みも無に帰した。皆の必死の努力により復活へのかすかな希望も見えてきたが、湾奧の藻場を含む周辺の環境を少しでも早く本来の姿に戻すことこそが宮古湾の水産復興には不可欠と考える。

大震災、その時

東日本大震災の想像を絶する大津波は、岩手県宮古市の宮古湾をも容赦なく襲った。発生時、私はニシンを狙い通常の操業中だった。大きく激しく長い地震のあと数十分たった最初の引き波で、磯建て網(小型の定置網)は錨ごと流され、見えなくなった。とてつもない津波が来ると、その時確信した。港は破壊され地盤も低下、湾内の豊かだった自然環境も壊滅的な状況になった。ニシンを新たな漁業資源として育ててきた漁業者らの努力や、宮古名物となっていた「花見かき」養殖などの取り組みが無に帰した。約1年たった海の現状を浜から報告したい。

ニシンに見えた「かすかな希望」

■大津波で残ったアマモ

今年1月中旬、湾内で調査のためニシンの特別採捕を行った。この調査は(独)水産総合研究センター東北区水産研究所宮古庁舎の依頼で、この時期産卵に来るニシン親魚の生態などを調べるものであった。初水揚げは3~4才魚と見られる4匹。漁としてはわずかだが、ほっとした。「ニシン資源は失われていない」という確信がより強く持てたからだ。
震災により宮古湾のニシン資源は、途絶しても不思議でないほどの痛手を受けた。宮古湾奥の藻場(アマモ場)で育まれたニシン稚魚はやがて回遊に出て、2年たった早春に産卵のため戻る。その宮古湾に2010年2月末のチリ地震の遠地津波、そして2011年3月の津波と2年続けて津波が襲来したのだ。アマモは観察する限り、津波エネルギーの直撃を免れた所には多少残っているものの、湾奧の水深の浅いところはほとんど無くなっている。震災後は「もうニシンが戻ってくることはない」と諦めていた。
宮古のニシンは、岩手県、宮古市、漁業者、研究所の産学官で作り出した水産資源だ。わずかだが元々ニシンが育っていた環境を生かし1984年からニシン稚魚放流を開始。漁網に生み付けられた卵が天然ふ化するまで保護する漁業者の取り組みなどが実を結び、2009年までは年1~2トンの水揚げで安定的に推移するまでになっていた。こうして積み重ねてきた努力がゼロになるとは......。
2011年6月、奇跡は起きた。やはり水産研究所の稚魚調査に協力した際、湾内でニシン稚魚が採れたのだ。ガレキの残る海でニシンが育っていてくれたとは! 大きさから見て、震災後に湾内のどこかに残っていた藻場で親が産卵し育ったと推測できた。まさに暗闇から一筋の光が見えた瞬間だった。その後、復活した磯建て網でも数は多くないがニシン稚魚は確認できた。
稚魚調査によると、稚魚の種類は震災前と変わらず生息しているものの、個体数は少ないとの結果が出た。宮古湾奧の藻場は、ニシンを含む50種類以上の魚を育む海のゆりかごだ。船を確保し網を建てても魚がいなくては意味がない。自然環境の回復、特に藻場再生に力を注がなくてはならないと切実に感じている。

本当の旬を届けたい。「花見かき」復活へ

■陸に打ち上げられたカキ養殖施設

自分の本業はカキ生産だ。震災前、宮古のカキはむき身で東京・築地に出荷されていたのだが、解決したい問題があった。水の冷たい北の地・宮古のカキの旬は春なのに、世間の一般的なイメージは「カキは冬」。最も美味しい時に値は下がり、旬は過ぎたと思われていた。
「宮古湾の本当の旬を伝えたい。本当に美味しいカキを食べてほしい」との思いから始めたのが「花見かき」だった。特別な種類のカキではない。養殖中のマガキの中から選別し、桜の咲く頃まで育て上げるのだ。宮古湾は3月に植物プランクトンが多く、カキも夏の産卵期に向け栄養を蓄える。水分も塩分も少なくなり、代わりに栄養分が多くなるという訳だ。若い生産者に声を掛け、県、市、宮古漁協の指導と支援を得て6年前、地元ブランド「花見かき」を発売した。宮古の春の特産品として地元限定で販売。年ごとに知名度も上がっていた。しかし昨年の大震災は、出荷準備を始めたばかりの「花見かき」を全滅させた。
昨年の津波は波の高さ、流速の速さが以前とは全然比較にならず、ただ茫然と立ち尽くすだけだった。波は高さ7~8メートルの防潮堤を軽々と越え、海上の施設全てが陸へと打ち上げられた。数十年かけて築いてきたものだが、失うのは一瞬だった。思えばここ18年で三陸を襲った津波は4度である。直近の9年では3度だ。18年前の北海道東方沖地震は海上施設が全滅。9年前の十勝沖地震は海上施設が7~8割の被害。一昨年のチリ地震は1~2割の被害で済んだが、今回は海上の養殖施設、陸上の共同施設、船、ホークリフトなどすべてが流された。
しかし「うつむいてばかりでは、カキ出荷がいつになるかわからない」と気持ちを切り替えた。幸い宮城県松島から生き残っていた種苗を譲り受けることができた。再利用できる資材と係留錨を使い、昨年は3~4割の仮復旧にまでこぎ着けた。今年中には新しい係留錨を打ち込み、養殖筏も作って本復旧したいと考えている。昨年挟み込んだカキは順調に育ち、今年の秋には出荷できる見通しだ。さらに育成する「花見かき」の復活は2013年春ということになる。ただ本復旧できても、震災前の水揚げに戻るには早くても2~3年後になるだろう。

再生に取り組む

カキやニシンにとっても、今後の心配は湾奧の藻場を含む周辺の環境が、例が無いほど大きなダメージを受けていることだ。特に宮古湾では、サケ稚魚を数多く放流している。この稚魚を育む環境が心配な状態なのだ。サケは岩手漁業の柱。少しでも早く本来の自然環境に戻すことが宮古湾の水産復興、復活になるのではと信じている。藻場再生の見通しは不確定な状況だが、皆さんの知恵や支援をいただき、再生に向けて取り組みを進めていきたいと考えている。(了)

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