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オーシャンニューズレター

第278号(2012.03.05発行)

第278号(2012.03.05 発行)

復興への挑戦

[KEYWORDS]宮古市/震災復興基本方針/まちづくり
宮古市長◆山本正徳

震災から一年が経ち、平成24年度は宮古市にとって震災復興の本格的なスタートの年となる。
活気・笑顔あふれる宮古を一日でも早く取り戻すため、復興の具体的な計画づくりが始まっているが、私たちは復興は歴史的な挑戦であるという使命感を持って新しいまちづくりを進めたいと考えている。

3・11からのスタート

本州最東端のまち岩手県宮古市は、陸中海岸の中心に位置し、海からの限りない恩恵を享受し繁栄してきた地方都市の一つです。北上山地を挟んで県都盛岡市と隣り合う本市は、平成の大合併により4市町村が結ばれ新市となりました。人口はおよそ6万人。面積は1,260km2、全国で8番目に広い市です。本市の産業は近年、金型・コネクター等の電子部品製造業の集積が顕著で産業の重要な位置を占めるようになってきてはいますが、やはり水産業と観光が市経済の中核をなしています。
さて、あの現実を突きつけられてから、瞬く間に1年が過ぎ去ろうとしています。昨年3月11日に発生した東日本大震災は、多くの尊い命や貴重な財産を奪いました。本市では、死者・行方不明者が500人を超え、全壊、半壊を合わせた住家等の損壊は4,675棟に上りました。壊滅的な被害を被った水産業をはじめ、商工観光業や農林業などの各産業への影響は深刻で、地域経済はこれまでにないほどの大打撃を受けました。東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う放射性物質汚染では、その風評被害により、災害廃棄物の広域処理に支障をきたすなどの影響を受けています。
山積された課題は枚挙にいとまがなく、進むべき道は平たんなものではありませんが、歯を食いしばり頑張っている人の眼差しや子どもたちの笑顔、全国から寄せられる温かい支援などに接するたび、復興に向かってまい進する決意を幾度も心に刻んできました。
私は、震災3日後から3カ月にわたり毎朝、今でも1カ月に1度、防災行政無線を使い「宮古市は必ずや復興いたします」と呼びかけています。皆で前を向き、日々、一歩でも半歩でも歩みを進めようと。当時、市民はこの言葉を合図に後片付けなどの一日をスタートさせたと言います。放送を聞いた市民からは、「あの言葉があったから日々頑張ってこられた」との言葉をいただくことがあります。思い起こせば、市民の背中を後押ししてきたつもりが、実は一番勇気づけられていたのは、この私自身であったのかも知れません。

復興への歩み

■市長と中学生とのまちづくり意見交換(2012年2月1日)

■浄土ヶ浜

震災から一年が経ち、復興への歩みを強めようとしているなか、われわれは海との関係を今一度問い直されていると感じています。
現在、24年度からの事業実施に向け、復興計画の具体的な事業を盛り込む推進計画と被災した地区の復興まちづくり計画決定の最終段階に入っています。まちづくりの計画は、被災地区ごとに検討会を設け、復興プランを住民自らに考えていただいています。そこでは様々な意見が交わされていますが、話し合いの焦点はこれまでのように住まいと職場が海に寄り添い近い関係を保ち続けるべきか、あるいは海との共生関係を限りなく経済活動に限定したものとすべきかという点に絞られていくものと考えています。住民の生命と財産を守るべき責任ある立場として、私自身も復興に向けての想いを強くする一方で、海との関わりを再考しているところです。
海に対する憧憬と感謝、そして畏怖。相反する感情を綯(な)い交ぜにしたまま言葉にすれば、「基本的に住まいは津波が来ない安全な場所に、津波の襲来が予想される場所いわば海の恩恵を直接享受しうる場所は経済活動などの場としたい」と考えています。その上で、これまで培われてきたコミュニティを壊すことなく、復興すなわち歴史的な挑戦であるという使命感を持って新しいまちづくりを進めたいと思っております。一案を示せば、街なかでの地域公共施設や福祉施設等の集約を図り、公営住宅を整備するとともに、陸中海岸を代表する名勝「浄土ヶ浜」と市街地を結ぶ新公共交通の導入も視野に入れた、宮古ならではのコンパクトなまちづくりを展開することなどが考えられます。もちろん腹案はもちつつも、最も重きをおくべきは住民総意の尊重であるということは変わりありません。
平成24年度は震災復興の本格的なスタートの年となります。本市は震災復興基本方針において、「市民生活の安定と再建」「安全で快適な生活環境の実現」を復興に向けた基本的な考え方に位置づけています。その上で、特に重点的に取り組むべき方向として「すまいと暮らしの再建」「産業・経済復興」「安全な地域づくり」の3つを復興の柱に据えています。復興事業の推進にあたっては、なにより復興そのものを次の津波災害への最上の予防策と位置付け、市域の防災性や安全性の向上を図っていかなければならないと考えています。

絆の糸で紡ぐまちづくり

■宮古市魚市場初売り(2012年1月4日)

今日に至るまで、国や県、県内外の自治体、団体およびボランティアの方々から多大なご支援、ご協力をいただきました。改めて感謝申し上げます。
私たちは、支え合うことの大切さを実感し、そして全国の皆様とつながっていることを肌で感じ、その嬉しさに何度も涙しました。家族、仲間、地域、そして全国といった幾重にも重なり合う人と人との絆。今日に至るまで無数の絆の糸で結ばれた私たちは、明日からまた築かれる絆を、決してほつれることなく、切らすことなく大切に紡いで行こうと思います。
東日本大震災を経験した私たちは、否応なしに歴史の生き証人となりました。
あの悲しき史実を再び刻むことがないまちづくりを進め、活気・笑顔あふれる宮古を一日でも早く取り戻すことが、私たちに託された使命であると切に感じます。
今日も一日が始まりました。3月11日のことがまるでなかったかのように、光輝く朝日が平穏な宮古湾の水面を照らしています。明るい明日が迎えられるよう、私たちはこれからも海と向き合っていきたいと思います。
「宮古市は必ずや復興いたします」
この言葉を合言葉に、市民一丸となって昂然と前を向き歩んで行こうと思います。(了)

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