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オーシャンニューズレター

第26号(2001.09.05発行)

第26号(2001.09.05 発行)

海でつながる災害時相互援助協定

岡山県玉野市長◆山根敬則

瀬戸内海に面する岡山県玉野市は、阪神大震災の教訓から大規模災害が発生しても港湾機能がマヒしないように、耐震性を高める港湾整備を推進している。また、同じく港湾都市である東京都中央区との間に災害時相互援助協定を結び、被災者の救出や救援物資の提供等について互いに協力し合う防災態勢を築いた。

阪神大震災の教訓を活かした港湾整備

■玉野市と周辺図
玉野市と周辺部

玉野市は、瀬戸内海東部いわゆる東備讃瀬戸と呼ばれる海域に面し、明治以来宇野港と対岸の高松港とを結ぶ宇高連絡船の玄関口として、また造船や精錬業によって発展してきた町である。昭和63年の瀬戸大橋架橋に伴い、連絡船は廃止されたものの今なお20分間隔でフェリーが昼夜を問わず高松向けに運航しており、加えて近くの小豆島、直島などとも頻繁にフェリー・渡船が往来している。

架橋前は物と人(旅客)の流れが混在していた宇野港であるが、貨物専用バースを新しく他の地区に整備する一方、運輸省(現国土交通省)策定の"ポートルネッサンス21"計画に基づき、連絡船桟橋地域を海上旅客が往来するいわゆる「人流」港として位置づけ、大型外航クルーズ船岸壁の整備やフェリーターミナルの近代化を進めている。玉野市の町作りは今後も海を活かした、世界に開かれた港湾文化都市造りが基本と考えている。

平成15年を目途とする人流港湾の整備計画策定に当たって、腐心したことの一つは大規模災害発生時にも港湾機能を維持できる設計強度を持たせようとすることであった。これは阪神淡路大震災直後、玉野市から派遣した救援物資や消防隊員や作業車が道路状況の混乱により被災地到着が遅延し、このため宇野港から神戸港への海上輸送に切り替えたものの、神戸港は震災のため壊滅的な被害を受け、港湾機能がほとんどマヒしていることが分かり、改めて、耐震性のある港湾施設の必要性を認識した経験によるものである。

港湾都市間の災害時相互援助協定

「災害時相互援助協定」の締結式
中央区と玉野市の「災害時相互援助協定」の締結式。むかって右が矢田美英・中央区長、左が筆者

近年、地方分権の推進により、都市の自主性や個性が求められ、都市間では、互いに切磋琢磨して発展を図るために、姉妹都市縁組や都市間交流が盛んに行われるようになってきた。そういった流れの中で、たまさか玉野市に事業所がある企業数社の本社が東京都中央区にあることや、距離も700km以上離れており同時罹災の可能性が低いこと、また、災害時に道路が使用不能になっても、岸壁がしっかりしていれば、晴海港と宇野港を使い、救援物資や救助隊を海上輸送できると考え、平成8年に東京都中央区との間で災害時相互援助協定を締結した。

主な内容は、被災者の救出や一時収容のための施設の提供、救助活動用の車両や食料、飲料水、医療施設等の復旧のための資機材の提供、そして医療職、技術職をはじめとする職員の派遣等である。この協定締結が縁となり、行政のみならず市民レベルでの交流にも発展している。

私は、自治体の基本的な責務は、住民の安心や安全を確保することと考えているが、それと同時に地方分権の推進が言われている現在、大都会の中心地である東京都中央区と自然に溢れた地方の小都市である玉野市が、互いに機能を補完し合あうことにより、両住民の福祉向上が図られるのではないかと考えている。(了)

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