Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第238号(2010.07.05発行)

第238号(2010.07.05 発行)

英虞湾における新しい里海の創生に向けた取り組み

[KEYWORDS] 真珠/里海/沿岸域の総合的管理
三重県志摩市産業振興部水産課 水産資源係長◆浦中秀人

志摩市は古くから「御食つ国」と呼ばれ、水産業を中心に栄えてきたが、近年では生産性の低下により地域経済に大きな影を落としている。
英虞湾を中心に「新しい里海」の創生をテーマとした総合的な沿岸域管理の体制を構築し、地域の産業と海の環境との持続可能な共生関係の再生を図って行きたいと考える。

真珠のふるさと英虞湾

志摩市は伊勢湾の湾口にある三重県志摩半島に位置し、人口約5万8千人、面積約180km2の小さなまちです。常緑の広葉樹に覆われた丘陵と複雑に入り組んだリアス式海岸や白砂青松の海浜が織り成す風光明媚な景観が美しく、市の全域が伊勢志摩国立公園に指定されています。


三重県志摩市の英虞湾。湾内は複雑なリアス式海岸となっており、大小50ほどの島が浮かぶ。

複雑な海底地形となっている沿岸域は様々な魚介類を産出する好漁場となっており、古くから若狭、淡路とともに朝廷に水産物を献上する地域であることを示す「御食つ国(みけつくに)」と呼ばれてきました。また市の中央に位置する英虞湾はもともと天然真珠の産地でしたが、1907年に御木本幸吉らにより真珠養殖技術の基礎が確立されて以降、真珠養殖は地域の経済を支える基幹産業となり、ピーク時には年間160億円の生産金額がありました。
しかし1960年代から貧酸素水塊や赤潮の発生などにより徐々に生産性が低下し、近年では世界的な経済不況による価格の下落もあって、経営存続が困難な状況となっています。生産性低下の原因は、1950年代に過密な真珠養殖が行われ、海底にアコヤガイの糞や付着生物の死骸が大量に沈降したことや、1960年代後半に一般家庭や観光施設からの排水が増加したことと考えられてきました。このため地元の自治体では、英虞湾の環境改善対策として合併処理浄化槽の推進や下水道の整備のほか、海底に堆積した有機物の浚渫事業など汚濁物質量を削減するための施策を展開してきました。その結果、英虞湾の水質については一定の改善効果が見られるようになりましたが、依然として貧酸素水塊の発生が続いており、抜本的な生産性の回復には至っていません。

きれいな海から豊かな海へ

英虞湾における政策の転換点となったのは、2003年から5年間行われた三重県地域結集型共同研究事業、通称「英虞湾再生プロジェクト」です(本ニューズレター182号参照)。この事業の成果として、英虞湾の環境問題を解決するためには、陸から流入する負荷の削減だけでなく、過去に消失した干潟の再生などにより劣化した沿岸域生態系を再生し、生物生産性の回復と、漁業による物質の取り上げなどを推進する必要があることが指摘されました。単にきれいな海を目指すのではなく、産業利用が可能な「豊かな海」を目指し、経済的にも持続可能な形で海の環境と人との共生を図ること、つまり古くから日本の沿岸域に成立してきた「里海」という共生関係を再生することが必要であると言えます。
高度経済成長にともなう沿岸域の開発にともない、全国の沿岸各地で様々な形態で成立していた「里海」という共生関係が崩壊して生態系の劣化が進みました。その結果、水産資源の減少などの問題が起こったことから、漁場の造成や種苗放流など栽培漁業の推進による水産資源の回復に向けた取り組みが進められ、最近では、植樹や藻場・干潟の再生活動など生態系の回復を図る事業が行われるようになってきましたが、もはや漁業者の活動だけで里海を維持できる状況ではありません。英虞湾のような閉鎖的な内湾域の環境は、陸域の生活や産業活動の影響を特に強く受けることから、こうした海域で里海を創生していくためには、沿岸域のすべての関係者が、環境保全と産業利用の両面から理想的な海域像を共有し、その創生に向けた一体的な施策の調整を図る「総合的な沿岸域管理」の体制を構築することが必要となっています。

総合的な沿岸域管理による「新しい里海」の創生に向けて

志摩市では、2008年3月に自然再生推進法の枠組みを活用し、地域の多様な関係者が参画した「英虞湾自然再生協議会」が設立されており、英虞湾の現状についての共通認識の形成や科学的な根拠に基づいた課題の解決に向けた関係者間の連携が図られてきましたが、昨年11月に市長と担当職員がフィリピンで開催された東アジア海洋会議に出席したことをきっかけとして、総合的な沿岸域管理の必要性について認識を新たにし、市が中核となった取り組みを進めるため、本年5月に庁内の関係部署を横断する「志摩市里海創生プロジェクト」を設立しました。今後は志摩市の総合計画に沿岸域の総合的管理を進めることを明記し、沿岸域の管理計画を策定することを視野に入れ、新しい里海の創生に向けた理念の共有と関連事業の調整を図る体制の構築を進めることとなっています。
具体的な取り組みとして、海洋政策研究財団と共同で海の健康診断の手法を活用した里海としての評価指針の作成や、環境省の里海創生支援モデル事業による海岸生物調査など、市民参画によるモニタリング事業を実施しています。また、将来的に取り組む事業として、英虞湾内に点在する干拓堤防の水門開放による調整池の干潟再生試験が三重県水産研究所により実施されており、その成果が注目されています。

おわりに

1992年にリオ・デ・ジャネイロで開催された地球サミット以降、地球温暖化にともなう気候変動や生物多様性の喪失など、持続可能な社会の実現に向けた問題についての議論が行われています。これらの問題解決には、地球規模で取り組むべき課題と、地域ごとに取り組まなければ解決できない課題があり、里海の創生は、地理的・社会的にゾーニングされる海域ごとに取り組むことが必要な課題です。英虞湾は、平成の大合併により集水域のすべてが志摩市となったことから、単独の自治体で対策に取り組むことが可能となりましたが、これまで制度化された事業を実施するだけの機能に特化してきた地方の自治体職員にとって、独自の政策立案や部局間の連携といった作業は容易なものではなく、沿岸の海域や海岸・河川などを管理する三重県の関係部局との連絡調整など、沿岸域の管理を行うためには行政機構上の課題も多く残されています。また市民や関係団体の理解と連携を図るための啓発活動もさらに重要になってきます。
全国の自治体で、今後どのように地域を維持していくのかが大きな問題となるなかで、志摩市では「稼げる・学べる・遊べる、新しい里海」の創生をテーマに海洋資源の持続的な活用を図り、「御食つ国・志摩市」を次世代に引き継いで行きたいと考えています。(了)

第238号(2010.07.05発行)のその他の記事

Page Top