Ocean Newsletter
第238号(2010.07.05発行)
- 横浜国立大学環境情報研究院教授◆松田裕之
- 三重県志摩市産業振興部水産課 水産資源係長◆浦中秀人
- NPO法人鞆まちづくり工房 代表理事◆松居秀子/東京大学大学院工学系研究科博士課程◆P. Vichienpradit
- 東京大学大学院理学系研究科 研究科長・教授◆山形俊男
鞆の歴史から瀬戸内海の観光まちづくりを展望する
[KEYWORDS] 瀬戸内海通商史/観光まちづくり/港町ネットワークNPO法人鞆まちづくり工房 代表理事◆松居秀子
東京大学大学院工学系研究科博士課程◆Pornsan Vichienpradit
瀬戸内海は古から人々が行き交う交通の要衝であった。
鞆(とも)は瀬戸内海文化を支えてきた港町のひとつであり、長い歴史を反映したまちづくり資源が数多く眠っている。
瀬戸内海をまちづくりの広域連携の場として、行政枠を超えて地域振興を図ることが望まれる。その糸口が観光まちづくりにある。
鞆は古から海の交叉点

朝鮮通信使の「日東第一形勝」
大伴旅人が万葉集に歌を残し、遣新羅使が寄港地にした鞆(とも)の浦はほぼ瀬戸内海の中心に位置し、潮の流れがここで東西に分かれる。山に囲まれた湾の特徴的な地形を活かし、人々は古くから潮待ちの港として利用してきた。鞆がその歴史で最も輝いたのは江戸時代である。当時は西国大名の江戸参府や、日本海・瀬戸内海回りのルートで北海道・大阪間を通商する北前船の寄港地として利用されて街は大いに栄えた。その間、波止場、雁木、船番所、常夜燈、焚場の5つの近世港湾施設が整備された。現存する町並みは元禄年間に整備されたものである。
鞆を訪れたのは日本人だけではない。江戸を目指す朝鮮通信使が1607~1763年の間に11回寄港していたのである。彼らは宿泊した福禅寺の對朝楼からの眺めを絶賛し、「日東第一形勝(朝鮮より東の世界で一番風光明媚な場所)」という有名な書を残した。このように、 天然の良港という地理的条件のもとで、様々な人々が寄港・通商等の行為を通じて交流してきた。鞆は数ある瀬戸内の港町の中でも、豊かな歴史が重層する特別な交流の場であった。
観光地としての瀬戸内海
明治以降、鉄道網の発達の陰で、海運は少しずつ重要性を失い、鞆の寄港地としての役割は低下していった。そうした状況下、1934年の国立公園指定がきっかけに、瀬戸内海は海運の海から、一大観光地としての海としてその位置づけが変わったのである。こうして瀬戸内海を大型船舶で遊覧するような観光スタイルが提唱されるようになり、記録によれば大阪-鷲羽山間を36時間で往復する遊覧船や、週末限定でありながらも大阪から出発して瀬戸内海を一晩かけて観光できる遊覧船の就航が見られた。

太子殿より鞆の港湾を望む風景
瀬戸内の観光地・景勝地の対象となるいくつかの港町には「保勝会」が誕生した。この保勝会は市町村や地元の民間有力者で設立された組織で、観光業の展開のために、地域の歴史を掘り起こし、眠っていた史跡・古跡を修復・整備することに取り組む団体であった。鞆でも1932年に「鞆の浦保勝会」が設立された。設立を仕掛けたのは森下仁丹で財をなした森下博である。この鞆の浦保勝会の功績として、鯛網の観光化が現在に至っても広く知られているのである。
このように、比較的早い時期から瀬戸内の海や街は観光対象地として世間から捉えられていたが、残念なことにこの認識は第二次世界大戦で途絶えてしまった。とはいえ、戦前の段階で、観光まちづくりに繋がる歴史・自然・文化に関する様々な資源の重要性が、地元住民によって認識されていた事実は大きい。
過去を引き継いだ遺産は「観光まちづくりの資源」
鞆には、その長い歴史からまちづくりに活用できる資源が至る所に存在している。言い換えれば、街中にポテンシャルがあり、街に関わる人たちによる再発見を待っていたのである。例えば、前述の近世の港湾施設については、現在でも5点全てが残存している港町は鞆だけである。他に、海運が衰退した時期に盛んに行われ始めた特産の薬酒「保命酒」が現在でも旧市街で生産されていることや、戦後に街の一大産業となった鉄鋼業が数を減らしつつもまちの産業として残っていること、そして漁業も依然として行われるなど、生業の面でもまちづくりに活用できそうな資源は少なくない。
この資源を活かした最近のまちづくりの動向としては、1980年代の鞆を愛する会に始まって、「龍馬のいろは丸」をテーマに地域おこし活動があり、2000年代には古い町家の再生を試みるわたしたち「鞆まちづくり工房(2003年設立)」※の活動が見られる。鞆まちづくり工房では、鞆の歴史環境の素晴らしさを次世代に伝えるべく、町並み、港湾施設、伝統産業という様々な遺産を活かしたまちづくりを提案・実施し、「鞆の浦シンポジウム」の開催、空き家バンクの促進、瀬戸内の港町ネットワークの推進等の様々な活動を行ってきた。こうした活動の内容を見ると、人口減少に起因する問題に対処しつつ、まちの魅力や矜持を蓄積された資源から導こうとするものであった。
鞆は昔から観光地としても名高い。アニメーション映画「崖の上のポニョ」のモデルになったことや、埋め立て架橋計画問題によってより注目されるようになり、観光客数がここ最近著しく増えている。このようにして、今後のまちづくりは、街の歴史・文化を大事にしながらも、住民の暮らしの充実を図りつつ、観光で活気を生み出すようなものにしなければならない。すなわち、観光まちづくりを真剣に考えて行くべきだと思うのである。
そして、ネットワークを繋ぐ時代へ
港町はそれ単独で成り立つわけではない。近隣の港湾都市と地理的にも文化的にも分ち難く結びついている。したがって、それぞれで資源を活かしたまちづくりを考えるよりは、ネットワーク全体で捉えた方がより一層効果的なものが生まれるのかもしれない。
実際にいくつかの試みがあった。1991年には行政レベルの「瀬戸内・海の路ネットワーク推進協議会」が設立され、シンポジウム開催や各港町に関する情報発信のためのホームページ整備等が行われた。民間のまちづくり団体の間でも2004年に「港町ネットワーク・瀬戸内」が立ち上げられ、情報交換等を積極的に行っている。2006年に私たちは鞆の浦を核とした瀬戸内海を世界遺産に登録する可能性を検討する「瀬戸内海を世界遺産にしよう会」を設立した。今は個々の街の枠を超え、歴史ある港町を海で結び、相互の繋がりを尊重して、瀬戸内海全域の自然・歴史・文化を共同遺産として大事にしなければならないのである。(了)
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