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オーシャンニューズレター

第20号(2001.06.05発行)

第20号(2001.06.05 発行)

「えひめ丸」事故、もうひとつの視点

海上交通システム研究会幹事◆寺田政信

「えひめ丸」の事故は、アメリカ海軍のミスにより若者を含む9名が行方不明になった痛ましい事故である。日本側の新聞記事、インターネットの情報は、行方不明者に同情を寄せるなどの心情的なものが多いのはやむを得ないが、衝突事故を起こしたアメリカの政治システムや事故の後の救助活動、「えひめ丸」船体引き揚げに関する日本人とアメリカ人の価値観の違いなどに言及したものは少ない。

USCGの敏速な救助活動

事故が起こってから、USCG(アメリカ沿岸警備隊)のホームページには、救助活動の状況が淡々と掲載されていた。USCGと米海軍共同の敏速な救助活動によって、少なくとも衝突事故で海上に放り出された「えひめ丸」乗組員全員が重傷者もなく救助された。行方不明者9名は「えひめ丸」船内に閉じこめられたと判断せざるを得ないであろう。

USCGと米海軍のこのような敏速な救助活動はそれなりに評価できると考えられる。

以前、ヨットマンでもある神戸商船大学の松木名誉教授から、アメリカ沿岸でヨットが遭難したとき、直ちに救助にきてくれたUSCGに謝意を表すると、「TAX PAYER(納税者)への当然の奉仕義務さ」といって立ち去っていく、と聞いた記憶がある。

ところで、救助活動で二つの事柄が話題になった。

一つは衝突事故を起こした潜水艦の乗組員が救助活動に参加せず傍観していたという話題である。これは、基本的には、救助設備を有しない潜水艦側で下手に救助活動するより信頼できる救助活動専門のUSCGに任せた方が効率的で救助もスムーズにいくと判断したものと思われる。潜水艦の仲間である海軍がUSCGに協力して救助活動をしていたのも傍観の理由かもしれない。日本人の心情からは衝突事故当事者が傍観していたのはけしからんと思うのもやむを得ないかもしれないが、この場合は、上記のような現場での判断がなされたものと思われる。したがって、感情的に批判するのは必ずしも当を得たものとはいいがたい。衝突事故が沖合で発生し、USCGの救助活動が遅れる場合であれば、当然、潜水艦が救助活動を行うべきであろう。

もう一つは、USCGが救助活動を終了したいと言い出した際の話題である。これも限られた事故海域で10日以上も捜索して行方不明者が発見できなかったので、これ以上捜索しても発見できないだろうとの合理的判断によるものと推察される。しかし行方不明者の親族、宇和島水産高校からは捜索延長の願いが出され、これは受け入れられ捜索が延長された。捜索延長を受け入れたUSCGと米海軍は日本的な心情を汲み取ってくれた点で評価できると思う。

このように、ハワイの現地ではそれなりの対応をしてくれてはいたが、他方でアメリカのメディアは「えひめ丸」が漁業練習船であったにもかかわらず単に"Fishing Boat"と英訳し、あたかも日本漁船がパールハーバーの近くで年少の船員を使ってトロール操業をしていたかのごとき印象を一般市民にあたえていたのは残念である。

民間人(=納税者)への間違った奉仕義務が招いた衝突事故

行政官が納税者に奉仕活動をするアメリカの民主的なシステムは素晴らしいと思われるが、間違った方向で実施されたのが今回の衝突事故の背景にあるのではないかというのがもうひとつの視点である。

建造から5年しか経っていない最新鋭原子力潜水艦に民間人を乗せ、しかも緊急浮上の体験をさせるというのはアメリカでしか考えられないシステムであるが、これが民間人(=納税者)への情報開示の一つであるとすれば、安全確認の体験をじっくり教育することこそが最も大事なイベントであるべきである。民間人もそれを要求すべきだったが、どうも緊急浮上のスリルを味わせるのが乗船体験のメインイベントになっていたのではなかろうか。海軍の民間人乗船体験のマニュアルにも、潜水艦の性能を知ってもらうことに力点が置かれていたのではなかろうか。せっかくの素晴らしいシステムも民間人(=納税者)の側にある安全で日常的な航行とは異なる体験の(潜在的)欲求に迎合した体験乗船ではまったく意味がないばかりか、むしろ事故をもたらす有害なシステムになってしまったことを、アメリカ軍関係者も、一般市民も理解してもらいたいものである。ワドル元艦長も、海軍上層部からの指示、狭い艦内で慣れない民間人を指導する乗組員、帰港時間を気にしながらの体験乗船、そんな混乱のなかで、最も大事な安全確認を通り一遍の報告でパスさせてしまったことを悔いているものと思われる。どのような理由があっても、衝突事故の責任の免除にはなりえないからである。

家族への謝罪の中での一生重荷を背負っていくという発言は、この責任を十分感じていたものと思われる。

民間人(=納税者)も情報開示やデモンストレーションを要求することはいいとしても、安全を最優先に行使することを今回の衝突事故の反省としてほしいものである。

今回の「えひめ丸」の事故はアメリカのシステムが悪く働いた悲しい事故であると総括できる。

「えひめ丸」船体引き揚げ問題

この問題で、日米の文化、感性の違いが大きく浮き彫りになった。

「えひめ丸」事故関係者は、船に眠っているであろう行方不明者の身元確認と亡くなっているであろう亡骸の収容が目的であって、船体そのものの引き揚げは問題ではなかったはずである。ところが、身元確認がなされるまで亡骸と呼ぶことがはばかられ、遺体収容の要求が、船体引き揚げ要求のかたちで強く主張された。これに対して、何千万ドルもかかる船体引き揚げにアメリカ側から反論がでてきた。こうした経緯のなかでは、日本人のもつ亡骸への想い、こだわりを十分説明できなかったのは残念である。

戦後半世紀経ったいまでも戦友の遺骨収集団が出かけるほど、日本人の亡骸への想いは強い。一方、アメリカでは、海で亡くなり、海底に眠っている霊には特別の尊厳が与えられるので亡骸を回収することにはこだわらぬ文化がある。こうした文化的思考の違いによる誤解は解けぬまま、アメリカはもっぱら、物理的な船体引き揚げ論に終始した。それでも船体引き揚げに前向きな結論を出したのは評価してよいのではなかろうか。

冒頭にも述べたように、この衝突事故はアメリカ海軍のミスによるもので、アメリカ側には弁解の余地のないものではあるが、事故の背景にある、アメリカの政治システム、救援活動の実体、亡骸への日米の想いのギャップなど考察することが、事故再発防止のためにも、価値観の違う民族が自己主張しつつ相手を理解し共生していくためにも、大切だと思う。このことが、いまだ海底に眠る若者を含む犠牲者への哀悼の意になると確信する。(了)

※海上交通システム研究会=1988年7月浦賀沖で発生した潜水艦と釣り船の衝突事故を契機に海上交通問題に関心をもつ種々の分野の専門家が集まって発足。現在は、海上交通問題をはじめ港湾設備、海上環境問題へもテーマを拡張、さまざまな視点から問題を提起し、これら諸問題の改善に貢献することを目的として活動を続けている。

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