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オーシャンニューズレター

第202号(2009.01.05発行)

第202号(2009.01.05 発行)

マラッカ・シンガポール海峡における新しい協力体制と民間の役割

[KEYWORDS]マラッカ・シンガポール海峡/航行安全/CSR(企業の社会的責任)
日本財団会長◆笹川陽平

2007年沿岸諸国の努力により航行援助施設基金が設置され、利用国だけでなく多様な民間からの自発的協力の受け皿を作ったことは非常に意義深い。
2008年11月「マラッカ・シンガポール海峡における航行安全と環境保全に関する国際シンポジウム」が開催され、マ・シ海峡が包含する大きな問題を国際海運業界が自らの問題として扱い、議論の場を設定したことは、マ・シ海峡の航行安全と環境保全、ひいては世界経済の安定に大きな一歩である。

新春のお慶びを申し上げます。

マラッカ・シンガポール海峡は、世界の石油供給量の3分の1および世界の貿易量の半分が船舶によって輸送される重要な国際海峡です。2008年11月24日マレーシアのクアラルンプールで日本財団と国際海運団体ラウンドテーブル(RT)※主催の「マラッカ・シンガポール海峡における航行安全と環境保全に関する国際シンポジウム」が開催されました。日本財団笹川会長が行った基調講演は、企業の社会的責任(CSR)の概念に基づく海事関係者の協力を同海峡の航行安全・環境保全の協力メカニズムに導入した日本財団のイチシアチブを語るものとして各界から注目されていますので、ここに掲載します。

マラッカ・シンガポール海峡(マ・シ海峡)の航行安全と環境保全

私は、日本財団や国際海運団体RTなどの民間が主導して、IMO、沿岸国の協力のもとにこのようなシンポジウムを世界で初めて開催できたことは、大変画期的なことであると考えます。特に、マ・シ海峡が包含する大きな問題を国際海運業界が自らの問題として扱い、議論の場を設定したことは、マ・シ海峡の安全航行と環境保護、ひいては世界経済の安定に大きな一歩であると考えます。
17世紀のオランダの法学者で国際法の父、H・グロティウスは400年程前に海の資源の無尽蔵性と海水の管理不能性を理由に海洋の自由を主張しました。その公海自由の原則のもとで人類は国際海上輸送の拡大とともに大きな発展を遂げてきました。しかし、今日の豊かな生活は世界規模の物流のうえに成り立っている一方、海上輸送の面から見ると随伴してさまざまな問題が起こっています。
生命が海から誕生し、また陸上の生活が海に依存しているにもかかわらず、人類の生活は、海を人間の貪欲な欲望のゴミ捨て場にしてしまう可能性があります。私たち人類は、環境への負荷を軽減し、生態系の劣化を抑え、「不安、危険」を取り除いた「安心、安全」な海を次の世代に受け渡していくことが求められています。
私たち、海を利用し海から恩恵を享受する者は、海は「有限」であることを認識し、海洋環境が悪化する前に、海を守り、海洋の変化に人類が適切に対応する活動が重要と考えます。今日のテーマでもあるマ・シ海峡の場合、環境保全と航行安全の確保を総合的に海洋の管理として進めていくことは、マ・シ海峡の重要性と特殊性から地域社会、世界経済の持続的発展上極めて重大であり、大きな課題のひとつであります。
皆様ご承知のとおりマ・シ海峡は年間延べ約9万4千隻の船舶が通航しており、スエズ、パナマ両運河をはるかに凌ぎ、世界に比類のないほどの輻輳海域であります。そして、マ・シ海峡の利用国数と通航量はアジア地域の経済成長と各国のエネルギー需要に伴い年々増加しています。国際海運業界が安全航行に関する様々な国際基準に対応する努力を行っていることは評価すべきことですが、海峡の交通量の増加により、安全上のリスクは高くなっています。
狭隘かつ長大なマ・シ海峡は、航海上の難所を多く有する国際海峡であり、航行上の難所であります。しかしながら、アフリカや中東からアジアに向けての原油、LNGの輸送に利用できる他の航路は、余分に時間とコストを費やすことになり、セキュリティ上の問題などからリスクも高いといえます。国際貿易上の大動脈であるマ・シ海峡の自由航行と効率性を維持することは、それ自体が「国際社会の共通の利益」であると言うことができます。しかし、それは、船舶が安全に航行できること、そしてその環境が安定的に維持されることが前提になります。

基調講演をしている笹川会長(写真:富永夏子)
基調講演をしている笹川会長(写真:富永夏子)
会場全体の風景(写真:富永夏子)
会場全体の風景(写真:富永夏子)


海峡利用者の社会的責任(CSR)

マラッカ・シンガポール海峡の航行援助施設を修繕しているところ(写真:高橋秀章)
マラッカ・シンガポール海峡の航行援助施設を修繕しているところ(写真:高橋秀章)

マ・シ海峡の主要部分は沿岸国の領海であり、航路標識の維持・整備などの海峡の安全管理はUNCLOSに基づき沿岸国の責任と負担において行われるべきものであります。しかし、通過する船舶航行の増大は、沿岸国が直接受ける利益に比べて、沿岸国の航行安全対策の責任を有する範囲は広く、費用負担は通常のレベルをはるかに超えて過重なものとなっています。これまでの沿岸国の努力だけではマ・シ海峡の危険で不安な状況を継続的に排除することは難しくなっています。
このような状況で、通航船舶が座礁、大規模な原油流出などの事故を起こした場合、大切な乗組員や乗客人身の生命を失うほか、船舶などの自らの財産、荷主の財産の損傷、信頼や評価の損失...。さらに海洋汚染を招いたならば、重要な「国際社会の共通の利益」であるマ・シ海峡の価値を著しく下げ、機能を混乱、麻痺させ、破壊する恐れもあります。そして、原油の流出の場合、海峡の再生に向かうには、過去の事例からもさらなる莫大な費用がかかることは言うまでもありません。もちろん、原油やLNGなど数百万人の生活に直結する積荷の場合、搬入する国の経済にも重大な影響を及ぼすことも考えられます。
そして、海峡の利用者が忘れてはならないのは、海峡の通航問題だけではありません。私は以前マ・シ海峡を設標船に乗って通航する機会を得ました。たくさんの何十万トンもの巨大タンカーが赤道直下でゆったりとした通航をするのを眺めながら驚いたのは、その合間を縫って非常に多くの漁船がこの周辺で操業していることと、移動のために横切る小型船の数の多さでした。つまり、マ・シ海峡というのは、沿岸地域に住む人たちにとっては、日々の暮らしがあり、その生活の場であるのです。沿岸地域の漁業や観光、ひいては地域経済に大きな影響を及ぼし、彼らの生活の場を脅かすこと、不安を与えることは誰にもできません。法律的解釈がどうあれ、マ・シ海峡はよそ様の庭先なのです。
もし、海峡の利用者が事故の危機を事前に回避し、有限なる海の持続可能な利用を求め、航行安全の確保を必要とするなら、沿岸国や利用国、他の民間との間で何らかの調整と協力が不可欠であります。それは、国境を越えて多様化し、大規模化する企業活動の影響が、その活動のプロセスにおいて、世界中の地域やその住民など様々な利害関係者と自主的に問題解決に当たる必要が生じているからです。
企業活動の結果、沿岸国や沿岸地域のコミュニティに負担をかけるのであれば、それらを軽減すべく努めることが大切です。そして、世界経済、地域住民に加え、自らも安心と安全を感じられ、信頼と評価を得られるように、事故が起きた後の「治療」より、起きる前の「予防」アプローチが必要なのです。
私はこれまでマ・シ海峡の利用者に対し、企業の社会的責任(Corporate Social Responsibility)の見地から国際的な役割を積極的に果たすように協力を求めてきました。今や欧米の企業ではCSRを「コスト」として認識せずに、長期的な利益創出に結びつく「投資」と認識し始めています。それは、マ・シ海峡の利用者が自らの責任で積極的な協力を行い、航行安全を確保することでマ・シ海峡がより安全に、活発に利用されることになれば、業界に対する世界の評価も高まり、より大きな利益を得ることになると言えるでしょう。これからの企業活動は、経済的利潤の追求のみならず、国際社会と国内社会において、安全、安心な環境を提供し、そして環境を守る存在である必要があると言われています。
このことを踏まえ、マ・シ海峡の直接的受益者である利用者の社会的責任を考えた場合、従来の慣れ親しんだ手法や既成の秩序・概念に基づいた取り組みをすれば、それで十分な責任を果たしたと言えるのでしょうか...。また、マ・シ海峡を通過利用する国際海運業界が、国際条約で要求される技術水準をクリアするために要する経費を費やすことで社会的責任を果たしたと言えるのでしょうか...。

予防的アプローチ

日本財団は、マ・シ海峡の航行安全、環境保全のため、これまで長きにわたり沿岸国と協力してまいりました。それにより、安全性が維持向上されてきたとすれば、これに勝る喜びはありません。しかしながら、民間の役割が強く求められているマ・シ海峡の将来において、もし、海峡利用者が自由な通過通航権を過大に評価するあまり、自らの航行安全を他人に任せてよいのだという考えを持たせ、またそれを助長したとすれば、私にとってそれは、これまでの賞賛と希望ある成果のかわりに、悲しみと失望が広がっていくことでしょう。
企業活動の場を海洋に求める国際海運業界は、従来の古い考え方や法律に基づく責任だけでなく、その企業活動が影響を与える海洋、ローカルコミュニテイの社会安全や環境保全に貢献する社会的な責任を負うと考えます。
重大な海難事故が起こってからでは遅いのです。危機に備えて時宜を得た支出を行うことで、事故による大きな損失、さらには沿岸地域への悪影響を防ぎ、安心を与えることができます。マ・シ海峡の利用者は、環境問題の予防的アプローチと一層の責任を負うアプローチの必要性から、自らの社会的責任を自覚し、自らが担うべき負担を後世に押し付けるべきではないのです。
具体的な協力分野を考えてみると、マ・シ海峡を利用する船舶は、航行援助施設を利用し、最も必要としており、また衝突などにより、施設に損壊をもたらす可能性も高いことから、航行援助施設の維持管理に協力することが最も適当な分野でしょう。
国際海運業界が社会的責任を負うことは長期的な利益につながります。このことは、今までのように費用分担(burden sharing)として議論するより、受益分を負担共有(benefit sharing)すると言うほうが適切であるかもしれません。そして、「国際社会の共通の利益」を見出し、便益分担することが、民間と沿岸国や利用国との協力体制をさらに進める鍵となっていくでしょう。

マラッカ・シンガポール海峡の新たな協力メカニズムの意義

左からICSポレミス会長、マレーシア オン運輸大臣、日本財団笹川会長(写真:富永夏子)
左からICSポレミス会長、マレーシア オン運輸大臣、日本財団笹川会長(写真:富永夏子)

2007年に沿岸国の努力によってマ・シ海峡協力メカニズムが構築されました。このメカニズムの中で航行援助施設基金が設置されたことは、利用国だけでなく、多様な民間からの自発的協力の受け皿を作ったことは非常に意義深いと思います。その努力は安全航行に向けた国際協力関係の構築に向け、大きな前進であったと大変喜んでおります。そして、このメカニズム、基金を実効あるものにするためには、マ・シ海峡の沿岸国、海峡利用国のほか、われわれやここにお集まりの民間の利用者に協力の輪が広がっていくことが必要です。マ・シ海峡は有史以来、地球上でも稀にみる東西南北の十字路であり、それ故に特異な歴史を持っていますが、これから歩む皆さんとの行き先は共有できるはずです。
このマ・シ海峡を舞台に構築される新たなメカニズムや、民間からの航行援助施設基金への自発的な貢献は、マ・シ海峡の持つ特殊性から他の海峡には、必ずしも適用できるものではありません。しかしながら、海の世界に限らず、さまざまな国際的諸問題の解決にあたり、ステークホルダーの自主的貢献の仕組みのモデルとして「良き前例」になる可能性があると考えています。
日本財団はマ・シ海峡における民間としての役割を積極的に果たすため、既に当初5年間にわたり必要な額の3分の1を拠出すると表明していますが、航行援助施設基金の体制が整えば、沿岸国が実施したアセスメントサーベイの結果に基づき2009年早々にも初年分(約2,500,000$)として拠出する予定であります。これが、マ・シ海峡の新たな未来を切り開くムーブメントを加速させるものであれば嬉しく思います。(了)

※ 国際海運団体ラウンドテーブル(RT)=BIMCO(ボルティック国際海運協議会)、ICS(国際海運集会所)/ISF(国際海運連盟)、INTERCARGO(国際独立乾貨物船主協会)およびINTERTANKO(国際独立タンカー船主協会)の4団体。

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