Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第191号(2008.07.20発行)

第191号(2008.07.20 発行)

海に想いをよせて

[KEYWORDS] 自然環境/森川海/海洋教育
女優◆岸 ユキ

子どものころに歩いた砂浜も泳いだ海も今はなく、郷里へ帰っても海は遠い存在になってしまった。
四面を海に囲まれた日本は海洋国家のはずなのに、人々の生活や人々の意識のなかから、いつしか海は遠いところに離れてしまったように思う。
人は自然のなかで生活することによって、初めて人にとって大切なものをみつめ直すことができる。
いま一人でも多くの人が暮らしのなかで海を体感できる環境を守ることが重要であると思う。

海との出会い

幼い頃、私は海が大好きであった。夏休みには一日中海で過ごした。というのは、私の両親は、子供をどこかへ遊びにつれて行くなどということはまったくなく、仕方なしに自分で自分のやりたいことをみつけていたのだと思う。兵庫県の芦屋市には、海水浴場があり、毎年夏の間開校する水練学校へ通っていた。朝の海は静かで、ちょろちょろと打ち寄せる波打ちぎわを歩くと、とても心が落ちついたものだ。しかし午後には波が高くなることが多く、台風の海の恐さも経験した。小学校四年生の夏には五千メートルの遠泳にも参加した。平泳ぎで列を作り、天馬船に乗せられた太鼓の音にあわせゆっくりと泳ぐ。いつもは行ったことのないほど沖まで泳ぎ、Uターンして戻ってくるのだ。その間二時間ほど。時々飴をもらって口に入れてがんばった。あの時、海から見た陸地の風景は忘れられない。松林のある砂浜が遠く小さく見え、そのむこうにたくさんの家や教会、学校、そして芦屋川の河口もみえた。背景に広がる六甲山の山並みはとてもやさしかった。結局六年生で卒業試験に合格し、師範の免状をもらい次の年から指導員となったのだ。
ただその後、芦屋の海はだんだんと水の汚れもひどくなり、埋め立てられ新しい芦屋の町が誕生した。そして水練学校もプールになった。たしか、私が泳いでいた頃、波打ち際に黒い重油のボールが流れているのが見えたり、泳いだ後、顔にねっとりとした黒い物がついたことを覚えている。私が歩いた砂浜も泳いだ海も今はなく、郷里へ帰っても海は遠い存在になってしまった。

生活の原点を見つめ直す

海上保安庁観閲式(写真:丸山 直)
海上保安庁観閲式(写真:丸山 直)

四面を海に囲まれた日本。海洋国家のはずなのに、人々の生活の中から海への意識が薄れていったような気がする。近年、随分かわってきたとは思うけれど、一般の人たちが近づけない海辺がまだまだ多いような気がする。海外旅行も盛んになり地球も狭くなったようだが、飛行機を利用する人が多く、日本が島国という感覚は薄れている。時は流れ、いつの日からか、人々は便利で快適な暮らしを送るようになった。プライバシーが尊重され、住宅は密閉型、自分たちさえ良ければよいといわんばかり、季節感などない暮らしがなされている。特に都会の子供たちは、海どころか、日常の中で土に触れることもほとんどない。海水浴など砂が水着に入って気持が悪い汚いという子もいると聞く。
食物では、冬の寒い時でも夏の食物であるきゅうりやトマトなどが、あたり前に食されている。夏野菜は身体を冷やす役割があるのだ。冬は大根や山芋、れんこんなど根菜類がおいしくなり、これらは身体を暖めてくれる。室内の温度がいつも快適だから一年中なんでもありなのかもしれない。季節にあった旬の食物があるのに、一年中何でも売っていて食べられていることもおかしいと思う。
私は十五年前から、山梨県韮崎市で農業のまねごとをしている。二百坪ほどの畑で、季節の野菜のほとんどを作っている。ほうれん草、小松菜、春菊といった葉菜類。そら豆、えんどう豆、大豆などの豆類。さつま芋、じゃが芋、里芋といった芋類。大根、蕪、なす、きゅうり、トマト、ししとう、おくら、かぼちゃなど三十種類近くはあるだろうか。完全無農薬野菜で除草剤もいっさい使わず作っているので大変だ。夏には雑草との戦いだし、虫に食われ全滅する野菜も時にはある。自分で野菜を作るとその大変さもわかるし、何より季節がはっきりしている。旬というものの短さ、貴重さも思う。昔の人たちは畑に野菜がなくなる冬のため、塩漬けやさまざまな保存法で工夫し食物を食していたのだ。そして何よりも自然への感謝の気持ちを持っていただろう。
今日本は多くのエネルギーを海外に依存している。食物の自給率が三十九パーセントというなか農作物まで大量に輸入している。ということは結局農作物ができるまでにかかる貴重な水をはじめ多くのエネルギーをも輸入しているということだ。私が農業を始めたのも、あまりに便利になる世の中で、少し原点をみつめ直す必要性を感じたからだ。

山、森そして海

夫と鍬で畑を耕していると自然の偉大さを感ぜずにはいられない。種をまいても雨が降らなければ芽が出ない。太陽がなければ育たない。自然は大きく、やさしくとても厳しい。日本の森林のことを考えてみても、今日本の山林は荒れ放題なのだ。切り時の杉や檜などたくさんあっても切る人がいない。その一方で世界の樹木は伐採され、とうとう世界最大の森林地帯、極東ロシアの樹木が伐採されている。日本は約七十パーセントが山林の国で樹木がいっぱいあるのに、木材輸入国では中国と並んで有数の国だ。地球の財産が切られ、日本にもたくさん入って来ている。樹木が伐採され続けている極東ロシアから流れる水の影響で、世界最大の漁場オホーツク海※1に異変が起きているともいわれている。樹木がたくさんある日本で、できるだけ自国の樹木を使って行くことが大切である。荒れ放題の日本の山林も、どんどん需要が増えると山に手が入り、活性化するだろう。

海を体感できる環境を

私は山に囲まれた山梨県で畑を耕しながら、山と海がつながっていることをよく思う。現在、海上保安庁の海上保安友の会※2の理事をしている関係で、毎年東京湾で開催される観閲式では、巡視船に乗って東京湾に出る。また北海道から沖縄まで、いろいろな海に触れる機会もあるなかで、海にはそれぞれの顔があることを思う。幼い頃の私には、日々暮らしのなかで海があたり前に存在していた。一人でも多くの人が暮らしのなかで海を体感できる環境が大切であると思う。(了)

※1 世界三大漁場=北西太平洋漁場(三陸沖、日本海、東シナ海、オホーツク海)、北東大西洋漁場(北海、ドッガーバンク、グレートフィッシャーバンク)と北西大西洋漁場(ニューファンドランド島、グランドバンク)。

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