Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第167号(2007.07.20発行)

第167号(2007.07.20 発行)

インタビュー日本人と海―人類進化の視点から

国立民族学博物館顧問・初代館長、京都大学名誉教授◆梅棹忠夫
聞き手=本誌編集代表、総合地球環境学研究所副所長●秋道智彌
(平成19年6月15日収録)


海洋基本法ができたことはわが国にとってエポックだが、海のジオポリティックスがうまく成立するかを懸念する。
人類は海を征服したという人もいるが、そもそもいろいろな未解決の課題があり、
海洋開発だけを見てもとても陸上のレベルではない。
人類は海のことを千年単位で真剣に考えなければならない。

海洋博と日本の海洋文化研究

―お忙しいなか、本日はありがとうございます。じつは昨日まで沖縄で太平洋諸国の人たちにサンゴ礁の資源管理の講義をしてきましたが、ちょうど宜野湾で太平洋学術会議が行われていました。

「私は1957年に太平洋学術会議がバンコクであった時に出席しましたよ」

―今から50年前ですね。何をテーマに講演をされたのですか。

「"Japanese Expeditional Activities in Biological Sciences in Postwar Asia"という題で、戦後日本がアジアでおこなった探検を、回想をまじえて紹介しました」

―講演はどうでしたか。

「評判がよく、拍手喝さいでした。終わったあとで外に出たら、外国の学者にとりかこまれて質問攻めにあいましたね」

―当時、すでにクストーが海洋の調査を始めておりましたが、日本にとって探検とは山や砂漠だったのでしょうか。

「当時は山でしたね。日本山岳会、AACK(京都大学学士山岳会)がどちらも活動的でした」

―1957年は民博(国立民族学博物館)ができる20年前です。そして民博は、今年11月17日で開館30周年です。

「夢のように過ぎてしまいましたなあ」

民博初代館長の梅棹忠夫氏(左)と本誌編集代表の秋道智彌。

―僕も開館の年に採用され、カヌーの展示をやりました。

「チェチェメニ号ですね」

―そうです。1975年にサタワル島から海洋博※1の会場まで海を越えてきたカヌーです。

「あれでミクロネシアから沖縄までやってきたとは驚きました」

―海洋博では、梅棹先生はどのようなお仕事をされていたのですか。

「海洋博の企画は、たしか70年万博※2の翌71年から動き出し、私は72年からテーマ委員でした。海洋文化館は私と大島襄二(関西学院大学名誉教授、島嶼地理学)が指導を頼まれ、ふたりで70年万博の例にならって海洋文化館をつくるときも民族資料の調査収集をやろうと考えたのです」

―20名くらいの若手人類学者が太平洋各地に派遣され、収集した海洋文化に関するモノが海洋文化館の展示物になりました。僕は、戦後、人類学のなかで海洋文化研究が花開く礎ができたのは、梅棹、大島両先生らの指導の賜物と思っています。

「初めて体系的な海洋研究、とくに海洋民族の人類学的研究を始めようということでした。それまでは陸の研究が中心で、海なんて誰もみていませんでした。海洋研究といえるほどのものはなにもなかったのです」

―しかし、海洋博の閉幕後、ほとんどの施設がつぶされました。海洋文化館もなんとか残そうという動きがありましたが......。

「海洋文化館は海洋民族学研究の恒久施設として活用すべきで、場合によっては民博の分館にと思って、なんども国と話をしましたが、けっきょく海洋文化館はやっかいもの扱いされてしまいました」

民博オセアニア展示場のチェチェメニ号 (サタワル島、ミクロネシア連邦)。全長8mで、大海原をわたって日本へきたことが信じがたい。(写真提供:国立民族学博物館)
国立民族学博物館(みんぱく・民博)は、民族資料の収集・公開だけをおこなうのはなく、民族学・文化人類学に関する調査・研究をおこなう研究所である。なお、開館30周年を記念した特別展「オセアニア大航海展-ヴァカ モアナ、海の人類大移動」が9月13日(木)~12月11日(火)まで開催される。
●国立民族学博物館
住所:大阪府吹田市千里万博公園10-1
開館時間:午前10時~午後5時
休館日:毎週水曜日
http://www.minpaku.ac.jp/

―当時の政府には、その後、沖縄が東アジアで占める位置や海の重要性などはまったく見えなかったということですね。

「せっかく75年に海の万博をやっておきながら、その後の海を中心とした世界戦略がまったくありませんでした」

―ところが現在、海底油田や天然ガスを求めて、中国は東へ南へと勢力を伸ばしてきて脅威になっています。

「国際情勢がどうなるかなんて日本政府には見えていなかったし、太平洋については何の考えもありませんでした。ジオポリティックス、つまり地政学から考えた政策づくりがまったくなかったのです」

―奇しくも今、ホクレアというカヌーが日本にきています。このカヌーは古代ポリネシアの航海を復元するためのもので、いまも世界中の海を回っています。あらためて日本を含めた太平洋の中の海の問題を考えてみるには、いい機会かもしれません。

海が嫌いな日本人と海洋基本法への懸念

―今ごろ日本にとり、海は重要だなんて言うのは遅きに失したのではないでしょうか。

「ほんとうですね。この50年はなんだったのでしょう。海になんにも関心、注意をはらっていませんでしたね」

―7月20日の海の記念日に、海洋基本法が施行されます。先生は、この海洋基本法にどのような思いを抱かれていますか。

「こうした法律ができたことは結構なことだと思います。ただし、法律があっても、それをどう運用するかが一番大きな問題ですね」

―政策実現の努力と準備の問題ですね。

「準備とともに心構えが大事です。だいたい日本人は大陸志向で、じつは国家も国民も海のことが嫌いなんですよ」

―嫌いなんですか。

「嫌いというか、とにかく海に対する関心が薄く、思い入れが乏しい。だいたい日本人は海洋民族と違います。大陸についてはたくさん研究もやったし、ひどい戦争もやった。海でも戦争をやったけれど、海のあつかいはお粗末でした」

―いい海軍があったんですけど、陸軍におされて。

「海が陸に屈してしまった。これほど海のことをないがしろにして、海洋立国なんてことが言えますか?」

―おっしゃるとおりです。日本にとって、海は海運もありますが、魚や資源を獲るだけの場となっています。そして、魚の獲りすぎで世界から批判をあびている。とくに鯨の問題は深刻で、この5月にアラスカで行われた国際捕鯨委員会(IWC)で、日本の提案した沿岸小型捕鯨再開案が否決され、IWCの脱退さえ政府は考えているようです。

「文化人類学的な面からみても、鯨をめぐる日本とヨーロッパの考えはいつも対立しています。ヨーロッパの文化では鯨は大事なものとして伝説にもなっています。だから西洋人は鯨を殺す日本人をけしからんと言うわけです。ところが、日本では伝統的に捕鯨をおこなってきたのです。私が子どものころから捕鯨は大きな産業でした。産業シリーズとして捕鯨の切手もありました。ただし、日本人は鯨に関心はあったけど、それは食とか産業の視点であって、海に対する関心があったとは言えません」

―マグロもあぶないです。世界中のマグロを日本人が買いあさるので、規制の動きもあります。しかし、その一方でマスコミは「トロはおいしい、おいしい」とグルメ番組でどんどん煽りたてています。

「それにしても、知らないうちにわれわれは世界中の水産資源を全部獲ってるわけですね」

―そうです。多くの資源は獲り過ぎです。そういった状況を、日本は厳しく世界から指摘されるようになっています。最近問題となっているのはウナギです。ヨーロッパ・ウナギのシラスが中国で養殖され、加工した蒲焼きが日本にきています。ヨーロッパのウナギ資源を守るため、輸出に規制がかかってしまった。来年あたりは日本に入ってこない可能性さえあります。

「日本はただひたすら魚を獲ることだけにつっ走ってしまって、海のことを適正に考えてこなかったんじゃないでしょうか。海洋基本法後の政策がどういう具合に運営されるか知りませんが、海のジオポリティックスがうまく成立するかどうかちょっと心配ですね」

海水で炊くごはんが海のサイエンスを育てる

―2050年には世界の人口が60億人になると予測されています。そうなると、資源不足からさまざまな問題が起こる危惧があります。しかし、その心配がはたしてどのくらい先を見越して......。

「かなり先まであぶないでしょうね。海の問題も千年単位で考えなければいけません。今までの歴史をみても海洋開発ができていない、と私は思います」

―それは日本だけではなく、人類全体についてということですか。

「そもそも人間は海への適応ができていません。これは海洋開発よりもっと前の話で、そもそもホモ・サピエンスとしての海洋適応ができていないのです」

―海洋適応ですか。

「科学技術がこれだけ発達しているにもかかわらず、海の利用、海の開発は一向に本質的なところで進んでいません。もっとやれることがあるんじゃないでしょうか」

―科学技術が問題となって適応できないということでしょうか。

「生物学的にさえ人間は海にうまいこと適応できていないのです。人類がおそらくアフリカで生まれてから何百万年もたったわりに、人間は地球の7割を占める海への適応ができていません。たとえば、人間は海水を飲むことさえできませんでしょう?」

―できません。飲んだら死んでしまいます(笑)。

「私はずいぶんと山を歩いて、どんな自然にも対処できる自信があったのですが、海の水だけはだめでした。北海道に初めて行って、オホーツク海の海岸で川喜田二郎(東京工業大学名誉教授、文化人類学)とふたりで海の水を初めてなめてみて『うわ、からい』と。それでね、これでめしが炊けるかどうか、オホーツク海の水で試してみました」

―どんな味ですか。

「飯ごうで炊いたけど、とても食べられたものではありませんでした(笑)」

―そうですね。水が蒸発して塩が残るわけですからね。

「これはあかんわと思いました。でも、皆さんも一度やってみてください。ばからしいと笑う人や、もったないと言う人がいるかもしれませんが、やってみたら人間の海への適応がいかにできてないか、その本当の意味がわかるでしょう」

―象徴的なエピソードですね。それはいつごろの話ですか。

「19歳の夏のことです。今でもはっきりと覚えています。海の水のなんと塩っからいものかと」

―え? 20歳前ですか。それはちょっとすごいですよ。

「そもそも人類全体の海洋適応ができてないという認識があったうえで、たとえば今回の法律(海洋基本法)のなかに、それがちゃんと位置づけられているでしょうか」

―適応を忘れて開発してしまうと、自然のほうからしっぺ返しがくるかもしれないという意味でしょうか。

「そもそも人間には海についての未来予測ができていない可能性があるんじゃないでしょうか」

―無理して開発したらどうなるか、ということですね。

「まあ、ちゃんと海に適応しているという人がいるかもしれません。たくさんの船ができたし、人類は海を征服したという人もいるかもしれません。しかし、そこまではできたけれど、それ以上の開発利用はできてないわけです。たとえば海の農業や牧畜は、どこまで実現しているでしょうか。海の開発はまだ狩猟採集段階です。とても牧畜農業段階に達しているとは言えません」

―クロマグロが近畿大学で養殖できるようになりました。それでも農業、牧畜のレベルにはまだまだでしょう。

「もっと真剣に陸上と同じように海洋開発をやらないといけませんな。人類として、海の農業、海の牧畜がもっとできるはずですから」

―そうですね。そもそも農業のagricultureはカルチャーから出たわけで、海の栽培漁業はmari-cultureといいますね。養殖は21世紀の課題かもしれません。

「こういう話は若い人に聞いてもらいたいですね。海の利用法をもっと考えてみてくれと言いたいです」

―未来の海洋、海の科学、研究をする若手がもっと育たないと。

「さきほども言いましたが、私は山に育てられた、ということは、山を通じて科学を学んだという意味です。山は日本の科学技術の温床で、古くから日本人は山に親しみ、山の神を敬い、山から学ぶべきものを学んで、フィールドサイエンスが育ちました。ところが海を通じて科学技術が展開した話はあまり聞きません」

梅棹忠夫氏の全仕事、総数およそ8,000件という著作物の壁を背に。すべて氏が執筆あるいは編者として関わった書物で、いま現在も増えつづけているという。

―たしかに、海洋適応についての科学研究は手薄です。もっと新しい世代の人たちが海から現れてほしいですね。

「しかし、人間は進化の途中でどうも水につかっていた時期があると言っている人類学者もいますからね」

―人間の背中の産毛のはえ方が、水の中で泳ぐときにぴったりだという、人間の進化を海との関連でとらえた「なぎさ進化説」です。

「おもしろい。それでしたら、人間が海で生きる手だてがもっとあるかもしれませんね。海洋適応の可能性もあるのではないでしょうか?」

―そういうワクワクする科学を誰かにやってほしいですよね。

「SFみたいな空想でいいから考えてみたらいい。可能性があるかどうかはそれからです」

―そうですね。そのためにもさっきの話にもどりますが、海水で米を炊いて、これは食べられないということがわからないと、じゃあ、なんとかしようということにならないわけですから。

「まずはやってみることです(笑)」

―子どもたちが海を科学するいい例になるのかなという気がします。こういう話が海への関心を高めるひとつの大きなきっかけになるかもしれないですね。今度、僕もやってみます。本日はどうもありがとうございました。 ■


※1 海洋博=沖縄国際海洋博覧会。「海-その望ましい未来」をテーマに、1975年7月20日~ 76年1月18日までの183日間の会期で開催された。なお、海洋文化館も展示館のひとつ。同施設は国営沖縄記念公園内に残されて現在も展示物が公開されている。
※2 70年万博=日本万国博覧会(別名:大阪万博)。「人類の進歩と調和」をテーマに、大阪府吹田市の千里丘陵で、1970年3月14日~ 9月13日までの183日間の会期で開催された日本で最初の国際博覧会。

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